2022年 4月 17日(日) 復活節第1主日/イースター礼拝説教要旨
 

「私たちも蘇る」
マルコによる福音書 16章1〜8節
北村 智史

 今日は待ちに待ったイースターです。イースターというのは、イエス様が復活された日です。イエス様は十字架につけられて殺されてしまうのですが、今からおよそ2000年前の今日、蘇られました。イースターというのは、そのことを記念する日です。教会では毎年、この日が盛大に祝われます。この日はキリスト教にとって、とても大切な日なのです。では、今からおよそ2000年前の今日、どんなことが起こったのか、具体的に見ていきましょう。マルコによる福音書16:1〜8です
  実はイエス様は金曜日に十字架につけられて殺されてしまうのですが、その日の夕方にはお墓に納められました。土曜日は安息日と言って、ユダヤ教では働いてはいけない、休んで神様のことを覚える日だったので、人々は何もせずに過ごします。さて、安息日が終わった日曜日の朝早くになりました。マグダラのマリアとヤコブの母マリア、サロメの3人の女性が香料を買い、イエス様のご遺体に油を塗りに行きました。
当時のお墓というのは、岩場をくり抜いて造られた横穴式のもので、入り口には溝があり、その溝に沿って丸い円盤状の石を転がしてふたをしていたのです。「さあ、困った。イエス様のご遺体に油を塗ろうと思ったら、あの重い石をどけなければならない。私たちだけで石をどけられるかな?」女性たちはこう話し合っていました。
  でも不思議、お墓に着くと、既に石が脇へ転がっていたのです。「あれ、誰が石をどけてくれたんだろう」。恐る恐るお墓の中に入ると、天使が右に座っていて言いました。「驚かないでくださいね。あなたたちはイエス様を捜しておられるのでしょうけれども、イエス様はここにはおられません。イエス様は復活されました。そして、ガリラヤへ行かれます。そこでイエス様に会えると、ペトロを初め、お弟子さんたちに伝えてください」。
  女性たちはびっくりです。大慌てで墓を出て逃げて行きました。彼女たちは震え上がり、正気を失いました。そして、初めのうちは恐ろしくて、誰にも何も言えませんでした。
  マルコによる福音書では、ここでぷっつりとお話が終わってしまいます。皆さんの聖書にはその続きも書かれていますが、それは後になって付け加えられたもので、もともとのマルコのお話はここで終わっていたのです。他の福音書では、このイエス様のお墓が空っぽだったというお話の後、実際に復活したイエス様が色々な人にそのお姿を現されるお話が記されているのですが、マルコでは空の墓のお話でもうぷっつりお話が終わってしまうのです。それはなぜでしょうか。
  マルコによる福音書を書いた人は、私たち読み手に問いかけているのです。この後、逃げ去った女性たちはどうしたと思いますか?また、お弟子さんたちはガリラヤでイエス様に会えたと思いますか?それなら、そのお弟子さんたちはどうしたでしょう?イエス様の復活の事実に触れて、復活の主に出会った人たちのその後はどうなったと思いますか?そして、他でもないあなたもこのイースターにイエス様の復活の事実を知らされていますが、この後、どういう風に生きていきますか?
  こんな風に、マルコによる福音書を書いた人はあえてお話を未完成のままにして、私たちの答えを待っています。この続きは、あなたの命、あなたの人生で描いていきなさいと。
  イースター、それはイエス様が復活した知らせを本気で受け取って、私たちも蘇る日です。私たちも罪の中で、また様々な暗い出来事の中で死んだようになっているけれども、「ああ、イエス様が蘇られた。そして、私たちの死を滅ぼしてくださった。私たちの罪を贖ってくださった」、その希望に蘇らされる日です。そして、「これからはイエス様のこの愛に応えて生きていこう」と、新しい生まれ変わった人生を歩んで行く日です。
  今日から始まっていく一日一日を希望に溢れ、罪から離れて歩んで行きましょう。そして、私たちの新しい人生を通して、マルコによる福音書に描かれたイエス様復活の驚きの知らせ、喜びの知らせのお話を完成させていきたいと願います。

 
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