聖霊降臨節 第17主日(2019年9月20日)CC合同礼拝・説教要旨
 

「変われる喜び」
(コロサイの信徒への手紙 3章12〜17節)

北村 智史

 教会には、洗礼という大切な儀式があります。皆さんは見たことあるでしょうか。この儀式は、クリスマスやイースターなど、重要なお祭りの時に行われるケースが多いのですけれども、「父と、子と、聖霊の御名によって洗礼(バプテスマ)を授ける」と言って、牧師から頭に水を注いでもらう、そうしてクリスチャンになる、教会の一員になるというそんな儀式です。そこには、罪を持った古い自分に死んで、神様のもとで新しい命に蘇るという、そんな意味があります。つまり、洗礼を受けてクリスチャンになった人は、それまでの罪深い自分の生き方を捨てて、新しい命に生きている人なのです。それでは、その人ははたしてどんな生き方をするのでしょうか。
  標記の聖書個所、コロサイの信徒への手紙3:12〜17にはそのことが記されています。「あなたがた(※これはコロサイという町の教会の信徒たちを指しています。すなわち洗礼を受けてクリスチャンになった人々です。)は神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛はすべてを完成させるきずなです。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい」。
  洗礼を受けたあなたがたは、こんな風にしなければいけませんよ。洗礼を受けた人々はこういう生活をするんですよ。標記の聖書箇所にはこう記されているのです。では、教会に集うクリスチャンの皆は、こういう生活ができているのでしょうか。今日ここにいる人一人ひとりにこの質問をしたら、きっと皆「とんでもない。そんなこと全然できていませんよ」と答えると思います。かく言う私自身を振り返ってみても、たとえば「赦し合いなさい」と言われているのに、「全然人を赦せてないな」と思うことがあったりして、標記の聖書箇所で「こういう生活をしなさいよ」と言われている姿からは自分がほど遠いのをものすごく感じます。
  洗礼というのは、罪を持った古い自分に死に、神様のもとで新しい命に蘇る儀式なのですけれども、私たち人間というのは本当に罪人だから、そういう洗礼を受けても、いきなりガラッと生まれ変わることはできなくて、教会生活の中で何度も何度も罪に零れ落ちてしまうというのがしょっちゅうです。
  けれども、私たちはそこで、「人間だから仕方ないやん。イエス様のお陰で、そんな自分でも神様赦してくださるんでしょ」と開き直ってしまう存在では決してありません。こんな自分だけれども赦してくださる、そして見捨てることなく愛してくださる神様のその愛のまなざしのもと、自分の罪をしっかりと見つめて、いきなり変わるのは無理であっても、少しずつ神様の御心に沿う自分へと生まれ変わっていこうとする、そんな存在です。その意味では、クリスチャンというのは、自分が生まれ変わっていく、その変化の途上にある人々と言うことができるでしょう。
  で、私がここで思うのは、こんなふうに神様のもとで自分の罪を見つめられる、そうして生まれ変わっていけるというのは、実はとんでもなく大きな恵みだということです。大抵の人は、自分の罪を見つめることができません。
  実際、私たちは他人から「それ間違っているよ。おかしいよ。悪いことだよ」と指摘されると、とても腹が立つし、自分はいつも正しいと思いたがって、自分の罪や過ちを認めたがらないでしょう。結果、いつまで経っても変わることができなくて、成長することができない。同じ過ちを繰り返す。世の中には、そんな人が大勢です。
  けれども、神様はどんな自分をも豊かに赦して愛してくださるという確信があれば、私たちは辛いけれども、この神様の愛に自らを委ねて、しっかりと自分の醜い姿を見つめていくことができるでしょう。そうして、神様のもとで美しい自分に生まれ変わっていくことができるでしょう。こんな風に神様のもとで日々生まれ変わっていくことができる、皆で一緒に成長していくことができるというのは、とても大きな喜びです。
  今日ここにいる子どもたちも、いつか洗礼を受ける日が来ることを私は神様にお祈りしています。そうして、クリスチャンとして神様のもとで絶えず生まれ変わっていくことのできる喜びを皆で一緒に共有していきたいと願います。これからもこの府中の地で、光の子の家族として歩んでいきましょう。

 
 
Copyright© 2009 Tokyo Fuchu Christ Church All Rights Reserved.