降誕節第5主日(2017年1月22日)説教要旨
 

「神様に委ねて」
(マタイによる福音書6章25〜34節)
北村 智史

 標記の聖書個所(マタイによる福音書6:25〜34)の中で、イエス様は人々に「思い悩むな」と仰いました。この言葉は、生きていくための私たちの営みがどうでもいいという意味では決してありません。それは、生活を営んでいくために思い悩む一つ一つの事柄に心が散ってしまい、いっぱいになってしまって、いつの間にか神様に仕えるのではなくて、心配事に仕えるかのようにして生きるようになってしまう、そのようなことのないように私たち一人ひとりに呼び掛ける温かな配慮に満ち溢れた言葉なのです。イエス様はこの言葉によって、たとえ人生に理不尽と思える出来事が起こるとしても、御自身の十字架と復活の出来事によって、どんなに絶望的と思える出来事の先にも必ず希望が存在していることを示してくださった方、貧しく小さくされている者の現実のただ中に御自身の方から寄り添って来られる方、この方にすべての重荷を背負っていただきながら、今という時を精一杯神様の愛に輝いて生きていくよう、私たちに呼びかけられました。このようにして神様に自分の根本から支えられる時、私たちはいかなる時も、心と視野を狭くして神様のこと、隣人のことを見失ってしまうことなく、また希望を見失ってしまうこともなく、ただ神様の御旨が成るようにという観点から、互いに愛し合いつつ、皆で一緒にこの世の現実と徹底的に向き合って乗り越えていく強さが与えられていくのでしょう。
  ではここで、私たちの日常を振り返ってみて、私たちはどれほど神様に重荷を委ねて、神様の御旨に耳を傾けながら日々の生活を過ごすことができているでしょうか。このことを思う時、私は、私たちの信仰生活に動かし難く存在しているある事実を思い浮かべます。それは、イエス・キリストの十字架と復活の出来事によって罪を贖われ、終わりの日には私たちは救いへと招き入れられるのだということが約束されていても、そして、この約束をどれほど固く信じていても、その中間時を生きている私たちには、神様の御旨とはかけ離れた理不尽な出来事に見舞われることが残念ながらあるという事実に他なりません。
こうした現実の中で、私たちは気がつけば自分のことで頭がいっぱいになってしまい、何が神様の御心であるのかを考える心も、隣人を思いやる心も無くしてしまって、人とぶつかったり、人を赦せなくなってしまったり、人に寄り添うことから逃げてしまったりと、神様がこうであって欲しい、このようにして欲しいと望まれる隣人愛の姿から遠のいてしまっていることが多々あります。しかし、このように私たちが心を閉ざしてしまうことは、どれほど神様を悲しませることでしょうか。神様は「明日のことまで思い悩むな。あなたが思い悩むのはその日その時の苦労だけで十分なのだ」と仰るくらい、私たちの重荷を背負いたいと願っておられる、そして、私たちを通して御自分の国、御自分の義を成し遂げたいと切に願っておられるのです。
  このことに関連して、神様に対するまったき信頼のうちに御自分を隣人に与え尽くされた偉大な先人であるマザー・テレサは、「主よ、わたしが飢えているときに」と題して、次のような祈りを神様に対して捧げています。

   主よ、わたしが飢えているとき
    食べ物を必要としている人を与えてください
   わたしが渇いているとき
    水を必要としている人を送ってください
   わたしが寒いとき
    温められることを必要としている人を送ってください
   わたしが傷ついているとき
    慰めを必要としている人を与えてください
   わたしの十字架が重くなってきたとき
    他の人の十字架をいっしょに担わせてください
   わたしが貧しいとき
    必要なものを欠いている人をわたしのところに導いてください
   わたしに時間がないとき
    少しでも奉仕できるようにだれかを送ってください
   わたしが侮辱されているとき
    賞賛できるだれかをわたしに送ってください
   わたしが落胆しているとき
    勇気づけられることを必要としている人を送ってください
   わたしが理解されたいと思っているとき
    わたしに理解してほしいと思う人を与えてください
   わたしが世話を必要としているとき
    世話をしてほしいと思う人をわたしに与えてください
   自分のことだけを考えているとき
    わたしの思いを他の人たちへ向けてください
  教会創立70年を迎える今日、私たちは彼女のこの祈りを心に刻み付けたいと願います。教会創立70周年記念感謝会では、きっと様々な東京府中教会の今後の展望が語られることでしょう。私自身も、新来会者を洗礼に導いていくことに力を入れたいとか、教会をもっともっと一人ひとりの魂の慰めの場として備えていきたいとか、若い世代に信仰を伝えていきたいとか、社会問題に無関心ではない、積極的に関わっていく教会を作り上げていきたいとか、様々な展望を持っています。しかし、いずれの展望を思い描くにせよ、神様に重荷のすべてを委ねるということ、そしてどのような時にも自分たちのことでいっぱいになってしまうことなく、隣人愛を忘れることなく歩むということを教会の基本として大切にしていきたいと思うのです。今後も私たちの歩みには、また教会の歩みには、様々な困難が立ちはだかってくることでしょう。それでも、臆することなくすべての重荷を神様に委ねて、どんな時にも神様の御旨が成るように隣人に仕えていきたい、目の前の現実に誠実に向き合っていきたい、そうして神様の愛を皆で一緒に輝かせていきたいと願います。これからも、皆で一緒に神の国と神の義を追い求めていきましょう。神様はいつも、私たちと共にいてくださいます。

 
 
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