聖霊降臨節第12主日平和聖日礼拝(2013年8月4日)説教要旨  
 

「キリストの愛による平和」
(エフェソの信徒への手紙2章14〜22節)
北村 智史

 エフェソの信徒への手紙2:14〜22は、イエス・キリストの十字架によってもたらされたユダヤ人と異邦人との和解、平和、一致について述べている個所です。この個所の理解を深めるために少しユダヤ人と異邦人との関係について見ておきますと、この両者の間には当時大きな隔ての壁がありました。

 ユダヤ人は旧約聖書の時代から自分たちは神様によって選ばれ、そのしるしとして律法を与えられた神の民であるという意識を強く持っていたため、他の民族を異邦人と呼んで差別する現実があったのです。この差別意識は、ユダヤ教の中から起こったキリスト教の教会の中にも受け継がれていきました。このことを裏付けるように、キリスト教独自の正典であります新約聖書を見れば、私たちはそこにも異邦人に対する差別意識の籠った言葉がたくさん出てくることに気づかされるでしょう。

 こうした現実の中、エフェソの信徒への手紙の著者は2:14〜22で、イエス・キリストは十字架の出来事を通してユダヤ人、異邦人といった垣根を超えたすべての人々の罪の贖いを成し遂げられたのであり、このゆえにもはや律法を与えられている、与えられていないに関わりなく、すべての者が神様のこの無償の愛に結び付けられて一つの家族とされたのだということを人々に告げ知らせました。そしてさらに、この手紙の著者は、このように神様の愛に結び付けられたすべての者が互いに愛し合い、支え合いながら霊的に成長し、皆で一緒に罪とその現実を乗り越えて神様に近づいていく、そうして自分たちの中に神様を宿していく、神様の平和を実現していくことを建物のたとえを用いて人々に訴えたのです。

 このような聖書個所は、今の私たちに何を示してくれているでしょうか。このことに関連して、新約聖書学者の山口雅弘さんは、この世界に起こる戦争や争いの原因について、次のような言葉を語っています。

 「戦いや争いについてよく考えてみますと、国や民族同士の戦いに留まらず、個人的あるいは日常的に起きる争いにも、その争いを引き起こす同じ質の原因が潜んでいることに気づかされます。争いを引き起こす様々な原因の根っこに、自己中心の生き方が根付き、他者を認めない利己主義、排他主義、利益のみを追求する効率優先の価値観、そのような人間の傲慢、思い上がりがあると言わざるを得ません。そのことが競争と蹴落とし合い、敵意や憎しみ、また妬み、あるいは人を信頼できない不信と恐れ、そして不安を生み出しています」。

 ここで私たちが生きているこの社会を見てみますと、今自民党が公表している「日本国憲法改正草案Q&A」の中では、「憲法改正草案で、『自衛隊』を『国防軍』に変えたのはなぜか?」という問いに対して、「世界中を見ても、都市国家のようなものを除き、一定の規模以上の人口を有する国家で軍隊を保持していないのは、日本だけであり、独立国家が、その独立と平和を保ち、国民の安全を確保するため軍隊を保有することは、現代の世界では常識です」という主張が堂々と為されています。こうした現実に触れますと、私には、それぞれが、またそれぞれの民族・国家が自己中心的な生き方をする中で競争と蹴落とし合い、敵意や憎しみ、また妬み、あるいは人、民族・国家を信頼できない不信と恐れ、そして不安が生まれ、結果争いや戦争が生まれてくるという山口さんの先程の言葉が、非常に説得力を持って聞こえて来ます。そして、かつてはユダヤ人と異邦人の間での和解と平和、一致について人々に語りかけられたエフェソの信徒への手紙2:14〜22の言葉が、平和とは程遠い罪の現実に溢れた今のこの世界のただ中で、私たち一人ひとりに改めて、すべての国と国、民族と民族、人と人との間で和解と平和、一致を呼び掛けるものとして聞こえてくるのです。

 イエス・キリストが十字架と復活の出来事を通してお示しになったその愛に結ばれて、もはやすべての人々が神様に愛されてある一つの家族なのだということを知る。そして、人類皆がそれぞれ神様にかけがえのない賜物と役割を与えられた石として、この地球という家を神様の御心に沿ったものとして、また神様がそこに安心して憩われる聖なる神殿となるように建て上げていく。これこそ、今、教会がこの世界に発し続けていかなければならないメッセージであり、その実現に向けて実践していかなければならない事柄であることを、この聖書個所は私たちに示してくれているのではないでしょうか。

   かつて、マザー・テレサは、「平和をもたらすために、銃や爆弾は必要ではありません。愛と思いやりの心が必要なのです。神の平和を輝かせましょう。神の光をすべての人の心にともし、世界中の、すべての憎しみと権力への愛着を消し去ってしまいましょう」と、語りました。私たちが志すのは兵器や軍隊による平和ではありません。これらによって平和を成し遂げることは不可能ですし、それは何の常識でもないのです。私たちが志すのは、すべての者を敵や競争相手ではなく、家族として結び付けてくださるキリストの愛による平和です。この愛をどこまでも広めていきましょう。そして、皆で一緒に私たち人間の罪と、その悲惨な現実を乗り越えて、神様の平和をこの世界に実現していきたいと願います。            

 

 
 
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