燭火礼拝(2015年12月24日)メッセージ要旨  
 

「差し伸べる手を神様に贈ろう」
(ルカによる福音書2章1〜7節)
北村 智史

 標記の聖書箇所(ルカによる福音書2:1〜7)は、イエス様がお生まれになった時のお話です。イエス様はユダヤにお生まれになりましたが、当時このユダヤはローマ帝国というものすごく強大な国に支配されていました。そのローマの皇帝だったアウグストゥスという人が、このユダヤの人々から税金を取ろうとしました。けれども、税金を取ろうと思ったら、どこに誰が住んでいるかということをきちんと把握しておかなければなりません。それで、このアウグストゥスは、「皆自分の町に帰って、私はここの住民ですという登録をしなさい」という命令を出しました。それで、イエス様のお父さん、お母さんであるヨセフとマリアは、その時にいたナザレという所から、故郷であるベツレヘムという所に帰らないといけなくなりました。
 でも、マリアとヨセフにしてみれば、これはとても迷惑な話です。マリアは臨月の状態で子どもが生まれる直前の状態でした。それなのに、ナザレから100kmも離れた遠いベツレヘムまで旅をしろと言われるわけです。しかも、昔は今と違って自動車も電車もないから歩いて旅をしないといけなかったし、こういう旅は山賊や強盗もいたからものすごく危ないものでした。二人はそんな無茶な旅を、ただ税金を取られるためだけにさせられたわけです。
そんな理不尽で過酷な旅をしている途中で、マリアはお腹が痛くなり、「もうイエス様が生まれる」というような状態になりました。そこで二人は急いで宿屋に行きましたが、そこには泊まる場所が無くて、マリアは仕方なしに家畜小屋の中でイエス様を産んで、飼い葉桶の中に寝かせました。これがルカによる福音書2:1〜7に記されているお話です。
 このお話を読むたびに、私は、子どもが生まれそうになって駆け込んだ宿屋に、マリアとヨセフ、二人の泊まる場所が無かったというのが気になります。なぜ、宿屋には二人の泊まる場所が無かったのでしょうか。たまたま部屋がいっぱいで、空いてなかったのでしょうか。でも、目の前の人が子どもが生まれそうになっていて、大変な状況にあるわけです。それなのに、誰一人として「どうぞ、どうぞ、私たちと一緒に泊まりましょう」と手を差し伸べてくれなかったのでしょうか。当時、ヨセフの大工という仕事は貧しくて差別されてもいたから、二人も差別されて、宿屋の主人に「あなたたちに貸す部屋なんかない」というようなひどいことを言われたのかもしれません。そして、泊まっていた他の人たちも、「あんな人たちに関わるのは止めておこう」と、手を差し伸べるのを止めてしまったのかもしれません。いずれにしても、子どもの命が危ない、母親の命が危ないという差し迫った状況の中で、誰も手を差し伸べてくれないという大きな悲劇がここにはあったのだと私は読むたびに感じるのです。
 では、大変な思いをしているマリアとヨセフを前にして、手を差し伸べることをしなかった宿屋の人たちのその根底にあった思いとは、はたして何だったのでしょうか。それは、「二人に部屋を差し出せば、自分が面倒なことになるかもしれない」という気持ちに他なりません。愛するというのは、たしかに時間も労力も取られるし、それによって自分が一緒に差別されるかもしれない、傷つけられるかもしれない、そんな危険も伴う、ある意味ではとても勇気のいる行動です。だから、私たちは目の前の人が本当に愛を必要としているにもかかわらず、つい、 ―愛というのは自分のこと以上に他人のことでもあるのに、自分ばかりを主語にしてしまって、―「この人に手を差し伸べたら、はたして自分はどうなるだろうか」という不安にばかり心を囚われてしまいます。そして気がつけば、愛することよりも自分を守ることばかり考えてしまっています。標記の聖書箇所のお話は、そんなふうにして、「もし自分がこの人に手を差し伸べなかったなら、はたしてこの人はどうなるだろうか」という肝心のことを私たちが見失ってしまった時に、愛を必要とする目の前の人を置き去りにしてしまう、目の前の人の隣人であることを止めてしまう、そんな悲劇が起こるのだということを私たちに教えてくれているのではないでしょうか。
 イエス様は今からおよそ2000年前、そんな悲劇のただ中にやって来られました。そして、苦しんでいる人、辛い思いをしている人が誰一人として置き去りにされないように、危険も顧みずに目の前の人に関わっていく深い愛を示されました。愛することに憶病になってしまう時、このイエス様が今も私たちと一緒にいて、「勇気を出して」、「手を差し伸べてあげて」、「皆、愛を分かち合うことを必要としているのだよ」と、私たちの心を懸命に励ましてくださっているのを感じたいと思います。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネによる福音書15:12a)。クリスマスのこのひと時、イエス様がかつてその生涯の中で仰られたこの言葉をしっかりと噛み締めましょう。そして、イエス様というプレゼントのお返しとして隣人に愛を差し伸べていく手を神様にプレゼントしていきたいと願います。

 
 
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