聖霊降臨節第3主日(2014年6月22日)説教要旨  
 

「封じられても語る」
(使徒言行録4章13〜31節)
北村 智史

 標記の聖書個所(使徒言行録4:13〜31)は、ペトロとヨハネが最高法院で取り調べを受けた時のお話です。聖霊に満たされながら、イエスの十字架と復活を力強く語り、自らが行った癒しの奇跡がイエス・キリストの名によるものに他ならないこと、そして、この方によってのみ人間は救いを与えられるのだということを堂々と証言したペトロに、ユダヤ教の指導者たちは一言も言い返すことができませんでした。実際にイエス・キリストの名によって癒された人が会議の場にいて、ペトロの証言が真実であることを裏付けたからです。
 それでは、ユダヤ教の指導者たちは、ペトロの言うことを素直に受け入れたのでしょうか。――答えは、否です。彼らは、ペトロの言うことが真実であると認めざるを得ないような状況になってもなお、真実を受け入れることよりも、自分たちの支配体制が危うくなることを恐れる気持ちばかりを優先させて、「今後イエス・キリストの名によって誰にも話すな」と、ペトロとヨハネを強く脅してイエスの宣教を禁止してから二人を釈放したのでした。ここには、自分たちの秩序を守るために真実を隠蔽しようとする人間の罪がはっきりと見て取れます。そして、このような人間の罪こそ、私は今の日本の私たちが最も乗り越えなければならない罪に他ならないと強く思うのです。
 6月9日〜11日にかけて、私は福島県の会津若松市で開かれました「第4回部落解放全国活動者会議」というものに参加してきました。この会議では、「『原発』という差別〜フクシマの声に聴く〜」をテーマに、一部の人々の利権のために、また都会の住民に電力を供給するために、過疎地住民にリスクの非常に大きい原発を押し付ける原発政策そのものが差別であるとの考え方のもと、こうした差別政策の末に起きた原発事故によって、福島の方々が今現在どれほど平和に生きる権利や幸福追求の権利といった基本的人権を奪われているか、その現実に耳を傾けるための様々なプログラムが持たれまして、そこで私は福島の方々の生の証言をたくさん聞くことができたのですが、こうした証言を聞くたびに、私は国や県の不誠実さを思い知らされる気持ちでした。
 現在、福島では5月19日の時点で甲状腺がんと診断が「確定」した子供が50人に、「がんの疑い」ありと診断された子どもが39人にも上っています。また、日本基督教団の大阪教区から派遣されて福島県各地で子どもの健康相談を行っている山崎知行医師のお話によりますと、決して少なくない数の子どもたちが、鼻血や長く続く咳、皮膚のトラブル、目の下のクマ、下痢などといった症状を訴えて健康相談会に来ていると言います。白血球の減少や疲れやすい、集中力が続かないといった症状も子どもたちの間に増えているそうです。にもかかわらず、国や県はこれらの問題を取り上げるどころか、自分たちの息のかかった学者たちをどんどんと送り込み、「安全だ。安心だ」といった発言を繰り返させて、福島の人々を、放射能の恐怖、危険を訴える人々と「学者も国も県も安全だと言っているんだから大丈夫なんだ。そんなことを言うから風評被害を生むんだ。復興が遅れるから黙っていろ」と言う人々に分裂、対立させて、「放射能」という言葉を満足に口にすることもできないような状況にしたり、子どもたちがセカンドオピニオンを受けることを阻止する内容の文書を医師の間に回したりしている有様です。
 今回、私は福島で様々な方から証言を伺ってきましたが、皆が一様に、「こんなに国家が国民を守ってくれないとは思わなかった。こんなに嘘をついて、自分たちを守ろうとするとは思わなかった」と語っておられたのがすごく印象に残っています。自分たちの体制、秩序を守るために真実を隠蔽し、一人ひとりの命を蔑ろにする、このような罪が横行している今の日本のただ中にあって、本日の聖書個所でペトロとヨハネが、脅されようが何をされようが、神様の御心に従って真実を語ると述べたこと、仲間の信者たちも心を一つにして、どのような逆境の中にあっても大胆に神様の言葉を語ることができるようにしてくださいと神様に祈り求めたことは、私たちにとってとても重要な意味を持っているのではないでしょうか。
 国家が犯す罪の中で黙っている、そのようにして罪に加担することなど、私たちには求められていません。それは、戦時中の教会の反省を思えば良く分かります。国家が罪や誤りを犯す時、私たちが為すべきことはどのような苦難が伴おうとも預言者としての声を挙げ続けること、今回のケースで言うならば、福島の方々に寄り添い続けて、そこから見えてくる、聞こえてくる真実を宣べ伝え、「悔い改めよ。私が救いへと導こうとしている一人ひとりの命を大切にせよ」という神様の御言葉を語り続けることです。今でも十分深刻ですが、将来取り返しのつかない段階になって人々を、子どもたちを守ろうとしても遅いでしょう。人々を、特に子どもたちを守るには、今しかありません。もしも将来、一人でも放射能のためにかけがえのない命が損なわれてしまうようなことがあるならば、私たちは神様の御前に立つ時に、神様にいかなる申し開きも行うことはできないのだ。この思いを強く持って、今、福島の方々と共に生き、預言者としての声を懸命に挙げ続けていきたいと願います。

 
 
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