聖霊降臨節第22主日礼拝(2015年10月18日)説教要旨  
 

「愛を豊かに、命を豊かに」
(ヨハネによる福音書19章11〜27節)
北村 智史

 標記の聖書箇所(ルカによる福音書19:11〜27)の中で、主人、立派な家柄の人は、イエス様のことを表しています。肝心なのは、このイエス様が、「王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった」と言われていることでしょう。当時、人々はイエス様がエルサレムで王として即位され、ローマ帝国を打ち破り、人々の悔い改めと救いとを来らせて、すぐにでも神様の御支配をお始めになることを期待していました。けれども、実際は、イエス様はエルサレムで十字架と復活の出来事を通して「遠い国へ」と、すなわち神様の右の座へと旅立って行かれるのです。もちろん、イエス様はその後、終わりの時に、神様のもとで王としての栄光をお受けになって戻って来られますが、その再臨までの間を、人々はイエス様が不在の状態で過ごさなければなりません。そして、主人から一ムナずつ預けられ、「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」と職務を委ねられる十人の僕は、イエス・キリストを信じる信仰者の姿を表しています。主人が旅に出て不在の間、主人の言い付けを守って働いている僕、主であるイエス様が王として帰って来られることを信じて、イエス様に命じられたことを行いつつ生きている僕、それこそがこの世を生きる信仰者の姿なのです。イエス様の譬えにおいて、主人が預けたものを何倍にも増やした僕は誉められて、もっと大きな職務を与えられました。けれども、主人を恐れて何もしなかった僕は咎められ、厳しい裁きを受けました。イエス様はこのような譬えを通して、御自分が神様の右の座へと旅立って行かれて、再びこの世へと帰って来られるまでの間、怠惰に陥ることなく、御自分が預けたものを何倍にも増し加えて委ねた職務をしっかりと全うするよう、御自分を信じる人々にお教えになったのです。
  では、イエス様は神様の右の座へと旅立って行かれる際、何を私たちにお預けになったのでしょうか。イエス様が、御自分が帰って来るまで、「これを何倍にも増し加えなさい」と、「そうして、私が委ねる職務を、私の御心を行いなさい」と私たちにお預けになったものとは、すなわち標記の聖書箇所の中でムナに譬えられているものとははたして何なのでしょうか。
  私は、それは他でもない「神様の愛」だと思います。イエス様は天へと旅立って行かれる前、十字架と復活の出来事を通して、神様の愛をすべての人々に等しく、同じように与えて行かれました。イエス様は、私たちがこの愛を元手に御心を行い、この愛を何倍にも増し加えていくことを望んでおられます。私たちは、イエス様からいただいた神様の愛を何倍にも増し加えて、豊かな実りを生み出していかなければならないのです。
  では、振り返ってみて、私たちは普段どれほど愛の実りを豊かに生み出すことができているでしょうか。このことを思う時、私は今の世の中に溢れているある風潮について考えさせられます。この風潮について、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生は、『愛とゆるし』という著書の中で、次のような言葉を述べておられます。
「ヨハネの手紙一4章8節に『神は愛だからです』とあるこの神の『愛』というのは、『与える愛』です。神が私たち人類に対して与える愛です。その愛の概念が次第に変化してきて、『いただく愛』が愛の中心だというように変わってきたようです。」
  日野原先生のこの言葉にありますように、今の世の中には、愛と言えばそれはいただくものであるとして、既にイエス様の十字架と復活の出来事を通して与えられた神様の愛には目を留めることもなく、神様に、また人に愛を願い求めてばかりいる、そうして自分はちっとも愛を与えようとはしない、そのような風潮が蔓延しているのではないでしょうか。しかしながら、このような考えで、私たちはどうしてイエス様の御前に、愛の実りを豊かに生み出していくことができるでしょうか。私たちは今こそ、「受けるよりは与える方が幸いである」と仰られたイエス様のその御言葉を心に刻まなければなりません。私が好きなある漫画のキャラクターは、あるシーンで、「愛されることに意味があるのではない。愛することに意味があるのだ」というセリフを語っていましたが、これはとても味わい深い言葉だと思います。私たちはたくさん愛されることによって人生が、命が豊かになると考えていますが、実はそれ以上に、愛することによって人生というのは、また命というのは豊かになっていくものなのです。どれほど深く、またたくさん愛されたとしても、自分がちっとも愛さないような人生、命というものは、貧しいものでしかありません。私たち、ともすれば愛をいただくことばかり考えて与えることを蔑ろにしてしまいがちですが、愛を豊かに与えていくことは、人生を、また命を豊かにしていくこと。このことを深く心に刻んで、今からおよそ2000年前に十字架と復活の出来事を通してイエス様から等しく与えられた神様の愛を、標記の聖書箇所に出てきた怠惰な僕のようにただしまっておくのではなくて、何倍にも増し加えて豊かな実りを生み出していきたい。そうして、人生を、また命を豊かにしていきたいと願います。

 
 
Copyright© 2009 Tokyo Fuchu Christ Church All Rights Reserved.