復活節第4主日(2014年 3月30日)説教要旨  
 

「人生のターンテーブル」
(ルカによる福音書 23章 32〜34節)
北村 智史

 「標記の聖書個所(ルカによる福音書23:32〜34)は、まさにイエスが十字架につけられる場面です。この時にイエスが発したのは、自分をこのような目に遭わせた人々に対する呪いの言葉でも、「神様、助けてください」という言葉でもありませんでした。そうではなく、イエスは「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と、御自分に敵対する者のために神様に赦しを祈られたのです。イエスは御自分の死を前に、まさに「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイによる福音書5:44)という愛敵の教えを実践されたのでした。このイエスの深い祈りの言葉に触れる時、私は、この言葉に出会って劇的な回心を遂げた淵田美津雄さんという方のことを頭の中に思い浮かべます。
 この淵田さんは真珠湾爆撃の総指揮官として、太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃を率いた方ですが、彼は終戦を迎え、自分のふるさとに戻って、戦前、戦中、戦後の自分の体験を振り返る中で、だんだんと、「わたしは祖国を愛し、日本民族を愛するあまり、火のような敵がい心をいだいて戦ってきたが、それはいわれなき憎悪ではなかったか。祖国愛とみたなかに、偏狭にして独善なものがなかったか」といった思いに囚われるようになっていったと言います。そんな折、彼はアメリカに捕らわれて戻って来たある日本軍捕虜たちから、自分たちを献身的に世話してくれたある若いアメリカ人女性の話を耳にしました。彼らの話によると、この若いアメリカ人女性は、自分の両親が日本軍によって殺されてしまったから、このように日本軍捕虜たちの世話を献身的にするのだと語ったと言うのです。普通は話は逆ではないかと興味を持った淵田さんは、彼らに詳しく話を聞くことにしました。すると、淵田さんは、次のような話を聞くことができたのです。
 このアメリカ人女性の両親は宣教師でフィリピンにいましたが、日本軍がフィリピンを占領した際に難を避けて北ルソンの山中に隠れていました。しかし、ある時、この隠れ家が発見されて、日本軍はこの両親をスパイだと言って斬ることにしたのです。両親は自分たちがスパイではないことを懸命に訴えましたが聞き入れられず、最後には「どうしても斬るというのなら仕方がない。せめて死ぬ支度をしたいから三十分の猶予をください」と言って、与えられた三十分に、聖書を読み、神様に祈って斬の座につきました。この事の次第はやがてこのアメリカ人女性のもとに伝えられましたが、彼女は両親が殺される前の三十分、その祈りは何であったかを思うことによって、気持ちが憎悪から人類愛へと転向したというのです。
 日本軍捕虜たちからこの話を聞いた時、淵田さんはこの話を美しい話だと思いながらも、なぜ両親の祈りを思うことで、この若いアメリカ人女性の気持ちが憎悪から人類愛へと180度転向したのか、あまりよく分からなかったと言います。けれども、しばらくの月日が経ち、聖書を読む機会に恵まれて、ある時あちらこちらと聖書を探り読みしているうちに、ルカによる福音書23:34の御言葉、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」というイエスの祈りの言葉がふと目に飛び込んで来て、淵田さんはこの瞬間に初めてこのアメリカ人女性の話をはっきりと理解することができたのでした。
 彼女のご両親が斬られる直前に祈った祈り、それは次のような祈りではなかったか。「神様、いま日本軍隊の人々が、わたしたちの首をはねようとするのですが、どうか彼らをゆるしてあげてください。この人たちが悪いのではありません。地上に憎しみ争いが絶えないで、戦争など起こるから、かようなこともついてくるのです」。この両親の祈りに懸命に応えるために、キリストの十字架のゆるしを日本人に知らせようと、このアメリカ人女性はそれを実践に移すべく日本軍捕虜キャンプに走ったのだ。
 敵をもお赦しになるイエス・キリストの偉大なる博愛が、一粒の麦となって伝播し、人々の歩む道を憎しみから愛へと、その向きを180度変えてくださる。そうして、やがては、この地上から憎み争いを絶つに至らしめてくださるだろう。この時、淵田さんの頬に大粒の涙がポロポロと伝ったと言います。こうして、淵田さんはイエス・キリストを救い主として受け入れ、その後は、神様の深い愛と恵みとを自身の体験を通じて一人でも多くの人に宣べ伝えるべく、日本とアメリカの各地を転々としながら福音伝道に励んでいったのでした。
 神様と共に生きていく中で、あるいは教会生活を過ごしていく中で、心が穏やかになる、性格が良くなる、こうしたことはとてもすばらしい神様の恵みでしょう。しかしながら、神様の愛は、時にはこうした次元を遥かに超えて働きます。神様はその人を御自分の愛でがっしりと捕らえて、ターンテーブルという鉄道車両を乗せて回転する、そうして鉄道車両の向きを変える円盤台の装置がありますが、まさにこのターンテーブルのように、その人の歩んでいた人生の向きを根底から変えてくださるのです。
 こうした劇的な回心は淵田さんだけのものでしょうか。私はそうは思いません。たとえ私たちに淵田さんのような劇的な体験が無くとも、神様は聖書を通じていつも私たちを愛で捕らえたい、そうして私たちの人生の向きを根底から御自分の方へ変えたいと切に願っておられるのだと私は思います。このレントの時期、神様の大いなる愛にしっかりと捕らえられましょう。そうして私たちの歩む人生の向きをすべて、神様の御心に沿う方向へと変えられていきたいと願います。

 
 
Copyright© 2009 Tokyo Fuchu Christ Church All Rights Reserved.