2021年 1月 31日(日) 降誕節第 6主日・礼拝説教
 

「人を裁くな」
 マタイによる福音書 7章 1〜6節 
北村 智史

  早いもので、1月も最後の主日になりました。新しい年が明けてからおよそ1か月が経過したわけですが、皆さんはこの間をどのように過ごされていたでしょうか。教会では1月7日の緊急事態宣言の発令を受けて会堂での礼拝を休止したために、皆さんにお会いできなくなって、はたして皆さんお元気に過ごされているだろうかと気になる日々を過ごしています。今回の緊急事態宣言では学校に休みを要請しないということでしたので、子どもたちの生活に影響はないのか、それとも目に見えないウィルスとの闘いに窮屈な思いをしているのか、気になっています。特に今は受験シーズンですので、今年度の受験生は大変だっただろうとか、教会の中にも受験する子どもがいるけれども、集中できているだろうかとか、心配が止まりません。一日でも早く新型コロナが収まって、皆さんの元気なお顔を見ることができるように神様にお祈りしている毎日です。
  さて、そんな今日は聖書の中からマタイによる福音書7:1〜6をお読みしました。この中で、イエス様は人々にお話になっています。「人を裁くな」と。私はイエス様のこの教えは、新型コロナのために至るところで分断が起きている今こそ改めて心に刻むべき御言葉だと思うのです。
  冒頭でも申し上げましたように、今、私たちの社会では新型コロナの猛威が収まるところを知らず、再び緊急事態宣言が発令されました。「急ぎの用事もないのに外に出るのは控えてね」、「なるべく会社に行かず、家で仕事をしてね」、「飲食店は営業を夜8時までにしてね」。そうしたお願いが政府から出されたわけですが、一番大変なのは飲食店です。売り上げが減ってしまうから、お店の人が生活できなくなってしまうんですね。一応協力金ということで、「お店を8時に閉めてくれたお店は180万円までお金をあげますよ」ということになっていますが、規模の小さなお店はそれでもやっていけるけど、規模が大きくて働いている人もたくさんいる、家賃もたくさんかかる、そんなお店はとてもではないがそれだけではやっていけないわけです。ですから、政府に「夜8時にお店を閉めてね」と言われても、それに従えない、そういうお店も決して少なくないんですね。
  そういう事情があって、夜8時以降も営業しているお店に対して、心無い誹謗中傷の言葉を書き連ねて「店を閉めろ」と脅したビラを貼る事件が今世間のあちこちで起きているようです。こうした行為は「自粛警察」と呼ばれていますが、怖いのは、そうしたことをする人たちが非常に偏った正義を振りかざしているということでしょう。この前も、「自粛警察」の事件を取り上げたニュースで、本当にひどい誹謗中傷の言葉を書き連ねた後、「店を閉めろ」と脅し、最後に「正義の味方より」と書かれたビラが店に貼られたということが報道されていましたが、そういうのを見ると、いったいどんな正義だろうと首をかしげてしまいます。誰も好き好んで政府の時短要請に従わないわけではない、できるなら政府の要請に協力したい、新型コロナを抑え込むために協力をしたいと思っている、でも補償が十分ではなく、生活のためにそれができないその事情を深く考えることもせず、ただただそうした苦しみの中にある人をひどい言葉で脅し、傷つける、そんな行為を正義と呼んで正当化するとは…。そうしたことができてしまうあたりに、人間の罪の深さと言いますか、怖さのようなものを感じました。今日の聖書個所の言葉を借りるなら、まさに他人の目にあるおが屑を指摘する前に自分の目の中の丸太に気づけ、自分のおかしさ、罪に気付け、そんなケースだと思います。
  で、ここで皆さんにお聞きしたしたいんですけれども、こうした「自粛警察」をやる人々のおかしさ、罪というのは、私たちと無関係だと思うでしょうか。「そんなことをするのは、特別おかしい人たちだよ。私たちは絶対にそんなことをしない」。そう思うでしょうか。けれども、自分を完全に正義と思い込んで、また勝手な正義をふりかざしておかしなことを言う、おかしなことをする、そうしたことは私たちにもよくあることだと私は思います。
  たとえば、気に食わない人を皆でいじめる、攻撃するなんてことが学校でも職場でもよくあるんですけれども、周りの人に「それはおかしいよ」と言われても、「いや、この人が悪いんだから。自分たちはそれを戒めているだけだから。自分たちは正義。ちっとも悪くない」と開き直ってしまう。そんなケースを私はこれまでたくさん見てきましたし、耳にしてきました。
  私たちは本当に罪深くて、おかしなことを言ったり、したりしていても、何かにつけては自分を正当化し、自分を正義と信じて疑わないんですね。結果、おかしなことを言ったり、したりしていても、ちっとも悔い改めない。反省しない。そんなことが良くあります。そんな中にあって、私は自分が言うこと、することが本当に正しいことか、神様の視点から見つめ直す、そういう目を常に持っていたいと願うのです。
  かつてイエス様は言われました。「人を裁くな」と。その御言葉に反し、今は新型コロナが猛威を奮い、人々が偏った正義を振りかざし、裁き合っている、そんな世の中です。そのような中にあって、私は人々に、まず「自分の目から丸太を取り除く」ことを強く勧めていきたいと願います。そうして、勝手な正義を振りかざし、裁き合う方向から、痛みを分かち合い、助け合い、絆を結んでいく方向へと人々の向きを変えていきたいと願います。神様の愛の絆で、皆で一緒にこの危機を乗り越えていきましょう。このような時だからこそ、神様の愛の輪をどこまでも広げていきたいと願います。
             祈りましょう。  ――以下、祈祷――

 
 
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