聖霊降臨節第4主日(2015年6月14日)説教要旨  
 

「みんな、神様の子ども」
(ガラテヤの信徒への手紙3章26節)
北村 智史

 日本基督教団の教会では毎年6月第二主日に、子どもたちのことを覚えてその祝福を祈る「子どもの日・花の日」の礼拝を神様にお捧げしています。東京府中教会では、毎年この日に子どもと大人が一緒の礼拝を守る他、子どもたちと有志で、礼拝の前に花を持って近所の有料老人ホームを訪問するということを行っています。今年はホームの御都合で、ホームの方とゆっくり交わりの時を持つということはできませんでしたが、それでも子どもたちと一緒にホームにお伺いして、お花とカードをお渡ししてきました。ホームの方の笑顔に、子どもたちには人の心を温かく和ませる、そんな力があるのだなあということを改めて実感してきた次第です。
 そんな「子どもの日・花の日」に取り上げさせていただきました聖書箇所は、ガラテヤの信徒への手紙3:26に他なりません。「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」という一節です。まだイエス様が生きて地上を歩んでおられた頃、イエス様は「隣人を自分のように愛しなさい」という掟を、「神様を愛しなさい」という掟と共に最も大切な掟として人々にお教えになりました。しかし、イエス様の時代、この隣人というのは、罪人でない人というふうに限定して考えられていたのです。当時、異邦人や、病人、障がい者、貧しい人など、そうした人々はみんな罪人というふうに見なされて、こうした人々は隣人ではない、だから愛さなくてもいいのだというふうに考えられていました。「この人はユダヤ人だから愛する」、「この人はそうじゃないから愛さない」、「病人だから愛さない」、「障がい者だから愛さない」、「貧しい人だから愛さない」ということが、堂々と行われていたのです。
  けれども、イエス様は十字架の上で、異邦人であるとか、病人であるとか、障がい者であるとか、貧しい人であるとか、そんなことに関係なくすべての人々の罪の贖いを成し遂げてくださって、神様にとってはすべての人々がこの上なく大切な存在なのだ、無条件に愛すべき存在なのだということを人々に示してくださいました。今日の聖書箇所とその少し後の聖書箇所ガラテヤ書3:28には、「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。……そこではもはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」と記されていますが、私たちは皆イエス様に結ばれて、神様に家族として愛されている、そんな存在なのです。イエス様は今を生きる私たち一人ひとりに、「だから、みんなも神様と同じように、すべての人を無条件に愛して」と優しく、温かく呼びかけてくださっています。
  では、私たちはどれほどイエス様のこの呼びかけに応えることができているでしょうか。ここで私たち自身のことを振り返ってみれば、私たちもまたイエス様の時代の人々と同じように、「この人は友達だから、好きな人だから、自分にこんなことをしてくれるから愛する」、「この人は友達でないから、嫌いな人だから、自分にこんなことをしてくるから愛さない」というように、色々と条件をつけては愛する人と愛さない人を分けてしまってはいないでしょうか。ここで、私は一つのお話をしたいと思います。
  ある所にA君がいました。小学生です。ある時、クラスで仲良くしているB君が教室で探し物をしていました。「えーん、えーん。お気に入りの消しゴムがどこかへ行っちゃった。見つからないよう。えーん、えーん」。この様子を見たA君は慌ててB君の所へ駆け寄って言いました。「泣かないで。僕が一緒に探してあげるよ。どんな消しゴム?」A君はB君と一緒に探し物を手伝って、数分後無事、ランドセルの隅に落ちるようにして入っていた消しゴムを見つけることができました。
  その翌日です。今度はいつも意地悪をしてくる嫌いなC君が教室で探し物をしていました。「あれ、おかしいな。教科書が見当たらない。もうすぐ授業が始まるのに」。とても困った様子です。これを見ていたA君の頭の中には、一瞬、「C君、嫌いだし、放っておこうかな」という思いがよぎりました。けれども、昨日のB君のことを思い出して、A君はC君と一緒に教科書を探してあげました。教科書が見つかった時、C君はA君に感謝して言いました。「ありがとう。A君。いつも意地悪をして、ごめんね」。それから、A君とC君は仲良くなりました。
  もしも、A君が仲の良いB君を助けても、嫌いなC君を助けることを止めてしまっていたら、神様、イエス様はどう思われたでしょうか。私はとても悲しまれただろうと思います。実に、「この人は〜〜だから愛する」、「この人は〜〜だから愛さない」という態度は、神様の御心に適うものではありません。そして、誰をも分け隔てしない無条件の愛は、相手の心をも温かく変える、そうして、温かな愛の輪を広げていく大きな力を持っています。私たちは皆、神様からこの上なく愛された子どもであり、家族です。このことをいつも忘れずに、誰をも分け隔てせず、無条件に愛していきましょう。そうして、神様の家族としての輪を、どこまでも広げていきたいと願います。

 
 
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