クリスマス燭火礼拝説教要旨(2018年12月24日・17:00〜)

 
 

「平和はいづれの生き方から」
(ルカによる福音書2章1
〜20節・マタイによる福音書2章1〜12節)
北村 智史

 クリスマスのお話には、様々な人物が登場します。今日はせっかくですので、これらの人物を取り上げながら、今から2000年前にイエス様がどのような人々の所にやって来られたのかを明らかにしていきたいと思います。
 さて、ルカによる福音書2:1〜7に記されているイエス様の降誕の場面では、まず初めにアウグストゥスという有名なローマの皇帝が登場します。また、マタイによる福音書2:1〜12には、ヘロデという人物が登場します。この二人に共通していることは、彼らが共にナンバーワンを求めて蹴落とし合う世界に身を置いているということです。弱肉強食の世界を勝ち抜き、この地上の王国で最高の位置を占めること、彼らにとってはそれが一番の目的でした。そして、彼らは、強者の立場から弱者を抑圧して生きたのです。そんな彼らは、イエス様にまみえることはできませんでした。イエス様がやって来られたのは、こうした人々の所では決してありません。
  クリスマスのお話には、彼らとははっきりと異なる別の立場の人々が出てきます。マリアとヨセフ、羊飼い、東方の学者たちです。彼らは当時の世界の中で、弱者の立場に置かれていました。
  見逃すことができないのは、生まれたばかりの幼子イエス様にまみえたのは、こうした弱者の立場に置かれた人々だったということでしょう。実に、イエス様は、この世の小さき人々の所においでになったのです。それは、彼らに解放をもたらすために他なりません。
  大切なのは、こんな風にイエス様によって神様の愛が示されたことにより、マリアとヨセフ、羊飼い、東方の学者たち、こうした人々がオンリーワンの存在になったということでしょう。これらの人々は、誰もこの世のナンバーワンではありえません。むしろこの世の支配者に属する人々がその気にさえなれば、いとも簡単に、それこそ紙屑のように殺されてしまいかねない世の中の大衆の一人です。あるいは、もっとひどいかもしれません。彼らは、世の中の人々にその存在の価値すら認められなかった小さき人々です。しかし、神様は、そんな彼らにだけ、御自分の愛する御子イエス・キリストと出会わせてくださいました。他でもない神様が、自分のことをこれほどまでに愛してくださっている。しかも、他の人では取り換えの効かないオンリーワンの存在として。彼らはこのことを、身を以て体験したのです。マリアもヨセフも、羊飼いも、東方の学者たちも、イエス様に出会った後、この神様の愛を心に刻んで、その後の人生を歩んでいったことでしょう。その意味で、彼らは、ナンバーワンを求めて互いに蹴落とし合う弱肉強食の世界とは無縁の人々です。自分自身、神様に愛されたかけがえのない存在として、同じように神様に愛されているかけがえのない隣人たちと互いに愛し合い、連帯し合う世界、そんなオンリーワンの世界に生きる人々です。
  また、彼らは神様の御心に素直に従っていく人々でもありました。マリアとヨセフは、天使の言うことを信じ、その通りに行動しました。羊飼いも、天使の言うことを信じ、これに応えて幼子イエス様に会いに行きました。東方の学者たちも、星の導きに自らを委ねて行動しました。彼らは、神様の啓示に応答する人々です。神様が御心を示されれば、それに応えて行動する用意のある人々です。
  さて、このように本日の聖書個所を、登場人物に注目してみていけば、片方にヘロデ、アウグストゥスといった、ナンバーワンを求めて生きる、ナンバーワンの世界に生きている人々がいて、もう片方に、マリアやヨセフ、羊飼い、東方の学者たちといった、オンリーワンであることを大切にしながら生きる、オンリーワンの世界に生きている人々がいることを思わされます。では、この世界の平和は、いずれの生き方から生み出されてくるものなのでしょうか。
 ここで、今を生きる私たちのこの世界を振り返ってみれば、そこには、ヘロデの生き方、アウグストゥスの生き方がそこかしこに溢れていることに嫌が上でも気付かされます。個人同士でも、国と国同士でも、ナンバーワンを求めて互いに競い合い、蹴落とし合う。その中で、多くの争いが生まれ、多くの人々が傷ついています。そして、愛が蔑ろにされています。こうした中にあって、私たち教会は、改めてオンリーワンの生き方の方を広く宣べ伝えていかなければならないのではないでしょうか。
  自分は神様に愛されているかけがえのない存在だということを自覚する。そして、他の人も、自分と同じように神様に愛されているかけがえのない大切な存在であることを心に留める。そして、神様に愛されている者同士、連帯し合う。そうして、この世にある、人を貧しく小さくさせる現実から一つずつ共に解き放たれていく。平和はその先に実現するものでしょう。
 クリスマス燭火礼拝を捧げておりますこの一時、神様の御心とは何か、神様は私たちにどのような生き方をすることを望んでおられるのか、改めて共に考えましょう。そうして、この世界を弱肉強食の世界から、まことに愛に溢れた連帯の世界へと変えていきたいと願います。

 
 
Copyright© 2009 Tokyo Fuchu Christ Church All Rights Reserved.