「武器を置こう」
(ミカ書4章3節)
北村 智史
ミカ書4:1〜8は、救いの成る終わりの日に再建される新しいエルサレム(「神の国」)
での平和の様子が描かれた場面です。神様が直接人々を統治され、地上の争いに終止符を打たれる。これまでイスラエルを脅かして来た諸国民はもはや敵ではなく、同行者として共に主がおられる神殿の山を巡礼し、主の教えに従って歩むようになる。全世界は武装を解除し、これを平和の道具に作り変えて、二度と争いを起こさない。すべての人が平和を享受し、誰一人不安や脅威に怯えることなく生活することができるようになる。戦争によって散らされた民も、再び神様のもとに呼び集められる。
終わりの日に神様によって成し遂げられる「神の国」での平和の様子を描いたこうしたミカ書の御言葉の中で、今の私たちにとって最も大きな示唆を与えてくれる御言葉が、標記の聖書個所(ミカ書4:3)の御言葉だと私は思います。なぜなら、この言葉は、神様の平和は私たちが武器を取る先にあるのではなくて、私たちが武器を手放す先にあるのだという真理に私たちの目を開いてくれるからです。
では、この真理に従って武器を手放していくために、私たちはどのようにすればいいのでしょうか。その第一歩は、武器をたくさん持ち、戦争もできるようにして相手を威嚇すれば、攻撃してくる人がいなくなって平和になるのだ、武器を使って相手をやっつけてしまえば、敵がいなくなって平和になるのだといったように、私たちの世界に根強く、幅広く蔓延している、武器によって平和が成し遂げられるのだという考え方の幻想を私たちが打ち破ることに他なりません。
ここで、私たち人間の歴史を振り返ってみて、私たちはそこから武器によって平和が成し遂げられた例を挙げることができるでしょうか。このことを思う時、私はこれまで武器によって生み出されてきたものが決して平和ではなく、むしろ支配であり、また次の争いであったという事実を考えさせられます。と、同時に、武器によって延々と生み出され続けてきた争い、その中で引き起こされた様々な悲劇について考えさせられるのです。
このことに関連して、私はある講演会で聞いた元ひめゆり学徒隊“いのちの語り部”の与那覇百子さんの沖縄戦のお話を思い出します。御存じのように、太平洋戦争末期、沖縄では本土決戦に向けた時間稼ぎの「捨て石作戦」として、すさまじい数の銃弾や砲弾が飛び交ったことから「鉄の暴風」と形容されるほど激しい地上戦が繰り広げられました。そして、この戦闘によって、日本軍、アメリカ軍、及び民間人を合わせておよそ20万人もの尊い命が奪われたのです。与那覇さんは、「あの悲惨な戦争を二度と繰り返してはならない。平和の尊さを知ってもらいたい」という思いから、講演の中で、自分がひめゆり学徒隊の一員として経験した様々な事柄を私たちに熱心に話してくださいました。
自分のいた壕が艦砲射撃の直撃を受けて、自分はたまたま外に出ていたために助かったけれども、中にいた友だちや兵隊たちは皆、胴体だけの姿であったり、頭が割れていたり、お腹が裂けていたりと、本当に無残な姿で亡くなってしまったというお話。突然「今後はすべて各自の判断で、責任をもって行動しなさい」とひめゆり隊の解散命令が出されて、行くあてもなく銃弾、砲弾の飛び交う戦線の中を南へと逃げていくことになり、その中で、目の前で友だちが撃たれて亡くなっていったお話等々……。
こうした与那覇さんの講演を聞きまして、私は、「軍隊は国民を守る、人を守るというようなことを日本のある政治家は言うけれども、沖縄戦では民間人も巻き込んで大量の人が殺されたわけで、ちっとも軍隊が人を守らなかったじゃないか。結局軍隊というのは、国家という入れ物を守るだけで、肝心のその中身、実態である人間の命を犠牲にする、そうして平和を犠牲にするのだ。いくら抑止力のためだ、平和のためだと言ったところで、銃や爆弾、軍隊といったような武器が存在する所には、これを使って行われるこのような悲劇が避け難く付き纏ってくるのだ」ということを素直に思わされた次第です。
武器によって私たちは平和を成し遂げることはできません。標記の聖書個所の御言葉が私たちに示してくれているように、神様は私たちがすべての武器を廃棄することを通して御自身の平和を成し遂げようとしておられるのです。ユルゲン・モルトマンという神学者は、その著書の中で、「歴史の中には、神の国と義に公然と反対する状況があります。その歴史的状況に反対するのは、私たちによるに違いありません。しかしまた、神の国にふさわしい状況もあります。それらは、私たちによって進められ、できるなら、確立されなければなりません。その時、現在の中に来るべき、み国の写し絵が生まれ、神の日に成ることを、今日、すでに先取りするのです」と語りましたが、神の国を先取りするどころか、これとは正反対の方向に向かっていこうとしている今の日本のただ中、世界のただ中にあって、武力で物事を解決しようとする人間の罪を捨て、世界中の国が軍縮を進めてすべての武器を廃棄するのが平和への唯一の道であり、神様の御心に適うことであることを、教会の使命として精一杯宣べ伝えていきたいと願います。
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