2021年 6月 6日(日) 聖霊降臨節 第 3主日・礼拝説教
 

「マイノリティだからこそ」
 使徒言行録 17章 22〜34節 
北村 智史

  5月23日にペンテコステを迎え、今、私たちは聖霊降臨節と呼ばれるシーズンを過ごしています。この時期に改めて読みたい聖書個所が使徒言行録です。この文書を読みますと、聖霊降臨の出来事の後、弟子たちがどのように宣教に励み、教会が広がっていったのか、よく分かります。使徒言行録はパウロがローマで宣教する28章で終わっていますが、もちろんそこで教会の歴史が終わってしまう訳ではなくて、その後もキリスト教は世界中に広まっていきました。そして、この日本にも教会が立てられて、かつての弟子たちの宣教の業を今の私たちが引き継いでいる訳です。こうした教会の歩みは、やがてイエス・キリストが再臨し、救いが完成する終わりの日まで続いていくことでしょう。まさに神様の壮大な歴史の途上を、私たちは生きています。
  使徒言行録を読めば分かるように、最初期の教会は自己完結を求めませんでした。どんなに小さく、組織も定まらず、財力がなくても、この世的には無い無い尽くしでも、常に教会の外に心を向け、イエス様によって示された神様の愛を持って「他者のために生きよう」とする小さな群れだったのです。今の私たちの教会もそのようでありたいと願います。神様に与えられる新しい生命と愛をいつも「新しい皮袋」に入れるように、日々新しくされ、青春の息吹を与えられて、神様が織りなす壮大な救いの歴史に仕えて生きて参りましょう。
  さて、先程お読みいただきました聖書個所は、使徒言行録17:22〜34です。ここには、パウロがアテネのアレオパゴスで行った説教が記されています。これを詳しく見ていく前に、まずはこのアテネの町が当時どのようなものだったのかを簡単に説明しておきましょう。
  もともとアテネは古代ギリシアのアッティカ地方の都であり、ギリシア文化の一大中心地でした。しかし、紀元前146年にローマに征服されてからは政治的な重要性は無くなり、商業はコリントに、学問はアレキサンドリアに、その地位を譲ることになりました。しかし、当時は依然として過去の栄誉を保ち、自由都市としてアレオパゴスの評議員たちが自治を行っていました。アカデミックな雰囲気が漂い、宗教的にも熱心な気風が漂うこの町には、当時、学問、芸術、観光などの目的をかねて、世界の各地から若い人々が集まって、新しいものを求めていたと言います。エピクロス派やストア派などの哲学者が義論の相手を求めて広場を歩き回り、少なくとも3000に及ぶ神殿と神像があったと推定されています。
  このようなアテネの町のアレオパゴスと呼ばれる、当時裁判や評議会が行われていた丘で、パウロは人々に説教をしたのでした。この説教の中で、パウロはまず、彼がアテネの町で実際に観察したアテネの人々の宗教生活から話を始めていきます。先程、私は、当時アテネに少なくとも3000に及ぶ神殿と神像があったとお話ししましたが、こうしたアテネの人々の宗教生活からパウロが感じたのは、アテネの人々が非常に宗教的に熱心であるということでした。しかし、それらはすべて迷信的とも言えるもので、彼らは本当の唯一の生ける神を知らなかったのです。そして、その無知のゆえに、激しい偶像崇拝に陥っていたのでした。「知られざる神に」と刻まれた祭壇さえあったというアテネの人々のこうした事態を前に、パウロは「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう」と、アテネの人々に興味を持ってもらえるような仕方で、本当の神、聖書の神を知らせていきます。
  この神様は天地創造の神であり、この世界と歴史の営みの背後に実在しておられるお方に他なりません。そして、遠いかなたに冷たく存在しておられるのではない、むしろ、人が熱心に捜しさえすれば発見できるほど近くにおられるお方です。このように聖書の神について告げ知らせたパウロはさらに、「我らは神の中に生き、動き、存在する」、「我らもその子孫である」というギリシア詩人の言葉を引用して、人間が神の子、神の子孫であることを明らかにします。そして、それゆえ、わたしたちは「神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません」と、アテネの人々が陥っていた偶像崇拝を戒めるのです。
