待降節第11主日(2015年8月2日)礼拝説教要旨  
 

「和解の難しさ」
(マタイによる福音書5章21〜26節)
北村 智史

 標記の聖書箇所(マタイによる福音書5:21〜26)は、「殺すな」という掟、「人を殺した者は裁きを受ける」という掟について、イエス様が人々にお教えになった場面です。ここで、イエス様は、当時律法学者やファリサイ派の人々が考えていたよりもはるかに厳しい見解を示されました。当時、律法では殺人という行為が行われて初めて「殺すな」という掟に触れ、裁かれることになっていましたが、イエス様は怒りや憎しみを持つことも、その表現をすることも、殺人に繋がっていくという意味で殺人に値する、裁かれるべき深い罪に他ならない、そうした罪を犯すな、また、人に犯させるな、早く和解をしなさいと人々にお教えになったのです。このように訴えられるイエス様の御言葉に、「ああ、まことに怒りや憎しみというものは、殺人や戦争を生み出していく源であるなあ。こうした怒りや憎しみを降ろす和解の輪を広げていくことこそ、私たちが歩んでいくべき平和への道なのだなあ」ということを思わされました。それと同時に、23〜24節の御言葉、「兄弟が自分に反感を持っているのを……思い出したなら、……(中略)……まず行って兄弟と仲直りをし」なさいという御言葉を前にして、けれども、戦争という出来事が一度起こってしまったなら、この仲直り、和解を実行することがいかに難しいことかを思わされた次第です。
  このことに関連しまして、先月、私は「東京同宗連」という団体の委員会であるDVDを見てきました。それは、「クワイ河に虹をかけた男」というタイトルで、戦後、「死の鉄道」と呼ばれた泰緬鉄道の贖罪に人生を捧げた永瀬隆さんという方のことを追ったドキュメンタリー番組を録画したものでした。
  ご存知の方も多くおられることと思いますけれども、泰緬鉄道とは、太平洋戦争中、1942年〜43にかけてビルマ方面への補給路として旧日本軍が建設したタイとビルマを結ぶ鉄道です。この時、日本軍は、シンガポールなどで投降したイギリス、オーストラリア、オランダなどの連合軍の捕虜およそ6万人と、だまされて、あるいは強制的に連れてこられたアジア人現地労務者およそ25万人を、過酷な環境の下で強制労働させました。この結果、全長415kmの鉄道は着工から1年3ヵ月という異例の速さで完成しますが、それまでに、おそろしく粗末な食事による栄養失調、伝染病の蔓延に対する不十分な医療、現場監督者たちによる度重なる暴力などによって、およそ1万3000人もの捕虜が命を奪われ、数万人の現地労務者が犠牲となったのです。
  終戦直後、連合軍は墓地捜索隊を組織して、泰緬鉄道で行われた日本軍による戦争犯罪の解明に乗り出しましたが、この捜索隊に通訳として同行を命じられたのが永瀬さんでした。永瀬さんは、そこで日本軍が行った戦争犯罪の跡を目の当たりにし、犠牲者の慰霊をすることを心に堅く約束したと言います。そして、2011年に亡くなられるまで延べ135回もタイに慰霊に訪れ、元捕虜と元日本兵の和解の再会を実現させたり、クワイ河平和基金を設立し、私財を投げ打って2000人を超える看護学生などに奨学金を送り続けたりと、たった一人で戦後処理を荷われたのでした。
  こうした永瀬さんのことを扱ったドキュメンタリーの中で、最も私の印象に残ったのが、「ヘルファイヤー・パス」(「地獄の業火の峠」)と捕虜たちが呼んだ泰緬鉄道工事の難所、最も過酷な強制労働が行われたその慰霊地で、偶然、元捕虜のイギリス人グループと永瀬さんが出くわした時の場面です。会釈を交わし、慰霊地にお花を献げて手を合わせる永瀬さんのその様子を、元捕虜のイギリス人グループの方皆が「絶対に赦さないぞ」という怒りに満ちた目でぐっと睨みつけていたその表情が忘れられません。このように決して消えることのない憎しみが捕虜たちの中に動かしがたく残り続けている厳しい現実に、戦争の傷を癒し、和解を成し遂げるのには、いったいどれほどの努力が必要なのだろうかということを思わされました。
  だからこそ、私たちは決して戦争などしてはならないのでしょう。今、日本ではあれほどの反対があるにもかかわらず、安全保障関連法案が衆議院特別委員会で強行採決され、衆議院を通過し、戦争のできる国へと突き進みつつあります。こうした動きを正当化する理由として持ち出されるのが、緊迫したアジア情勢です。中国や北朝鮮の脅威に対抗していくためには、日本がアメリカと一緒に戦争のできる国になって、アメリカとの結び付きを強めておかなければならないという理屈です。たしかに、今のアジアには第二次世界大戦に由来する怒りや憎しみ、また、他を押しのけてまで自国の利権を求めようとする国家の欲望が渦巻いています。けれども、そのような中にあって私たちが取るべき道は、日本をアメリカと組んで戦争のできる国にして相手を威嚇、牽制する道では決してないでしょう。それはさらなる軍拡競争を生み出し、戦争へと道を拓いていくだけです。
  私たちは、キリスト者としてまことに平和を望みます。日本が過去に犯した戦争の過ちに真剣に向き合って、アジアの国々に怒りと憎しみを降ろしてもらえるよう最大限の努力をすることを望みます。そして、自国の利権のみを追い求める国々に、そうした国家の欲望を捨ててすべての国、すべての人々の幸せを追い求めるよう訴えていくことを望みます。このようにしてのみ、アジアの平和は成し遂げられるのではないでしょうか。神様は、怒りや憎しみ、国家の欲望、こうしたものが殺人、戦争へと繋がっていく前に、これらをすべて降ろして和解を成し遂げるよう、世界中のすべての人々に訴えておられる。平和聖日のこの一時、このことをしっかりと心に刻んで、平和のために祈り、行動していきたいと願います。

 
 
Copyright© 2009 Tokyo Fuchu Christ Church All Rights Reserved.