聖霊降臨節第1主日(2013年5月19日)説教要旨  
 

「立たせる愛、広がる愛」
(使徒言行録 2章1〜13節)
北村 智史

 使徒言行録2:1〜13には、ペンテコステの日に弟子たちに聖霊が降り、彼らが様々な国の言葉で話し出したという出来事が記されています。この出来事は、聖霊の働きにより、弟子たちに言葉の壁を超えて神様の愛を告げ知らせていく道が拓かれたということを意味しているのでしょう。このことを考えますと、私の頭の中には決して言語の違いだけではない、私たちの日常生活の中で人と人とを隔てて神様の愛が広がって行くことを妨げる様々な言葉の壁が思い浮かびます。

  このことに関連して、チェコ出身の神学者ヤン・ミリチ・ロッホマンは、自身の説教の中で、 「言葉は秘義に満ち、曖昧であり、裏切りさえもする現象である。それは暗黒の国のなかで輝く光でありうるが、なおまた死をもたらす鋭い矢でもありうる」と述べたチェコ共和国初代大統領の言葉を引用しながら、私たちの言葉が人を生かしもすれば、人を躓かせたり傷つけたりもする言葉の両義性について語っています。しかし、言葉について私がさらに厄介だと思うのは、たとえ同じ言葉であっても、それが人を生かすものとなることもあれば、人を無神経かつ無責任に傷つけてしまうもの、躓かせてしまうものとなることもあるということに他なりません。そのために、私たちには、苦難の中にある方に対して、慰めたい、励ましたいと心の底から願い、何か言葉をかけようと思っても、その言葉がかえって相手を傷つけてしまうのではないかと恐れて、かけるべき言葉を失ってしまう、そのようにして相手との間に隔たりを感じてしまうという、そんな言葉の壁を経験することがあります。

  先日、私はNHKであるドキュメンタリーを見ました。それは、「なぜ自分だけが生き残ったのか」、「なぜ原発事故によって自分たちがこれほどまでに翻弄されなければならないのか」といったように、東日本大震災によって生じた数々の言い知れぬ苦しみに寄り添うために、奈良県にある薬師寺から遣わされて被災地を巡って来られた僧侶の方々のドキュメンタリーでした。彼らは被災地へ何度も足を運び、被災された方々の深い苦しみに触れれば触れるほど、それぞれに大きな壁にぶつかっていきます。それは、家族や家を失い、苦しみのただ中にある方々に対して、直接被災しなかった自分たちが語りかけるべき言葉はあるのだろうかという、まさに先程の言葉の壁を巡る激しい葛藤に他なりませんでした。

  番組で取り上げられたある僧侶の方は、こうした葛藤について、「自分のすべてを奪われた人が目の前に来る。その時に何も失っていない自分が向き合って何が言えるんだろうか。すごく怖い」と、正直な心の内を打ち明けておられます。しかし、この方は福島県に足を運ぶ中で出会ったある住職の、僧侶として懸命に前を向いて生きようとするその覚悟に触れる中で、徐々に、「たとえ被災された方々にとって厳しい言葉になってしまおうが、彼らの命のスイッチが入るのが一番大事なのだから、躊躇するのはもう止めよう」と、自分の在り方を絶えず見つめて、自分に何が言えるのか、できるのか、自分が言うべきこと、すべきことは何なのか迷いながら、それでも勇気を出して被災された方々と一緒に生きていこうという覚悟を持つようになっていったのです。

  このドキュメンタリーの中で私が最も印象に残っているのは、迷いつつ、それでも目の前の方と向き合うことから逃げない懸命の覚悟を持って寄り添われるこの僧侶の方の言葉に、被災地の方々が目に涙を浮かべて微笑み、頷いておられるお姿に他なりません。

  私が見たこのドキュメンタリーは仏教の僧侶を取り上げたものでしたが、にもかかわらず、私には彼らの姿が、次のような神様の真実を教えてくれているように思えました。すなわち、それは、「人を生かしもすれば、無神経かつ無責任に傷つけもする言葉の両義性、これを恐れる気持ちは人を思う気持ちが深ければ深いほど大きくなる。しかし、答えが見えなくてもいい。迷いながらでもいい。この恐れを乗り越えて懸命に愛を持って人が人に寄り添っていく時、私たちの言葉には私たちの力を超えて人を生かす神様の愛が受肉していくのだ」ということです。ヨハネによる福音書1:18に「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」とありますように、神様は今から2000年前、イエス・キリストという人と出会い、活動する「言」によって御自身を示され、その愛によって人を生かしました。私たちもまた一人ひとり、人と出会い、寄り添うことを通して自らが語る言葉に神様の愛を宿し、人を生かしていく道へと招かれています。今日から始まる聖霊降臨節、すべての言葉の壁を取り除いてくださる聖霊の働きに自らを委ねましょう。そして、勇気を与えられて、絶望の中にあるすべての者を立たせてくださる神様の愛を豊かに宿し、これを告げ知らせていく者、広げていいく者とされていきたいと願います。

 
 
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