復活節第1主日(2014年 4月20日)説教要旨  
 

「死から命へ」
(ヨハネによる福音書 20章 11〜28節)
北村 智史

 標記の聖書個所(ヨハネによる福音書20:11〜18)は、蘇ったイエスがマグダラのマリアにその姿を現された場面です。イエスの死により自分の一生も終わってしまった、後はその遺体を守り、遺体に仕えて生涯を過ごす以外にはないと考えたマグダラのマリアは、週の初めの日、すなわち日曜日の朝早くにイエスの墓を訪れました。しかし、墓の中は空っぽで、イエスの遺体は跡形もなく消えてしまっていました。十字架の出来事によりイエスを奪われ、さらには、その後の人生の中心となるべきイエスの遺体すら奪われて、彼女は本当に絶望の中に叩き落とされてしまったことでしょう。彼女はペトロやもう一人の愛弟子のように、イエスの墓から立ち去ることもできずに、ただただイエスの遺体を求めて墓の外に立って泣くばかりでした。
  そのようなマグダラのマリアに、神様は天使を通して、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言われました。復活のイエスもまた、同じ質問を彼女に対して投げかけました。それは、「なぜ、あなたはイエスを、私を、墓の奥の死の向こうの世界に探しているのか」という問いかけであったことでしょう。イエスは彼女が振り向く後ろ、まさに死とは反対の方向、人々が生きている世界のただ中に立っておられたのです。にもかかわらず、なおも死の向こうの世界にイエスを探そうとするマグダラのマリアに、イエスは愛情を込めて親しく「マリア」と呼びかけられました。そして、この呼びかけによって、マグダラのマリアはイエスの立っている方を「振り向いて」、イエスの亡骸に仕える他はないと思っていた死んだような状態から、人々が生きている世界のただ中におられる復活の主に仕えていく生きた状態へと、自身が蘇らされたのです。
  復活の主は、人々が生きている世界のまさにそのただ中に立っておられる。この主に従っていく中で、私たちは生き生きとした神様の復活の力に与っていくことができる。本日の聖書個所から窺うことのできるこうした事実は、今を生きる私たちが信仰において押さえておかなければならないとても大切な事柄ではないでしょうか。
  このことに関連して、大阪の釜ヶ崎で日雇い労働者や路上生活者と共に生き、彼らの支援に生涯を捧げておられる本田哲郎神父は、『釜ヶ崎と福音 ――神は貧しく小さくされた者と共に』という著書の中で、貧しく小さくされた人々に関わっていく中で、彼らの本当に痛みを知っているからこその隣人愛の実践、福音の実践に触れて元気づけられ、救いの方向、神様の御心に沿う方向に自分が解放されていくのを何度も経験したことから、次のようなことを語っておられます。
  「『力は、弱っているときこそ発揮される』。弱さの中にあってこそ、力は十分に発揮される、とはふつうの社会の価値観からいえば正反対です。力のないものが、なぜ人を助けることができるのか、ふつうはそう考えます。しかし、福音の価値観は逆だったのです。だれもが、助けてあげなければ、介護してあげなければ、と思うその人こそ、人を生かすことができる。ボランティアをする側の人たちよりもまちがいなく神の力を伝えるパワーを持っている。だから、このことを真剣に受け止めて、尊敬の心をこめて関わらせてもらったときに、そのように関わらせてもらうことによって、こちらにもその力を分けてもらえる。……(中略)……(聖書の)原典をたどってみると、……力は弱さの中にあってこそ十分に発揮される、と書いてある。つまり、貧しく小さくされた人たちのいつわらざる願いを真剣に受けとめ、その願いの実現に協力を惜しまないときに、人は共に救いを得、解放していただける。それが神さまの力だということです。」
  このような本田哲郎神父の話を読みまして、私はこれこそ人々が生きているこの世界のただ中に立たれる主に従っていく中で、私たちが与ることのできる神様の生き生きとした御復活の力なのではないかということを素直に思わされた次第です。振り返ってみて、私はこれまで、神様の力、復活の力というものは、イエス・キリストが成し遂げてくださった罪の贖い、救いに励まされる、希望を与えられるという仕方で、神様から直接いただくものだと考えていました。それはそれで、間違いではないのでしょう。しかし、同時に、神様の力、人を生き生きと生かしめる復活の力は、人との愛の関わりの中で、人を通して私たちに伝わって来るものでもあるのです。翻って、私たちの信仰は、本当に生きたものに、私たちに命を与えてくれる生き生きとしたものになっているでしょうか。この世界に、隣人に開かれたものとなっているでしょうか。このイースターの主日、私たちが生きているこの世界のただ中に立っておられる復活のイエスにしっかりと目を注ぎながら、豊かに自身の信仰を振り返っていきたい、そうして、この世界に、隣人に仕えていく中で、私たちの想像を遥かに超えた仕方で働く神様の御復活の力に豊かに与っていきたいと願います。

 
 
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