復活節 第4主日(2019年5月12日)礼拝説教要旨
 

「子どもたちと共に歩む教会」
(マルコによる福音書 10章13〜16節)

北村 智史

 子どもたちへの宣教と言うと、私たちはついつい子どもたちにキリスト教のことを、また信仰のことを宣べ伝えて教えるというような、上から下の行為を考えてしまいがちになるのかもしれません。しかし、標記の聖書個所(マルコによる福音書10:13〜16)をよく読めば、子どもたちへの宣教という事柄が持つ、また違った側面も見えてくるように思うのです。
  標記の聖書個所で見逃せないのは、イエス様が「神の国はこのような者たちのものである。……子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」と語っておられることでしょう。これはつまり、神様は律法を守ることができないこの子たちのように御自分の前に何の功績も持たない者も、その大きな恵みによってお救いになるのであって、弱さのゆえに人に頼らざるをえないこの子たちからこの恵みに自らを委ねていく信仰を学びなさいと、イエス様が弟子たちにお教えになったということを意味しています。このようにして、イエス様は単に子どもたちを招かれただけでなく、同時にその招かれた子どもたちから信仰について学ぶことを私たちにお示しになりました。このことを考えますと、私は神学生時代、実習先の教会で出会ったある少女のことを思い出します。
  東京府中教会では毎年6月第2主日に「子どもと大人が共に守る礼拝」がありますけれども、私が当時派遣神学生として奉仕をしていた南大阪教会にも、そのように教会学校、幼稚園の子どもたちと一緒に教会全体が神様の家族として一つになって神様に礼拝を捧げる日がありました。それだけではなくて、南大阪教会では毎週、牧師による説教の前に子どもへのお話があり、それが終われば子どもたちがホールに退席して、子どもたちはそこで小さい祈祷会のような小礼拝を行うというスタイルの礼拝が行われていました。
  ある時、その礼拝に毎週通っていた中学1年生だったでしょうか、その少女が、次のイースターで洗礼を受けたいということを申し出られたのです。その時、役員会では「まだ受洗は早いのではないか」という声が上がりました。しかし、南大阪教会では東京府中教会と同じように、受洗志願者は受洗の前に役員会の面接を受けて役員会の承認を受けることになっていたのですが、その席でその少女は洗礼を志願する理由として、「イエス様とずっと一緒にいたいから」と、たった一言、しかし見事に信仰の核心を突くような言葉を口にしたのです。その場で、全会一致でその少女の洗礼が承認されました。私も彼女の、信仰告白と言ってもいいと思うのですが、この言葉を耳にして、いつの間にか自分が見失っていた信仰の核の部分をスコーンと突かれたような思いがして、本当に魂が揺さぶられるのを感じました。
  聖書には「光の子」という言葉がありますけれども、また、「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」という言葉がありますけれども、子どもたちは神様の言葉を聞くものすごく良い土壌を持っていて、私たちが日々の悩みや葛藤、思い煩いに心が塞がれて、神様を信じる時に聞いたはずのキリストの招きの言葉を見失ってしまった時に、私たちの信仰を照らし、原点へと立ち帰らせてくれる存在なのだということを、その時初めて思い知らされた次第です。
  既に申し上げましたように、大人から子供へと信仰を伝えていく、それはたしかに大切な子どもたちへの宣教の業だと思います。でも、それだけが子どもたちへの宣教のすべてではありません。神様が子どもたちを御自分のもとへと招かれるその御旨は、もっと深くて大きなものです。神様は子どもたちを御自分の救いへと導かれるだけでなく、私たちの目には小さく見える、しかし実は神様の声を聞く素直な土壌を持ったこの子どもたちを豊かに用いて、はぐれていってしまう羊のように日常の中でしばしば道を見失ってしまう私たちの信仰の道を明るく照らし出し、また前へと進んでいくことができるように学ばせてくださるのです。
  ただ子どもたちが持っているこの土壌は、ものすごくデリケートなものだということを私たちは弁えておかなければなりません。子どもというのは、環境を映し出す鏡のような存在で、周りの環境が整っていなければ、せっかく神様の御言葉の種が豊かに実る良い土壌を持っていてもその輝きを失ってしまいます。子どもたちが本来持っている豊かな土壌を活かして、まっすぐな芽を出していくことができるよう、そうして豊かな枝葉を広げていくことができるよう、その環境を整えていくことも、私たち教会の大切な一つの使命でしょう。子どもたちの周りの環境が神様の愛に、また人の愛に溢れたものとなる時、子どもたちは輝きます。そうして、私たちの信仰も豊かに照らしてくれます。
 神様が招かれる子どもたちが光の子として歩めるように教会員一人一人が子どもたちと真剣に向き合っていく。そして、その中で子どもたちに信仰の道を照らし出されていく。そのような教会をここに集う皆さんお一人お一人と一緒に形作っていきたいと願います。今年度も子どもたちを優しく包み込んで、神様の家族として皆で一緒に歩んでいきましょう。
  

 
 
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