降誕節 第 6主日2020年11月15日(日) 礼拝・説教要旨  
 

「神様は偉大な金継ぎ師」
コリントの信徒への手紙二 4章 7節 
北村 智史

 皆さんは、「金継ぎ」というのをご存じでしょうか。日本の伝統的な修復技法の一つで、割れたり欠けたり、ヒビが入ったりした陶磁器のその破損部分を漆によって接着し、金などの金属粉で装飾して仕上げる技のことを言います。この「金継ぎ」の技法は海外の人にとっては非常に興味深いようで、これに魅了されたセルジオさんという方が、私の好きな「Youは何しに日本へ?」というテレビ番組で取り上げられていました。
  セルジオさん曰く、失敗を失敗と捉えない「金継ぎ」の考え方に魅かれたそうです。きっかけは失恋でした。5年前に同棲していた彼女に突然別れを切り出され、落ち込む中、セルジオさんはインターネットでこの「金継ぎ」のことを知り、壊れたのに美しく生まれ変わる「金継ぎ」を見て、自分も変わらなければと思えたのだそうです。大切なのは落ち込んでもそこからどう変わるかだ。「金継ぎ」のおかげでそのように思えて、立ち直れたとセルジオさんは言います。
  以来、「金継ぎ」に興味を持ち、一度は体験してみたいと考えていたセルジオさんのその願いを番組が叶える様子がテレビで放映されていたのですが、それを見ていた私も「『金継ぎ』って素晴らしいな」と思わされました。割れたお皿を漆で接着して、はみ出た漆を削るのですが、セルジオさんが削りすぎてへこんでしまった部分もそのお皿の個性になるとしてあえてそのまま残そうと言う職人さんのその言葉を聞きまして、あえて完璧にせず、失敗さえも個性として表現できる「金継ぎ」という技法の奥深さを垣間見たような思いがいたしました。そして、頭の中に思い浮かんだのが標記の聖書箇所(コリントの信徒への手紙二4:7)の御言葉です。
  この中で、パウロは私たちキリスト者のことを「土の器」と表現しています。実は聖書には創造主である神様を焼き物師、陶器師として表現し、被造物である人間を陶器や陶土として表現する箇所が結構あるのですが、この箇所もその一つに他なりません。こうした表現で言わんとしていることは、人間は神様によって造られた存在であるということ、そしてその人間の弱さに対する神様の偉大さです。
  「土の器」という言葉が表しているように、私たち人間は脆く、壊れやすく、価値のない存在です。キリスト者であっても、それは例外ではありません。人間は弱い。しかしその弱い人間を用いて神様は偉大なことをされる。「土の器」に過ぎない私たちの中に福音という「宝」を納めて、宣教のために用いてくださるのです。そして、その用い方は、しばしば私たちの想像を遥かに超えていきます。神様はまるで金継ぎ師のようだ。そう思わされることがしばしばあるのです。
  たとえば、私がご本を読んで感銘を受けた人物に、進藤達也さんという方がいます。この方は元々やくざで、刑務所に服役中に聖書を読んで劇的な回心をした人で、今はやくざから足を洗い、牧師となり、特に教誨師として刑務所伝道に励んでおられます。そのご自身の経験を綴った『人はかならず、やり直せる』というご本と、『極道牧師の辻説法』というご本の中で進藤さんは次のような興味深い言葉を語っておられます。
「面白いなと感じるのは、悔い改めによって救われた人たちは、それぞれが自らの『原点』に回帰していくということだ。ホームレスをやっていた牧師は、ホームレス伝道に帰っていく。私のような人間は、刑務所伝道に専心していくようになる。神は、それぞれの歩んできた人生を完全に消し去るのではなく、消したいような過去をも益に変えて、それをクリスチャンとしての伝道の武器に変えてくださるのだ。」
「前科だって消したい。イレズミだって消したい。……でも、神さまはこの消したい人生をもって、良きものに変えてくださるんです。私がイレズミを入れているから、同じようにイレズミを入れている元ヤクザの人たちが安心して私たちの教会に来ることができるんです。……これが、聖書でいう『すべてを益に変えてくださる』、つまり、『すべてのことを良い方向に導いてくださる』ということなんです。」
  私自身振り返ってみても、過去に心の病気をした経験が、不思議と同じように心の病気で苦しむ人たちへの寄り添い、また伝道に役立っているのを感じることがしばしばありまして、進藤さんのこれらの言葉が本当に真実だなあと思わされるのです。ローマの信徒への手紙8:28には、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」と記されていますが、焼き物師、陶器師に例えられる神様は、私たちに欠けや傷があるからといって、私たちという器を愛なく見捨ててしまうというようなことを決してなさいません。そうではなく、それぞれの人生の中で傷ついたり、割れてしまったり、欠けてしまったりした私たちの器のその傷や割れや欠けを優しくつなぎ、その愛で覆ってくださいます。そして、金の粉をかけ、その傷を光輝く賜物、個性へと変えてくださるのです。そうして終いには、修復された私というその器に福音という宝物を納めて、伝道のために用いてくださいます。
  まさに神様は偉大な金継ぎ師です。皆さんという器にもそれぞれ欠けがあり、傷ついたり心が割れてしまったりする、そんな失敗と感じるような経験をこれからも人生の中でたくさんすることでしょう。けれども、その度に神様の愛に立ち帰り、欠けを、また失敗を個性に、また賜物に変えてくださる神様の御手に自らを委ねていきたいと願います。そうして、新しく生まれ変わっていきたいと願います。美しく修復された自らの器、自らの人生を通して、神様の御栄光を深く顕していきましょう。そうして、神様の愛と福音とをどこまでも広く宣べ伝えていきたいと願います。

 
 
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