聖霊降臨節第10主日・平和聖日礼拝説教要旨(2017年8月6日)
 

「和解の任務」
(コリントの信徒への手紙一5章14節〜6章2節)

北村 智史

 標記の聖書個所(コリントの信徒への手紙二5:14〜6:2)の中で、パウロは、神様が私たちを無償で御自分と和解させられたばかりでなく、「和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」と語っています。このことは、非常に大切です。神様がイエス・キリストの十字架の御業を通して、私たちを無償で御自分と和解させられたとは言え、私たちの側がこの和解のことを知らず、神様に背を向けたままでは、いつまで経っても和解は成立しません。すべての人々がイエス・キリストの十字架の御業のことを知り、神様の側から提供されたこの和解の恵みを謹んで受け入れ、おしいただくように、キリスト者には、キリストの使者として「和解の言葉」、和解の福音を宣べ伝えていく義務があるのです。そして、パウロは、決していかがわしい者ではない、この義務を遂行するキリストの使者、正統な使徒として、正統な福音信仰から逸れてしまったコリントの教会の人々に、和解の福音に立ち帰り、これを受け入れて神様と和解させていただくよう勧めるのです。「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」。その恵みを、決して無駄にしてはならない。これが、標記の聖書個所に込められたパウロのメッセージでした。
  こうした本日の聖書個所を読みまして、私は本当に自らが神様の和解を心でもって受け入れているか、そうして神様と和解した生活をしているか、襟を正される思いがいたしました。そうして、キリスト者として神様との和解を宣べ伝えていくことの大切さ、人を神様と和解させていくことの大切さを改めて知らされた次第です。けれども、同時に、私たちは人とも和解しているだろうか、人との和解も人々にしっかりと宣べ伝えているだろうかということも思わされました。
  マタイによる福音書5:23〜25には、次のようなイエス様の御言葉が記されています。「だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい」。イエス様のこの御言葉は、人との和解なくして神様との和解もないのだということを、今を生きる私たちに教えてくれているように思います。神様との和解を宣べ伝える私たちキリスト者は、人との和解も人々に広く宣べ伝えていかなければなりません。
  しかしながら、平和聖日という今日この日に、日本とアジアとの関係について振り返ってみれば、日本は本当にアジアの隣人と和解ができているでしょうか。そこには、先の戦争によってできた溝が、今も大きく横たわっているのではないでしょうか。日本とアジアとの和解を妨げている原因、それは過去に自らが犯した過ちにしっかりと誠実に向き合ってこなかった日本の態度にあると私は思います。
  実際、日本は国家として、20世紀の前半に行った悪、不正、罪を本当に悔い、反省してはいないのではないかと思われる現象、出来事が今なお多すぎます。ずさんな歴史教科書、その検定、韓国、中国などからの度重なる抗議、批判を傲然と無視して戦犯も合祀されている靖国神社公式参拝を続ける日本の総理大臣、現代の治安維持法とも言われるいわゆる共謀罪法案の制定等々、この種の例は枚挙に暇がありません。
  こうした中にあって、日本の実に多数の人々が、自分たちに現代史の負の債務の問題があることすら気付かず、あるいはそれを問題と受け取らず、これを歪曲したり、記録から抹消したりしようとすらしています。このような有り様で、私たちはどうしてアジアとの和解というものを成し遂げていくことができるでしょうか。過去の失策、忘れたい暗い過去を、背後に押しやってうやむやにするようなやり方では、私たちはいつまで経ってもアジアの隣人たちと和解することはできません。
 かってヴァイツゼッカー大統領は、ドイツ敗戦40周年にあたって西ドイツ連邦議会で行った演説で、このように語りました。「過去に対して眼を閉ざす者は現在に対しても盲目になります。過去の非人道的歴史を心に刻むことを拒もうと欲する者は、またもや同じような病に感染する危険を冒すのです。」
ヴァイツゼッカー大統領のこの言葉をよく噛み締めて、私たち日本人はすべからく過去の歴史をしっかりと受け止めなければなりません。そのようにしてのみ、私たちは正しく現在、未来を切り開いていくことができるのです。過去の過ちを離れて、アジアの隣人との和解の道を歩んで行くことができるのです。
  祖国が、戦後の歴代の指導者たちが、また国民の大多数が、今日なお日本の現代史を誠実に直視することを怠り、拒んでいる状況のただ中にあって、私たち、キリスト者として、神様に和解の任務を与えられた者として、過去の負の遺産を誠実に正視するよう、そしてそこから具体的な行動を起こしていくよう訴えていきたいと思います。そうして、「一人の人間でも民族間の和解のために何ができるか、何をすべきか」ということを、皆で一緒に考えていきたいと願います。
 近年、アンネ・フランクの伝記を執筆したメリッサ・ミュラーは、その序文に、「第二次世界大戦終結以来地球上のどこかで戦争がなかったのはたったの四日である」と、衝撃的な事実を書き記しました。本当に、私たちはいつになったら歴史から学べるのでしょうか。自らの国の歴史をしっかりと見つめ、このアジアから、戦争のない平和な日々を創り出していきたいと願います。

 
 
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