復活節第4主日(2014年11月2日)説教要旨  
 

「信仰に生きた人々」
(創世記9章8〜17節・ヘブライ人の手紙11章13〜16節)
北村 智史

 創世記9:8〜17は、有名なノアの洪水の水が引いて、ノアとすべての生き物が箱舟から出てきた時の場面です。ここで神様は、ノアと彼の息子たちに御自身の御心を告げられました。それは、ノアの洪水のように、人を、またすべての生き物を滅ぼしてしまうようなことはもう二度としない、どのようなことがあろうとも自分はこの世界を最後まで保持するという堅い約束に他なりませんでした。神様がノアとその息子たち、さらにはその後に続く子孫との間に、すなわち洪水の後の全人類との間に立てられたこの約束は、しばしば「保存の契約」というふうに呼ばれています。
  聖書に記されているノアの洪水後の歴史、すなわち、罪深い人間に対して決定的な裁きはなさらず、忍耐に忍耐を重ねて、アブラハムからイスラエル民族に、イスラエル民族からすべての人々に、その救いを限りなく広げていってくださった歴史は、まさにこの契約に立って人間を救いへと導こうとされる神様の苦心の歴史であると言うことができるでしょう。こうした神様の救いの歴史を振り返る時、私たちは神様が「保存の契約」にとことん忠実で、私たちの救いのために本当に苦心して心を砕きながら、常に新しい道を探し求めてこられたことが分かります。実に、神様の救いの歴史は、神様がどれほど誠実であり、私たちのことを愛してくださっているか、心にかけてくださっているかを私たちに豊かに教えてくれているのです。
  そして、神様のこの愛と誠実さは、多くの人々を生かしました。アブラハムやイサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ等々、聖書に登場するイスラエルの指導者や預言者たちは皆、幾度となく大きな苦難に見舞われて、様々な傷を抱えながら、それでも決して我を見捨て給わない神様の愛と必ずや成し遂げられるだろう神様の救いを仰ぎ見ながら、神様を羊飼いに譬えた詩編23編の詩の如く、主の家に帰り、永遠にそこに留まって安らかに憩うその日まで、生涯を神様に伴われて歩み通したのです。このことを裏付けるように、ヘブライ人への手紙11:13〜16には、アブラハムとイサク、ヤコブの生涯とその信仰について次のような御言葉が記されています。「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです」。
 アブラハム、イサク、ヤコブの生涯とその信仰について述べられたこの御言葉は、この東京府中教会に連なって人生を歩まれた信仰の先達者の方々お一人おひとりの生涯とその信仰においてもそのまま当てはまるのではないでしょうか。ここに赴任してきて2年目の私にはその生涯を存じ上げていない方々もたくさんおられるのですが、彼らの生涯もまた聖書に記されている人々と同じように、無論喜びもあったことと思いますけれども、幾度もの苦難の中を、様々な傷を抱えながら、それでも神様と共に召されるその日まで懸命に歩まれた生涯だったと思うのです。彼らの人生には、最後まで苦難が付き纏ったことでしょう。けれども、彼らは、「保存の契約」に始まって、新約で、イエス・キリストを通して成就した救いの希望、「神の国」という故郷をはるかに仰ぎ見ながら、神様の愛と誠実さに生かされました。そして、今はその生涯でもって神様の御許から福音を豊かに語るのです。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、そして私たち一人ひとりの神は、イエス・キリストを通して『神の国』という都を確かに準備された。私たちは一人ひとりこの都で再び相会う喜びに包まれる。そこにはヨハネの黙示録が語っているように、『もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない』、『神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる』。だから、あなたもどのような時に、どのような苦難があっても希望を持って生きなさい。神様の愛と誠実さに生かされなさい」と。
 「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」。ヘブライ人への手紙12:1〜2に出てきますこの御言葉の通り、今この一時、信仰の先達者が語る福音の言葉、力強い証の言葉に静かに耳を傾けながら、様々な苦難にも見舞われる信仰の生涯を、神様の愛と誠実さに抱かれつつ、神様と一緒に忍耐強く走り通していく力を与えられていきたいと願います。

 
 
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