降誕節 第4主日(2020年1月19日)教会創立記念礼拝・説教要旨
 

「証言者の群れに連なろう」
(ヨハネによる福音書1章35〜51節、)
北村 智史

 標記の聖書個所(ヨハネによる福音書1:35〜51)は、洗礼者ヨハネが出て来て、イエス様が登場し、そして最初の弟子たちができていよいよ福音書の物語が始まっていく、そんな箇所です。これらの箇所を読んで思わされるのは、35〜42節と43〜51節のどちらの物語でも信仰の連鎖が起こっているということに他なりません。
35節〜42節のお話では、洗礼者ヨハネが二人の弟子たちにイエス様のことを証しし、このようにしてイエス様と出会い、イエス様のことをメシアと信じたアンデレが、今度は自分の兄弟シモン・ペトロにイエス様のことを証しし、彼をイエス様と出会わせるというお話になっています。一方、43節〜51節では、イエス様と出会い、彼をメシアと信じたフィリポがナタナエルにイエス様のことを証しし、ナタナエルをイエス様に出会わせるというお話になっています。どちらの物語とも、イエス様に出会い、信じた者が別の者にイエス様のことを証しし、イエス様と出会わせ、信仰に至らせるという連鎖が起こっているのです。
  こうした事実は、今の私たちにとって非常に示唆に富んでいるのではないでしょうか。イエス様に、またその愛に出会った者が、他の者にこれらを証しし、その人をイエス様と、またその愛に出会わせていく。そのような働きに、私たちは召されているのでしょう。教会というのは、そうした信仰の連鎖が起こる場所です。私たち一人ひとりがそれぞれの仕方で神様に招かれて教会へとやって来ます。ここで皆さんに、自分が初めて教会に行ったばかりの頃を思い出して欲しいと思うのですが、私たちは皆、自分一人の力だけで信仰を深めてきたのではなかったはずです。コリントの信徒への手紙一3:6には、「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」というパウロの言葉が記されていますが、実に神様こそが私たちの信仰を育もうと、教会にいた信仰の先達たちを豊かに遣わしてくださったのでした。
  実際、私自身、教会に通うようになったばかりのことを振り返りますと、初めての礼拝では、当時60代半ばくらいだったご婦人が週報と聖書と讃美歌を渡して横に付き添ってくれましたし、聖書が欲しいと言えば、別の方が「それならうちで使っているのは新共同訳聖書だから、これを買ったらいいよ」とアドバイスをくれました。それから今に至るまで、私のために祈り、私に信仰というものを証しし、教えてくださった実に色々な人の顔が頭の中に浮かんで参ります。私の祈り方一つ取ってみても、それはこれまで色々な方のお祈りを聞く中で教わってきたものです。
  きっと皆さんそれぞれが似たような経験をされているでしょう。右も左も分からなかった頃から、私たちは信仰の先達たちとの触れ合いを通して神様に信仰を育まれてきたのです。そして、その信仰を、私たちは次の人へと証しして受け渡していきます。駅伝のたすきのように。この信仰のたすきは、73年間、この府中の地で途切れることなく受け渡されてきました。また、東京府中教会という各個教会で考えるのではなく、キリスト教会という視点、全体教会という視点で考えるなら、ペトロたちの時代からおよそ2000年間一度も途切れることなく受け渡されてきたものです。それが、私たちの誇りです。
  キリスト者の人生、それはイエス・キリストの福音を証しする人生と言えるでしょう。福音を証しすると言っても、それは決して難しい思想や理念を他人に説明することではありません。それは、自らが聞いて、そして自らに立ち現れてきたイエス・キリストの体験、救いの経験をそのまま他人に宣べ伝えることです。私たちもこれまで信仰の先達たちからイエス・キリストの福音体験を証しされてきた、そして、イエス様に従う愛の実践の中で、その交わりの中で、自らに立ち現れてきたイエス・キリストの体験、救いの経験を、今度は自分がそのまま他人に宣べ伝えていく、それが伝道です。
  先程も申し上げましたように、キリスト者の人生は伝道する人生と言えると思うのですが、それは決して神様の御許に召されて終わりというのではありません。ルードルフ・ボーレンという神学者は、ある本の中でこんな言葉を語っています。「キリストの教会は、逝去者らをも抱え込んでいる……しかも、死んだ者として抱えているのではない……逝去者らは生きており、復活したもうた方のなかで、また、その方を通して、なにごとかをわれわれに語る。もはやかれらの口が語らないだけに、いよいよ、その生涯全体によって語る」。ボーレンが言うこのことは、この教会創立記念日に、この東京府中教会で過ごされた信仰の先達たちのことをお偲びする時に明らかでしょう。今、私たちは信仰の先達たちと共に神様に礼拝をお捧げしていますが、彼らの在りし日の姿が、今私たちにイエス・キリストの福音を証ししてくれています。神様の御許に召されて後も、キリスト者の伝道は続いていくのです。
  証言者の群れに連なって、自らもまた生涯にわたって、また神様の御許に召された後も、イエス・キリストの福音を証ししていく。信仰のたすきを受け継ぎ、受け渡していく。そのことを、教会創立記念礼拝の今日、改めて胸に刻みたいと願います。願わくは、今年一年間も神様が私たち教会の歩みを豊かに祝福してくださいますように。皆で一緒に恵み豊かな信仰生活を過ごして参りましょう。

 
 
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