  偶像崇拝は人間の無知に基づいたものですが、イエス・キリストが復活し、その福音が告げ知らされる段になって、もはやこうした偶像崇拝と無知の時代は終わった。今や、人々に唯一の神への悔い改めが求められている。もはや人はイエス・キリストの福音を耳にして弁解することはできない。ただ無償で提供されている神様の赦しと救いを、信仰を持って受け入れることだけが人々の為すべきことだとパウロは語ります。そして、「神はイエス・キリストを死者の中から復活させて、すべての人に確証をお与えになった」と、イエス・キリストの復活こそが今自分が語ったことの論拠であることをアテネの人々に伝えたのでした。
  これが、今日の聖書個所に記されているパウロの説教です。これを聞いたアテネの人々の反応はどうだったでしょうか。ある人々は嘲笑い、ある人々は「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言って、パウロのもとを去って行きました。異教世界の中でイエス・キリストの復活、その福音を語ることの難しさを思わされます。そのように宣教に苦労するパウロの姿が、今の日本の教会の姿と重なりました。
  今の私たちもまた、キリスト教がマイノリティの異教社会の中を生きています。そのような中でイエス・キリストの復活、その福音を語ることは決してたやすいことではありません。「誰がこんな話を聞くだろう」。私たちはともすれば最初からそのように決めつけてしまいます。「それについてはまたいずれ……」という反応しか返ってこないのではないかと、語ることそれ自体を止めてしまいたくなる、そんな衝動に駆られてしまいます。しかし、そんな時に思い出したいのは、パウロが説教を語ったアテネの会衆の中にも最後まで立ち去らない人々がいたということです。同じように、私たちの福音を聞く人々の中にも、少数かも知れない、それでも最後まで耳を傾け、心を動かしてくれる人々がいるはずです。大切なのは、そのことを信じて、自らの信じる福音を妥協することなく愚直に語り続けることでしょう。
  その際に覚えておきたいのは、日本の社会においてキリスト教がマイノリティであるということは決して悪いことばかりではないということです。ある神学者は、「キリスト教がローマの国教になったことは最大の不幸」であると語りました。キリスト教がローマの国教になったことによって、キリスト教が体制側の宗教に大きく変質してしまったというのです。実際、ローマ帝国の国教になったのはキリスト教にとって大きなターニングポイントで、これを契機に、それまでは絶対平和主義であったのに、正戦論という、ある条件の下での戦争を容認する考え方が生み出されることになりました。また、死刑という、国による殺人が正義として容認される考え方も生み出されたりしたのです。
  正戦論というのが果たしてあり得るか、また死刑というのが果たして正当化されうるかということに関しては、また色々と議論しなければいけないことと思いますが、いずれにしろ確かなのは、キリスト教が国教になり、メジャリティになったことで国の顔色を窺うようになり、結果、イエス様の生き方、考え方から大きく離れるものとなってしまったということです。そうしたことを考えれば、日本のキリスト教は宗教文化的なマイノリティであるからこそ、この世の力に流されず、黙らされず、追従せずにいる、そして必要な提言をこの世に対して為していくことができるという預言者的な役割を積極的に担えるのではないでしょうか。
  無論、私たちがそうしたことを為すには、安易に国の擁護を求めて戦争犯罪に加担した過去の戦前、戦中の罪をしっかりと悔い改めなければなりませんが、こうした悔い改めをしっかりと為し、マイノリティだからこその利点をしっかりと発揮して、私たちが地の塩、世の光となるならば、イエス・キリストの復活、その福音は大いに光り輝くと思うのです。
  このペンテコステのシーズン、マイノリティであることに臆することなく、大胆に、そして愚直に福音を宣べ伝えていきましょう。そうして、神様の御心をこの日本に成していきたいと願います。

         祈りましょう。  ――以下、祈祷――

 
 
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