聖霊降臨節 第 11主日2020年8月9日(日) 礼拝・説教要旨  
 

「人間の蒙昧さ」
ルカによる福音書 23章 32〜34節 
北村 智史

 標記の聖書箇所(ルカによる福音書23:32〜34)は、十字架の場面です。イエス様は十字架の上でこのように祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」。イエス様のこの祈りから教えられるのは、イエス様を十字架につけた人間の罪、それが人間の蒙昧さであったということに他なりません。
  イエス様を十字架につけた人々、それはとんでもない悪人などという訳では決してありませんでした。彼らは彼らなりの正義をきちんと持っていたのです。彼らは、イエス様が自らを神の子として、神様を冒涜していると信じていました。そんなイエス様を放っておけば、いずれ自分たちに神様から大きな災いが降される。人々はそう信じていたでしょう。また、このままイエス様の運動を放っておいて、これが大きくなると、自分たちを支配しているローマ帝国から目をつけられて自分たちユダヤ民族が滅ぼされてしまう、彼らはそんな危機感にも苛まれていました。ですから、彼らにとってイエス様を殺すことは、自分たち民族を救う正義の行いと映っていたのです。
  彼らにとって悲劇なのは、自分たちの行いが、実は神様殺しであるという事実が分からなかったことです。その意味で、イエス様を十字架につけた人々は悪人というよりはむしろ蒙昧な人々でした。
  勘の鋭い人なら、この蒙昧さがパウロの中にも見られたことに気付かれるでしょう。パウロがまだサウロと呼ばれていた頃、彼はキリスト教徒たちを迫害しましたが、それは邪悪な気持ちからでは決してなかったのです。パウロはユダヤ教の信仰に対して極めて真面目に、そして熱心に献身していました。彼は自分の行いが正しいと信じて疑わなかったでしょう。彼がキリスト者を迫害したのは、彼が悪人だったからではなく、魂に照明がなかったからなのです。
  人は皆、自分なりの、勝手な正義に生きています。そして、しばしば自分でも気が付かないうちに誤りに入り込むのです。こうした人間の蒙昧さの罪は、今日の兵器についての考え、また平和についての考えに顕著に現れているように私には思えます。
  広島、長崎、これらの悲劇を経験しても、未だに核を持つこと、また核の傘にあることが平和を生み出すのだと熱心に信じる人々がいるのです。金正恩は演説で、「核抑止力で、国家の安全と未来は永遠に固く保証されるだろう」と核保有を正当化、放棄に応じない立場を明らかにし、アメリカ、ロシアといった主要な核保有国も核を手放さず、日本もアメリカの核の傘にあることを安全保障の要として核兵器禁止文書に賛同しない。中国はどんどんと軍事費を増大させ、軍拡こそが自国を繁栄させ、自国に平和をもたらすのだと信じて疑わない。そして、軍事力を用いて各地の実効支配に乗り出している。これらは、何という蒙昧さでしょう。私たちが生きているこの世界には、どれほど人間の蒙昧さが溢れていることでしょうか。
  こうした人間の蒙昧さを、かのキング牧師もある説教の中で嘆いていて、こんな風に語っています。「ある人々は、いぜんとして、戦争が世界の諸問題に対する解答だと思っている。彼らは悪人ではない。むしろ逆に、彼らは善人であり、尊敬すべき市民である。彼らの抱いている観念は愛国心という衣装に包まれている。彼らは瀬戸際政策と恐怖の均衡を唱える。彼らは、軍備競争を続けていくことが有害な結果よりは有益な結果を産むのに役立つと本気で考えているのだ。……(中略)……われわれの世界は原子兵器によって絶滅するだろうという無気味な予想におびやかされている。それは、自分たちが何をしているのかわからずにいる人々が、今もって多すぎるからなのだ」。
  キング牧師の時代からおそよ半世紀以上が経過しましたが、彼が嘆いた状況は今も変わるところがないどころか、ひどくなっている印象さえ受けます。ここで思うのですが、これまで、私たちはこんな思い違いをしてこなかったでしょうか。「世界を危機に直面させるのは、ヒットラーのような悪人である」と。裏を返せば、「そんなとんでもない悪人が出てこない限り、私たち人類は滅びることがない」と、私たちはどこかで高を括って来なかったでしょうか。しかし、ここで私たちははっきりと認識しなければなりません。世界終末時計の針を推し進めるのはそんな悪人ではなく、むしろ善良な市民だと。核に代表される兵器に自らの平和と生存を賭けようとする善良な市民、自分たちが何をしているのか分からずにいる蒙昧な、しかしごく一般の人々こそが、世界を危機に直面させるのです。
  そのような中にあって、私たち教会は神様の知恵を語らなくてはなりません。イザヤ書2章には、終末、すなわち神の国がこの地に成し遂げられる日の平和について、このように述べられています。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない」。この御言葉は、核兵器を初めとしたすべての武装の解除に至る軍縮こそ神様の御心であり、私たちが平和を成し遂げる唯一の方法であることを私たちに教えてくれてはいないでしょうか。
  兵器こそ、自国に平和と繁栄をもたらす手段である。戦争こそ、問題を解決するための手段である。そんな人間の無知、蒙昧さが吹き荒れる今のこの世界のただ中で、私たち、神様のこの知恵をどこまでも広く訴えていきたいと願います。人間の蒙昧さが二度と愚かな悲劇を生み出すことのないように、しっかりと神様の知恵を宣べ伝え、社会を啓蒙していきましょう。そして、皆で一緒に人間の蒙昧さの罪を克服し、神の国にふさわしい社会を、また平和を打ち建てていきたいと願います。

 
 
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