2021年 5月 23日(日) 聖霊降臨節 第 1主日・ペンテコステ礼拝
 

「言葉以上の壁」
 使徒言行録 2章1〜11節 
北村 智史

  ユダヤ教の三大祭りの一つに、五旬祭(ペンテコステ)というものがあります。「五旬」というのは「50」という意味であり、「ペンテコステ」というのも「50番目」を意味するギリシャ語「ペンテーコステー」に由来する言葉です。こうした名前が示している通り、このお祭りは、同じユダヤ教の三大祭りの一つである過越祭 ――これは、イスラエルの民が神様によってエジプトから救い出されたこと、すなわち出エジプトの出来事を記念するために祝われるお祭りですが、このお祭り―― の安息日の翌日から数えて50日目に祝われたものでして、初夏の収穫を神様に感謝すると共に、律法が神様から与えられたことを感謝するものでした。使徒言行録の2章には、この五旬祭の日に聖霊が弟子たちの上に降って来て、教会がこの世に誕生した様子が詳しく記されています。今日はその中でも1〜11節を取り上げるのですが、ここにはどんなことが書かれてあったでしょうか。詳しく見ていきましょう。
  今日の聖書箇所よりも前の箇所、使徒言行録1:4〜5には、イエス様が天へと挙げられる前、弟子たちに、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられる」と仰られたその御言葉が記されています。つまり、イエス様は天へと挙げられる前に、弟子たちに「もうすぐあなたたちに聖霊が降りますよ」とお教えになったんですね。
  イエス様のこの御言葉を信じて、今からおよそ2000年前の五旬祭の日に、イエス様の弟子たちはエルサレムで一緒に集まって神様を礼拝しながら、イエス様が約束してくださった聖霊が降ってくるのを熱心に待っていました。すると、どうでしょう。「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響」きました。「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」のです。それは、イエス様の約束通り弟子たちに聖霊が降って来た瞬間でした。すると、彼らは神様の力を受けて、一斉に様々な国の言葉で神様の福音を語り出したのです。「なんだ、なんだ」。エルサレムには色々な国から帰って来たユダヤ人が住んでいましたが、彼らは先程の物音に驚いて集まって来ました。そして、イエス様の弟子たちが色々な国の言葉で神様の福音を語っている光景を見て驚きました。
  これが、今日の聖書個所です。この後の聖書個所には、ペトロが聖書の御言葉からイエス様について説き明かしをし、3000人もの人々がそれを受け入れて、イエス様を信じるようになり、洗礼を受けたこと、そして、この3000人もの人々が、御言葉の学びと礼拝、祈り、また信徒相互の交わりを熱心に行って、史上最初の教会をエルサレムに形作ったことが記されています。教会は、その後も聖霊に力をいただきながらエルサレムを初めイスラエル全土、そして世界中に福音宣教を展開していったのでした。
  こうした経緯から、教会は五旬祭(ペンテコステ)を、律法が与えられた記念日から聖霊が与えられた記念日(聖霊降臨日)として、また、教会の誕生日として、独自にお祝いするようになったのです。ちなみに、ユダヤ教の五旬祭(ペンテコステ)は先程も申し上げました通り、過越祭の安息日の翌日から数えて50日目に祝われるのですが、教会の五旬祭(ペンテコステ)は、イースターからその日を第一日と数えて50日目の主日に祝われるようになりました。今日は、こうしたペンテコステの礼拝を神様にお捧げしています。
  今日の聖書個所を読みますと、皆さん、「ああ、イエス様の弟子たち、いいなあ。私たちも聖霊が降って色々な国の言語を話せるようになればいいのに」と思うかもしれません。しかし、私は思います。たとえ今日の聖書個所のような奇跡が起こって、私たちが色々な国の言語を話せるようになったとしても、はたしてそれで色々な背景を持つ人々と心を通わせることができるようになるだろうかと。
  先々週の主日礼拝でもお話しさせていただきましたが、今国会では、外国人の非正規滞在者を巡って入管法が改正されようとしていました。先々週はその問題点について色々とお話をさせていただきましたが、もしこの法案が通っていれば、強制送還に応じない外国人を「犯罪者」として罰することが可能になるほか、送還に応じない外国人を支援しただけで、支援者までもが「共犯者」として処罰の対象になってしまうところでした。また、難民申請の回数を制限し、3回目以降の難民申請を行なった者の強制送還を可能にするとして、多くの難民の命が危険にさらされてしまうところだったのです。そうすれば、すでに「無権利状態」に置かれて過酷な生活を強いられている非正規滞在者への支援の手は今まで以上に遠のき、社会からの排除が進むことになっていたでしょう。また、日本に逃れてきた難民の強制送還が進むことで、多くの命が失わてしまうことになっていたと思います。
  この改正案の今国会の成立が見送られるようになったきっかけは、今年の3月に名古屋入管の収容施設でスリランカ人女性が、深刻な体調不良を本人や支援団体が訴えていたにもかかわらず、まともな医療を受けさせてもらえなかったことで死亡したという事件でした。この事件のニュースを聞いた時、このスリランカ人女性はどんなに辛かっただろうと胸が痛くなると共に、なぜ日本はここまでして、人の命を奪ってしまうほど外国人の徹底的な管理・排除を進めようとするのか、腹が立ちました。よく日本人を批判して、日本人は異質な者との共存に耐え得ない、極めて未成熟な人間だということが言われますが、こうしたことを思うにつけ、私たちには多様な背景を持つ人々との間に言葉以上の壁があることを思わされるのです。こうした壁がある限り、私たちはたとえすべての国の言葉を話せるようになったとしても、異なる文化の背景を持った人々と心を通じ合わせることはできないでしょう。多文化共生など、夢のまた夢でしかありません。
  今日の聖書個所の中で、イエス様の弟子たちは様々な国の言葉を話せるようになりました。しかし、そこにポイントがあるのではありません。自分が話す言葉に閉じこもることなく、多様な言語が交わされながら、人と人が、民族と民族が、互いの立場や違いを越え、また互いの意思疎通を阻む壁を乗り越えて受け入れ合い、理解し合える道が拓かれていった、その可能性を拓く聖霊の働きが与えられた、そこにポイントがあるのです。
  であるならば、私たちもまた聖霊の働きを豊かに受け、異なる背景を持った人々との間にある様々な障壁を取り除くバリアフリーを実現していかなければなりません。願わくは、ペンテコステの今日、神様が私たちに聖霊を豊かに降してくださいますように。私たちの心の中にある言葉以上の壁に気づき、それを溶かしていきたい。そうして、異なる背景を持った人々同士が互いに受け入れ合い、愛し合う豊かな社会をこの日本に形作っていきたいと願います。
             祈りましょう。  ――以下、祈祷――

 
 
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