聖霊降臨節第1主日ペンテコステ礼拝(2018年5月20日)説教要旨
 
 

「神様にとってあなたは Onry one」
(使徒言行録 2章1〜4節・ルカによる福音書15章1〜7節)

北村 智史

 マルコ使徒言行録2:1〜4に記されているように、ペンテコステの日にイエス様の弟子たちは、色々な国の言葉を話せるようになりました。しかし、弟子たちがイエス様のことを宣べ伝えるのに用いたのは決して言葉だけではなかったように私は思います。聖書には、ペンテコステの後、イエス様の弟子たちが心を一つにして神殿にお参りしたり、喜びと真心をもって一緒に食事をして神様を讃美したりしている姿を見て、多くの人が仲間に加わったと書かれています。このように、イエス様の弟子たちは、互いに愛し合い、仕え合うことによってもイエス様のことを力強く宣べ伝えていったのでした。
  愛というものは言葉以上に、また言葉の壁をも超えてイエス様のこと、またその愛を伝えてくれるものではないかと私は思います。私たちもまた、神様が自分を愛してくださっているのを感じて、そのままその温もりでもって身近な人に接する、身近な人を愛するようになりましょう。そうしてイエス様の弟子たちと同じようにイエス様の愛を伝えていきたい、そのために神様に用いられていきたいと願います。
さて、このようにペンテコステというのは、宣教への思いを新たにする日ですが、この日に私は、教会がこの世に対して打ち出すメッセージを明確にしたいと思います。はたして、私たちは言葉で、愛で、どのようなメッセージを人々に伝えて、神様、イエス様の愛を宣べ伝えていくべきなのでしょうか。私はそれは、神様にとってあなたはかけがえのないonly oneの存在であるということだと思います。
  ここで今を生きる私たちの状況を振り返ってみれば、そこには自己評価の低さに苦しむ人たち、自分で自分を愛することのできない人たちで溢れているのではないでしょうか。聖書には、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉が出てきますが、今の時代には、自分すら愛することができないで苦しんでいる人たちがいっぱいいるように私には思えます。今の時代のこのような状況に対して、聖書は何を物語るでしょうか。このことを知るために、私はここでルカによる福音書15:1〜7を取り上げたいと思います。
「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た」。ここで「罪人」とあるのは、何か犯罪を犯したという訳ではなく、病や障がいなどを理由に、宗教的に「罪ある者」、「汚れた者」とレッテルを貼られてしまった人々のことです。徴税人もまたこうした罪人の一人に数えられ、人々に忌み嫌われていました。すると、案の定、ファリサイ派の人々や律法学者たちが、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言い出しました。そこで、イエス様が語られたのが、有名な「『見失った羊』の譬え」です。
  「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」。ここで見失われる一匹の羊は、「罪人」とレッテルを貼られてしまった人のことを意味しています。周囲から「罪人」、「汚れた者」と蔑まれ、忌み嫌われ、自分でも「こんな自分は神様に救われないだろう」と思い込んでいる、そのようにして神様のもとから見失われようとしている人に他なりません。他に99人が御自分のもとにいるから良いというのではない。神様は何としてでもこの人を御自分のもとに招き入れようと八方手を尽くされる。神様にとって、まさにこの人は取り換え不可能な存在、only oneの存在です。イエス様はこのようにして、他人から「こんな人は救われないだろう」と蔑まれている、そうして自分でも「こんな自分は救われないだろう」と思い込んでいる「罪人」とレッテルを貼られてしまった人々こそ、すなわち御自分の前から見失われようとしている人々こそ、神様はかけがえのない愛を豊かに注がれるのだということを人々に告げ知らせたのでした。
  大切なのは、神様のこの愛が、今の私たち一人ひとりにも惜しみなく注がれているということでしょう。今の私たちもまた、過剰な競争社会の中で疲れ果て、「こんな自分は、神様からも誰からも愛されないだろう」と思い込んでいる一人ひとりです。そうして、神様のもとからさ迷い出て、放蕩息子のようになっている一人ひとりです。けれども、神様はそんな私たちをこの上なく愛し、方々捜し回って見出してくださいます。そうして御自分のもとへと連れ帰ってくださいます。
  願わくはこの礼拝の一時、ここに集うすべての者が神様の愛を受け入れてくださいますように。そうして、神様の温かな懐に立ち帰ってくださいますように。この世界には70億人を超える人がいると言われていますが、たとえ69億9999万9999人が救われても、他でもないあなたが救われなければ、神様は決して御自分の御業を止めようとはなさらないのだ。それほど神様にとってあなたはonly oneの存在なのだ、大切な存在なのだという聖書のこのメッセージを、今日より始まっていく聖霊降臨節のシーズン、教会のメッセージとして広く宣べ伝えていきたいと願います。

 
 
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