復活節第5主日(2017年5月14日)説教要旨  
 

「父に至る道」
(ヨハネによる福音書14章1〜11節)
北村 智史

 ヨハネによる福音書14:2〜3で、イエス様は御自分が十字架に上げられて、その後復活し、天へと帰っていく目的を弟子たちに次のように打ち明けられました。
  「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」
  イエス様のこの言葉に示されているように、イエス様が十字架と復活を経験され、天へと帰って行かれるのは、父なる神様がいらっしゃる天上に弟子たちの永遠の住まいを用意するために他なりません。イエス様の十字架と復活の出来事によって罪を贖われ、神様と和解させていただいた私たちは、今度はイエス様の昇天の出来事を通して神様の御許に永遠の住まいを用意され、そこで神様、イエス様を喜びながら安らかに憩うことを許されるのです。こうして、イエス様の手により、永遠の命の祝福が完成します。このことは、私たちにとって、なんと大きな恵みでしょうか。
  私たちはこの地上に生きるかぎり、多かれ少なかれ自分たちの「住む所」のことを心配しなければなりません。多くの人々は家賃やローンを払い続けながら、やっと小さな住処を確保します。そして、晩年になってもなお、どこに住むかということは深刻な問題として私たちにのしかかります。また、精神的な意味においても、私たちは地上において、自分が心から安住できる居場所を探し求めています。私たちはそれぞれに自分のいるべき場所をこの地上に確保するために必死になっていますが、多くの人々がそれを見出せないでいるのです。
  しかし、イエス様は言われます。「天国は住宅難ではない」と。そこには住むべき場所がたくさんあります。そして、それは私たちの最終的な安住の家となるのです。そこで私たちは主に守られて、深い平安と慰めを得、孤独から解放されてすべての人々と共に永遠の喜びの内に生きる者となることでしょう。たとえ私たちがこの世に安住の家を見出せないとしても、そのような住まいがイエス様によって用意されているとは、なんと喜ばしいことでしょうか。では、私たちはどうしたら、この永遠の住まいに辿り着くことができるのでしょう。
  イエス様は言われます。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と。神様のもとにある永遠の住まい、また永遠の命に至る道、それは御自分を通って行く道、御自分の十字架に救いを依り頼んで行く道、ただ一つだと言うのです。
  しかしながら、ここで私たち自身を振り返ってみれば、私たちは普段、どれほどイエス様の十字架に自らの救いをお委ねして生きることができているでしょうか。イエス様は十字架の出来事を通して、無償で私たちを救ってくださいました。にもかかわらず、私たちはそのことを忘れて、まるで自分の行いや業績が自分を救ってくれるかのように思い違いをして生きてしまってはいないでしょうか。
  私たちが生きている社会。それは絶えず人と比べられる過剰な競争社会であり、人間の価値を成功や生産性の度合いで計る社会と言うことができるでしょう。そこでは常に、「肩書きは何ですか?収入はどのくらいですか?何人の友達がいますか?業績は?どのくらい忙しいのですか?あなたの子どもは何をしていますか?」などと尋ねられます。そうして、人よりも優れている点を挙げて、自分に価値があることを証明し続けていくことを強いられます。そして、他人よりも劣っていると思われる点に直面すると途端に、自分はだめだと自己否定の思いに囚われてしまいます。こうしたネガティブな思いから逃れるためには、さらに行いや業績を求めて行くしかありません。そこで、人は余計に成功や名声、権力といったものを追い求めます。こうした行いや業績が、自分を救ってくれるものであるかのように魅力的に映るのです。
  しかしながら、このような生き方では、私たちはやがて自分自身に失望することを避けられません。年を取るにつれて、私たちは肩書きを失い、友だち、業績、多くのことをする能力を失っていき、何といっても、だんだんと弱くなり、もろくなり、依存的になっていくことを避けられないからです。行いや業績を頼りにする生き方では、私たちは救いに至ることはできません。イエス様の十字架の恵みに依り頼む信仰、生き方のみが、私たちをまことの救いへと導いてくれるのです。
  イエス様の十字架の恵みを頼りにする生き方。それは、十字架を通して聞こえてくるイエス様の愛の御声に常に耳を傾け続ける生き方に他なりません。「あなたは私にとってこの上なく価高く、貴い人。あなたを罪の滅びの中に失っていくことは、自分が死ぬよりもはるかに辛いことなのだ」。このイエス様の愛の御声に耳を傾け続けることこそ、私たちを神様のもとにある永遠の住まい、永遠の命に至らせてくれる唯一の道なのです。行いや業績で人の価値を計ろうとする考えが溢れる中、様々な自己否定の声に惑わされることなく、イエス様の愛にいつもしっかりと抱かれていたいと願います。イエス様の十字架の恵み、その愛を頼りに、父なる神様の御許に至る道を皆で一緒に歩んで行きましょう。

 
 
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