降誕前第6主日 収穫感謝・謝恩日(2013年11月24日)礼拝説教要旨
 

「心の目」
(サムエル記上 16章1〜13節)
北村 智史

 標記の聖書個所(サムエル記上16:1〜13)は、預言者サムエルによる、ダビデへの油注ぎの場面を描いたものです。サムエル記上15:1〜35には、イスラエル王国の初代王様であるサウルが神様の御声に聞き従わなかったために、その王位から退けられることになったことが記されていますが、このために、預言者サムエルは標記の聖書個所で神様の命令を受けて、サウルに代わる次の王様にふさわしい人物に油を注ぎに行くことになりました。この話の中で、サムエルが初め、神様がお選びになる人物を、容姿や背の高さといった目に見える事柄に囚われて判断しようとしたこと、そのために神様に、自分は「人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」と諭されたということは、非常に示唆に富んでいると私は思います。なぜなら、今の私たちもまた、目に見える事柄に囚われて、神様の救いの働きの奥深さを見失ってしまう、そのようなことが多々あるからに他なりません。

 このことを思う時、私は数年前に話題となりましたディック・ホイトとリック・ホイトというアメリカの親子の話が頭の中に思い浮かびます。この親子のことを順を追ってお話ししますと、リック・ホイトは1962年に父ディックと母ジュディの長男として病院で生まれましたが、出生時に逆子となり、へその緒が首に巻き付いてしまったため、脳に酸素が行き渡らず、脳性麻痺になってしまいました。しかし、両親の懸命な看護とリック本人の懸命な努力により、リックはやがて公立中学校の普通学級に入学します。そこで、彼はある日、交通事故によって全身麻痺となった地元大学のラクロス選手を応援するために8kmのチャリティマラソンが開催されるというイベントの告知に偶然出会い、自分と同じ境遇に置かれているその人のために何かをしてあげたいという気持ちを強く持って、その日の晩に、父ディックに彼と一緒にこのマラソンに参加したいということを伝えました。息子の気持ちが痛いほど分かるディックはこの時38歳でしたが、すぐにこれを快諾し、翌日からトレーニングを開始して、アスリートのように肉体を鍛え始めます。そして、2週間後、ディックはリックの乗る重量60kg以上の車いすを押してチャリティマラソンに出場し、これを見事に完走したのでした。

  「パパ、走っているときは障がいなんてない気がしたよ」と伝えるリックの言葉とひまわりのような笑顔にすっかり取りつかれたディックは、以後、トレーニングに励みながら、リックと共に彼の車いすを押してマラソンやトライアスロンのレースに1000回以上も出場し、1992年にはマラソンの大会で車いすを押しながら、世界記録から35分しか離れていない2時間40分で42.195kmを完走するなど、世界中の度肝を抜きました。父のこのチャレンジする姿を見たリックも猛勉強の末、名門ボストン大学に入学、1993年にはこれを卒業し、全身麻痺を抱えた学生として初めて学位を取得しました。現在、リックはボストン大学のコンピュータ研究所で障がい者用補助器具の開発に取り組み、二人は今もなお様々なレースに出場して、多くの人を勇気づけています。

  これがホイト親子のお話で、もちろん、このように息子のためにトレーニングを積み、自分を与え続ける父ディックの愛も、障がいという逆境に負けることなく夢を叶えていく息子リックの努力も、私たちの想像を絶するほど偉大なものであるのは言うまでもありません。しかしながら、この親子の話の中で私が最も印象に残っているのは、2003年、63歳になろうとしていた時に、ディックが心筋梗塞を起こしてしまった時のお話です。この時、心臓に近い動脈が血栓で95%も塞がっていたのを見た医師は、これだけ鍛えていなければ50歳を待たずに既に亡くなっていたであろうことを彼に告げたと言います。ディックはこの時のことを振り返り、「まさにリックがわたしの命を救ってくれたのだ」、「自分とリックは互いの人生を救い合ってきたのだ」と告白しています。

  与えることによって、気が付けば自らも生かされている、救われている、多くの恵みを受けているという不思議。弱さと欠けを抱えた私たちの価値観では、私たちの目に強く映る者が弱く映る者に救いや恵みを与えるのだとばかり考えられているのではないでしょうか。しかしながら、このように目に見える事柄に囚われて、どうして十字架の上で全く無力な姿となられることによって、私たちすべての人々の罪を贖われ救われたイエス・キリストの、その人知を超える働きの奥深さを窺い知ることができるでしょう。「受けるよりは与える方が幸いである」と仰られたイエスの言葉から窺えますように、神様は私たちのために御自分を与え、救いをお与えになることによって、このうえなく大きな幸せをお感じになりました。そして、厳しい競争と貪欲な世界の中で、幸せは多くのものを所有することの中にあるのだと考えて、なかなか愛を与えようとしない私たち一人ひとりを、愛を与え合うことによって互いに生かされ、救われ、たくさんの恵みを与えられていく豊かな道へと招いてくださっているのです。神様に心の目を豊かに開いていただきましょう。そうして、神様を愛し、隣人を愛していく信仰の道を、皆でさらに深めていきたいと願います。

 
 
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