2022年 2月 13日(日) 降誕節第8主日・礼拝説教要旨  
 

「恵みを数える生き方」
フィリピの信徒への手紙 3章12〜14節
北村 智史

 フィリピの信徒への手紙を書いたのは、パウロという人です。では、このパウロさん、どんな人だったでしょうか。
  パウロさんは、現在のトルコ南東に位置するキリキア州のタルソスというところで生まれたユダヤ人です。イエス様と同じ時代に生きていましたが、イエス様と直接の面識はありません。ユダヤ人の中でもかなりのエリートに属する人で、ローマの市民権を持っており、ファリサイ派というグループに所属して、有名な律法学者のもとで学びました。熱心なユダヤ教徒で、律法という神様の掟を守ることに関しては非の打ちどころのない人だったと言います。
 彼は初め、旧約聖書が預言している救い主がイエス様だとは信じていなかったので、イエス様を神の子・救い主だと言う教会の人たちは神様を冒涜している人々だと考えていました。そのため、「教会の人々を殺してしまおう、それが正義だ」と考えて、激しく教会の人々を攻撃したのです。けれども、ダマスコという町に行く途中で劇的な回心を経験し、洗礼を受け、キリスト者となって、今度は命懸けでイエス・キリストの福音を宣べ伝える者となりました。彼は自らを異邦人伝道のための使徒として位置づけ、3度の宣教旅行を行い、各地に教会を建ててキリスト教が世界宗教となる礎を築いたのです。
 また、彼は聖書の中に収められている様々な手紙を残し、信仰義認や贖罪論など優れた神学を打ち立てた他、こうした手紙を通して教会の人々に細かな配慮をした気遣いの人でもありました。しかし、同時に怒りっぽくもあったみたいで、聖書には彼がペトロを叱り飛ばしたという記述も出てきます。また、そういう時代だったんだと思いますが、女性差別的な発言を手紙の中に残していて、今の時代のクリスチャンによく批判される人でもあります。
  このように、確かに人間として欠けはあったのですが、しかしやはり学ぶところも多い人物でもありまして、彼は非常に苦労した人でしたが、その中をイエス・キリストに支えられて生涯を歩んだ人でした。そんな彼は、イエス・キリストのゆえに「わたしは弱いときにこそ強い」という力強い言葉を残しています。神様の力は弱さの中でこそ十分に発揮される。それが苦難の多い生涯の中で実際に神様に支えられ、歩む中で、彼が神様から教わった一つの確かな真理でした。
  そんな彼は、標記の聖書個所の中でこう語っています。「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」。
  このように自らのキリスト者としての人生を徒競走にたとえたパウロさん。最近、私はパウロさんのこの言葉に関連する興味深い文章を読みましたので、それを紹介させていただきます。『こころの友』という機関紙に載っていた、古賀博先生がお書きになった文章です。
  そこで古賀先生は、「失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」という、パラリンピックの父とも呼ばれるユダヤ人医師・ルートヴィッヒ・グットマンの言葉を取り上げてこう記しておられました。「私などは、失ったものやできなかったことを数えて、嘆き、落ち込んでばかり。しっかり心を向けるべきは、今もなお残されているものや思い、力であり、それらを最大限に生かし、なし得ることへ注力することなのでしょう。……(中略)……できるだけ『前のものに全身を向け』、『残されたものを最大限生か』す。こうした歩みに対して、神さまは必ず見えないメダルを与えてくださると信じて進みたいものです」。
  含蓄のある文章です。こうした文章を読む中で思い浮かんだのは、コリントの信徒への手紙一でパウロさんが記したこんな御言葉でした。「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」。
  すでにお話ししたように、パウロさんは本当に苦労を重ねた人でした。神様に文句を言ってもおかしくないようなことも山ほどあったはずです。でも、そんな彼が、そんな苦労ばかりに心を囚われるようなことはせずに、ただただ「神様の恵みに生かされてきた、今日の自分があるのはまったく神様のおかげである」と、その恵みに対する感謝の気持ちで心をいっぱいにしている。本当にパウロさんというのは、度重なる苦労、その中で失ったものやできなかったことを数えてばかりのような生き方をしなかった人だと思い知らされます。パウロさんは本当に前向きな人で、様々な苦難の中、それでも残されているものや思い、力の方にいつでも心を向ける生き方をしてきました。また苦難を数え上げるのではなく、恵みを数える生き方をした人でもあります。そうして、人生の徒競走をただ前向きに、感謝と喜びに溢れて走り通したのです。
  パウロさんのこの生き方を、私たち、しっかりと学びたいと思います。振り返ってみれば、この2年間、世界中の人が新型コロナの苦難を経験しました。その中で私たちも色々なことができなかったし、失ったものもたくさんあったと思います。でも同時に、私たちには残されているものもありますし、動画配信によってこれまで礼拝に与れなかった方が礼拝に与れるようになったりと、恵みと思える出来事もありました。できなかったこと、失ったものばかりを数え上げて、嘆いて、落ち込んでばかりいるのではなくて、苦難の中で与えられた恵みの方に心を向け、私たちに残されたものを最大限生かして、前向きにこの苦難の時を乗り越えていきましょう。イエス様と共に、恵みを数える生き方、残されたものに心を向ける生き方で、感謝と喜びに溢れて人生の徒競走を走り通していきたいと願います。

 
 
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