復活節第1主日(2017年4月16日)説教要旨  
 

「神様との約束を深めよう」
(マタイによる福音書28章1〜10節)
北村 智史

 標記の聖書個所(マタイによる福音書28:1〜10)で、婦人たちは天使にもイエス様にも、弟子たちが復活のイエス様に会う場所としてガリラヤという場所を示されました。ガリラヤに行った弟子たちは、復活のイエス様に出会い、次のような言葉をかけられます。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。・・・」(マタイ28章19〜20節)この言葉は、イエス様の大宣教命令と呼ばれています。弟子たちはイエス様にこの言葉をかけられて、自分を通して神様の福音を宣べ伝えていくこと、そうして人々を洗礼に導いていくことを約束したのでした。
 忘れてはならないのは、今からおよそ2000年前に復活のイエス様が弟子たちに語られたこの大宣教命令の言葉が、今の私たちにも投げかけられているということでしょう。イエス様の大宣教命令の言葉は、日本基督教団の式文では洗礼の際に用いられる聖書個所の一つとされているのですが、洗礼はイエス様のこの大宣教命令に基づいて行われる儀式であり、この大宣教命令をリレーのバトンのように受洗者に譲り渡していく儀式でもあります。私たちは洗礼の際、イエス様の大宣教命令の言葉を受け入れて、生涯、三位一体の神様を信じ続けること、また自らの人生でもって神様の福音を証しし続けていくことを神様に約束するのです。イエス様の復活を覚えるイースターの日というのは、私たちがこの約束に立ち帰る日、そうしてこの約束を深めていく日でもあるのではないでしょうか。
 そして、この約束を深めるということに関連して、私はある夫婦のお話を思い浮かべるのです。その夫婦は、毎年、結婚記念日に、結婚式の時に着た衣装を身に着けて、自宅の居間で写真を撮っていました。この夫婦はこれを生涯にわたって続けていこうと計画し、撮った写真は一つのアルバムにまとめていました。
 5回目の結婚記念日、二人は隣の家の友人に写真を撮ってもらいました。最初の4年間はプロのカメラマンに写真を撮ってもらっていましたが、その年、彼らは経済的に恵まれていなかったのです。夫の方は失業中で、妻がやっとのことでパートタイムの仕事を得ていただけでした。その上、二番目の子どもは医者の世話になっていました。二人は結婚式の誓いの言葉を一緒に繰り返しながら撮影を始めました。「私は、神と証人の前で、幸いな時も災いに遭う時も、豊かな時も貧しい時も、病む時も健やかな時も、死が二人を分かつまで、あなたを愛する誠実な〔妻として/夫として〕生涯を送ることを約束し、誓います」。貧しい時も。この言葉が友人のカメラのフラッシュのように彼らの中で輝きました。そして、二人は互いに目と目を見交わしました。「私たちは約束した」。
 それから10年後。彼らの経済状態はずっと良好なものになっていました。夫は良い仕事を手に入れましたし、妻の方は新たに学校に入り直し、好条件の非常に良い職を得たばかりでした。けれども、夫婦は互いに辛辣な言葉を交わし合っていました。二番目の子どもは、さんざん病院通いを続けたにもかかわらず、とても具合が悪くなっていました。二人は互いに言い合いました。「自分の仕事にばかり気を取られていないで、少しは家族のために時間を取ってくれていたら、こんなことにはならなかったのに……」。それでも、二人は結婚式の誓いの言葉を一緒に繰り返しながら、撮影を始めました。10年前の「貧しい時も」と同様、「災いに遭う時も」という言葉が強い光彩を放ちました。そして再び、二人は互いに目と目で語り合ったのです。「私たちは約束した」。
 それからずっと時が経ち、最後に、彼らの47回目の結婚記念日についてお話しをしましょう。二人はもう50回目の記念日を迎えることができるかどうか分からない状態でした。夫の方は既に二度心臓発作を起こしていましたし、妻の手は関節炎で曲がっていました。それでも、二人は結婚式の誓いの言葉を一緒に繰り返しながら、撮影を始めたのです。「病む時も……死が二人を分かつまで……」。あの結婚式の日には、二人の口からたやすく滑り出た言葉が、今は重い意味を持っています。お互いの瞳を見つめ合いながら、二人は結婚記念日のアルバムに貼った何枚もの貴重な写真より、もっと美しい何かを見ていました。それは破られることのなかった約束によって与えられた恵みと栄光そのものでした。
 この夫婦のお話が、神様との約束の重みを、そしてこの約束が守り通された時、どれほど素晴らしい恵みと栄光が私たちに与えられるかを物語ってくれています。私は洗礼とは、神様との結婚のようなものだと考えています。私たちは洗礼を通して、一人ひとり、幸いな時も災いに遭う時も、豊かな時も貧しい時も、病む時も健やかな時も、三位一体の神様を愛する誠実な者として生涯を送ること、そして、その生涯でもって福音を力強く証ししていくことを約束し、誓うのです。人生には様々な時があります。いつも順風とは限りません。貧しい時もあれば、災いに遭う時も、病む時だってあるでしょう。とてもではないが、神様を信じることのできない時だってあります。そのような中にあって、私たち、イースターという記念日を、「私たちは約束した」と、洗礼の約束に立ち帰る、そうしてその約束を深めていく記念日として備えていたいと願います。願わくは、幸いな時も災いに遭う時も、豊かな時も貧しい時も、病む時も健やかな時も、私たちが破られることのない約束の与える恵みと栄光とを知ることができますように。願わくは、永遠の契約を私たちと結んでくださった神様が、私たちが生涯にわたって神様との約束を守り通す力を与えてくださいますように。イースターのこの日、洗礼という原点に立ち帰り、これからの復活節をまた神様との約束の内に歩んで行きたいと願います。

 
 
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