復活節 第1主日(2019年4月21日)礼拝説教要旨
 

「神様の正義」
(ルカによる福音書 24章1〜12節)

北村 智史

 標記の聖書個所(ルカによる福音書24:1〜12)は、イエス様が復活される場面です。この箇所を読めば、たとえイエス様が復活なされても、イエス様が直接姿を現されるのではない、墓が空であっただけのこの段階では、誰もその復活を信じられなかったことが分かります。イエス様の復活は、人々にとってそれほど信じがたい出来事でした。けれども、イエス様はこの後、弟子たちにその姿を現されて、御自身の復活を彼らが信じるまでに至らせたのです。
  私は思います。聖書がもしイエス様の十字架の死で終わっていたら、いったいどうなっていただろうかと。このことについて、聖書学者の山口雅弘先生はこんな言葉を語っておられます。「イエスの十字架の死がすべての終わりであるならば、結局は愛とか正義と言っても虚しい。力の強い者が弱い者を征服してしまう。そして、自分ではどうすることも出来ない脆さや弱さ、醜さと偽りを持ちながら生きざるを得ません」。
 これが、聖書がイエス様の十字架の死で終わっていた場合の現実です。しかし、実際、そうはならなかった。誰もが絶望したイエス様の十字架の出来事の先には続きがありました。神様は今からおよそ2000年前の今日、イエス様を墓の中から蘇らせたのです。イエス様の復活。それは、この世の権力者が拒絶したイエス様を神様がお受け入れになって報いられたということです。そのようにして、神様は御自分の正義を示されました。今、この世界は自分の御心とはかけ離れた罪の現実で溢れているけれども、自分はこの世界を、そんな不正義が溢れたままにはしておかない。必ずこの世界に自分の正義を実現させる。神様はイエス様の復活の出来事を通して、私たちにこのように語りかけておられます。イエス様の御復活、それは神様が不正と暴力のはびこるこの世界を浄化する、そうして神の国をこの地に打ち建てる働きをお始めになったこと、そしてそれと共に死者の復活が始まったことを私たちに証しする出来事に他なりません。
であるならば、私たちはイエス様の復活を通して、大きな慰めと希望を与えられるでしょう。神様は神の正義を追い求めて生きられたイエス様が、人間の不正義の中で死んだままでいることをお許しにならなかった。イエス様を蘇らせ、最後にはこのように御自分の正義がこの地に打ち建てられることをお示しになった。そうして、死者の復活とこの地に神の国を成し遂げていく浄化運動をお始めになった。私たちキリスト者は、いつもこのことに希望を置きます。
 こんなことを言うと、ある人はこう言うかもしれません。「そうは言っても、この世界は人間の罪に溢れていて、ちっとも希望が見えないじゃないか」と。たしかに、ここで私たちが生きている今のこの世界について振り返ってみれば、そこには、まだまだ神様の御旨が成るには程遠い様々な罪の現実が至る所に存在していることに気付かされるでしょう。 
 ある牧師は説教の中で、私たちが生きている今の世界について次のような言葉を語っています。「ある意味で、現代世界は、ピラトやローマ帝国の時代以上に、政治的にも経済的にも社会的にも大規模で複雑な、混乱や暴力が支配している世界であり、自分たちの利益や満足のためには周囲の人々やほかの国々のことなど顧みようともしない世界であり、貧しい者、弱い者、子どもたちが虐待され、ないがしろにされている世界でもあります。この二〇〇〇年間、あるいは過去一〇〇年を振り返っただけでも、人間は自分で自分の首を絞めるような数々の事件を引き起こしてきました。人類はやがて近い将来において、皆もろともに滅びに向かって突き進んでいるかのように見えなくもありません。」。
 私たちが生きているこの世界の現実がこのようなものであるからこそ、益々神様のこの地に神の国を成し遂げていく浄化運動に私たちが積極的に加わっていくことが大切になってくるのです。この世界がいかに神様の御心から遠く離れていても、神様は必ずこの地に御自分の御心を成し遂げられる。このことを固く信じて、この希望を胸に、神様と共にこの世界の罪と不正義に立ち向かっていくことが、今私たちに求められています。かつてアウグスティヌスは「神なくして我ら為しえず、我らなくして神為さず」という格言を語りましたが、神様は私たちと一緒にこの地に神の国を成し遂げていきたいと切に望んでおられるのです。
ですから、イースターの今日、私たち、改めて福音書の物語を思い起こし、イエス様が十字架の死に至るまで情熱を注がれたことは何だったかをしっかりと確認したいと思います。イエス様の熱意は神の王国に向けられていました。様々な不正義を生み出す罪に溢れたこの世の支配者、権力者の代わりに、天の神様が地上でも神様であるのなら、それはどのような王国なのか、イエス様はその実現を追い求めました。それは、かつて預言者たちが夢見た世界です。すべての人が公平な分配を受け、平等な取扱いを受ける、そうして、世界の隅々にまで正義が行き渡る世界です。これこそ神様の夢であり、この夢は私たちが正義を熱望する神様の存在を強く意識することによって、実際に神様と共に成し遂げていくことのできる夢に他なりません。
 奇しくも、イースターの今日、午後2時から教会総会が予定されていますが、どうぞ神様が一つひとつの議事を導いてくださって私たちの教会の働きを祝福してくださるようお祈りしています。今年度もイエス様を筆頭に、皆で力を合わせて、この地に神の国を成し遂げていく神様の働きに積極的に加わっていきましょう。
  

 
 
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