降誕節 第8主日(2020年2月16日)礼拝・説教要旨
 

「頼る力」
(ルカによる福音書9章1〜16節)
北村 智史

 標記の聖書箇所(ルカによる福音書9:1〜6)は、イエス様が12弟子を宣教のためにお遣わしになる場面です。これまで弟子たちを連れて巡回伝道しておられたイエス様は、ここで12人の弟子たちを派遣して手広くガリラヤへの宣教を行われました。これを読みますと、イエス様が決して御自分お一人だけの力で宣教を為さろうとしたのではなかったことが良く分かります。ルカによる福音書にはこの他にも10:1〜12に、イエス様が他に72人を任命し、宣教に遣わされたことが記されていますが、このようにイエス様は御自分の宣教のために弟子たちの力を積極的に借りられたのです。メシア(救い主)として、しかし人間として世に来られたイエス様は、決して御自分一人だけの力で神の国運動を推し進めようとはされなかった。あえて御自分の弟子たちの力を借りる要領の良さを持っておられた。このことは、大きな意味を持っていると私は思います。
  ここで普段の私たちの在り様を振り返ってみれば、私たちは何でも一人でできる人間に憧れます。そうした人間を成熟した人間、自立した人間だと考える価値観の中に生きています。かく言う私も10代、20代の頃は、何でもできるマルチな人間、何でもかんでも一人でできて、それだけでなく強烈にリーダーシップを発揮して周りを引っ張っていける、そんな人間に憧れたものでした。そして、そんな風にできない自分を情けなく思ったり、周りに頼ることを恥だと考えたりしていたように思います。
  けれども、年を重ねるにつれて、だんだんと考え方が私の中で変わってきました。今は自分の長所、短所を把握して、自分の欠けた所を素直に「補って」と助けを求めることのできる柔軟な人間に憧れます。何でもかんでも一人でできる、そんな完璧な人間などこの世に一人もいないし、そんなものを目指しても、どこかで無理が生じて疲れるだけだと悟ったからです。
  3年程前だったでしょうか、私がスタッフをしていた東日本ユースキャンプの講師に来てくださった同志社大学の神学部の先生が高校生たちに、「本当に自立した人、成熟した人というのは、人に頼らない、何でもかんでも一人でできる人のことを言うのではなくて、自分の短所を素直に認めることのできる人間、そして、その短所を素直に『補って』と人に頼れる人間のことを言うんだよ」という趣旨のことを話していましたが、本当にその通りだと思います。何でもかんでも一人でやる必要なんて、どこにもない。皆が長所と短所を持っている。お互いに長所を活かし合って、短所を補い合えばいいのです。
  教会の奉仕でもそうでしょう。大学で私に実践神学を教えてくださった礼拝学者の越川弘英先生がこう言っていました。「世間一般では、『一人でできることはなるべく一人でやった方が良い。それが効率化だ』なんて言うことが言われるが、教会はそれとは全く逆だ」と。「『皆でできることは、なるべく皆でやった方が良い』のだ」と。私もそう思います。もちろん、今は教会も高齢化で悩み、働き人が減ってきていますから、人手が足りなくて、ある奉仕を一人でしなくてはならないような、抱え込まなくてはならないような、そんな問題も起こってきています。それはやはり問題で何とか対策を考えていかなければならないことだと思いますが、やはり皆でできるなら、教会の奉仕は皆でやった方が良いのでしょう。それは、皆で教会を形作っていく意識を高めるということだけではありません。皆が皆神様から愛されていて、賜物を与えられ、短所も与えられている。神様の愛のもと、私たちがそのお互いの長所、賜物を活かし合い、短所を補い合う時、5つのパンと二匹の魚を何倍にも増し加えられた神様の力が豊かに働いて、私たちは大きな力を発揮していくことができるからです。願わくは、私たち、自分の短所を受け入れる力、また素直に他人に頼れる力を養って、お互いを頼りにし合う関係を、そうして、一人ではできない大きな力を発揮していく関係をこの教会で形作っていきたいと願います。
  今回、こういうお話をさせていただくにあたって、私はなぜ今の人は他人に頼るということを恥ずかしく思うのか、マイナスに思うのか、考えさせられました。そして、そこにはやはり過剰な競争社会の価値観があるように思わされたのです。学校にいる時から偏差値などで過剰な競争をさせられ、他人よりも秀でていることが求められる、そうした中で、いつの間にか私たちは、他人に頼るということ自体、情けない事柄だと、自分にとってマイナスの査定をされるしてはいけない事柄だと受け止めてしまっているのかもしれません。しかし、甘えるのと、他人に頼る、自分の短所を補ってもらうというのは違います。私たちはもっともっとお互いを補い合う力を身につけていっても良いと思いますし、今の子どもたちが、もっと一人ひとりの個性を大切にする教育の中で、そうした力(「助けてと言う力」、「頼る力」、「短所を補い合う力」)を身に着けていって欲しいと思います。
  子どもも、大人も、共にそうした力をいかんなく発揮して、宣教に励んでいきましょう。長所を活かし合い、短所を補い合って、神様の愛と福音とをどこまでも広く輝かせていきたいと願います。

 
 
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