2021年 6月 13日(日) 聖霊降臨節 第 4主日・礼拝説教
 

「周りを照らす人に」
 フィリピの信徒への手紙 2章 12〜18節 
北村 智史

  今日は花の日・子どもの日です。毎年、この日は子どもたちと一緒に花束を持って、近所のくららホームを訪問していました。けれども、昨年と今年は新型コロナのために皆でホームの中に入ることはできず、少ない人数でお伺いし、玄関で代表の方にお花とカードをお渡しして来るというやり方をしています。今年はその他にも、ホームに入っておられる教会員の方々に、CCからカードをお出ししました。それぞれの場にあって、神様が親しく臨んでくださいますようにお祈りしています。新型コロナの苦難の中ですが、地域の方々、また教会に集えない信仰の友のことを覚えながら、共に神様にお祈りをお捧げしたいと存じます。
  さて、先程は聖書の中からフィリピの信徒への手紙2:12〜18をお読みいただきました。どんなことが書かれてあったでしょうか。かつてイエス様は弟子たちに、「あなたがたは世の光である」と仰いましたが、今日の聖書個所の中でも、パウロは、私たちイエス様の弟子であるキリスト者は「神の子として、世にあって星のように輝」くと、そのように述べています。イエス様を信じる者には、この世に光をもたらす、そんな使命が与えられていると言うんですね。
  でも、ここで自分のことを振り返ってみればどうでしょうか。もちろん悪いことばかりしているわけではない、自分に良い部分があることにも気づくでしょうけれども、それ以上に神様の御心を行おうとして行いきれない自分の弱さがあることに気づかされると思うのです。普段の生活の中で人を赦そうとしても赦せなかったり、人に意地悪をしてしまったり、助けを求めている人がいるのに無視してしまったり、そんなことはないでしょうか。私たちの中には闇があり、光を求めているのだけれどもそこから自由になれない、そんなジレンマを抱えています。
  そんな私たちですから、「この世を照らす人間になれ」、「周りを照らす人になれ」と言われても、本当にそんなことができるのか疑問に感じてしまうことでしょう。
  私は思います。もしも自分の力だけで周りを照らす人になろうとしたら、それはできないだろうと。月がどのようにして光り輝き、私たちを照らしてくれているか、ここで思い出したいと思います。月は自分で光を発することはできないけれども、太陽からの光を受けて輝いています。ちなみに、地球も自ら光を発しているわけではありませんが、月から見れば太陽の光を反射して青く美しく輝いています。
  これと同じように、光の源である神様にしっかりと向き合っていれば、私たちもその光に照らされて輝くということができるのではないでしょうか。神様の愛、その光を反射して、周りを明るく照らすということができるようになるのではないでしょうか。このことを思う時、横浜の寿町という所で熱心にホームレス支援に励んでおられる横浜カナンキリスト教会の田村隆さんという方のことを思い出します。
  『100万人の福音』という雑誌でこの方の特集が組まれていましたが、この方は元々寿町でホームレスとなっていた方でした。今から10数年前に人間関係に疲れ、会社を辞めて家を出て、色々あった後、横浜のドヤ街・寿町に流れ着いたのです。
  持ち金も尽きて三日間何も食べず、横浜スタジアムで野宿していた寒い夜に、横浜カナンキリスト教会が行っている「愛と祈りのパトロール」により、炊き立てのおにぎりをもらいました。「こんなあったかいご飯を貰ったのは初めてだ」と、お礼を言いにチラシを頼りに教会に行ったことがきっかけで聖書を読むようになりました。キリストを信じるようになり、聖書を読み、教会に通い続ける中で、いつしか牧師たちと一緒に『愛と祈りのパトロール』に参加するようになり、一緒に野宿していた仲間におにぎりを配るようになったのです。その時に、「受けるよりも与えるほうが幸い」と聖書に書いてあるその意味がよく分かったと言います。
  とはいえ、聖書に書いてあることはできないことだらけだったと田村さんは言います。しかし、サマリア人の譬えで、イエス様は「あなたも行って同じようにしなさい」と言われました。ホームレスだった自分にはホームレスの気持ちがよく分かる。「行って同じようにする」ことなら自分でもできるかもしれない。自分はあったかいご飯が嬉しかったから、牧師と一緒に早起きしてあったかいご飯を準備しよう。「人生の答えはイエス様」という思いを込めて。田村さんはそう決意したのです。
  そして、聖書を読むうちにこの町の人たちが自分の親や兄弟のように思えてきたと田村さんは言います。道で倒れている人を病院に連れて行ったり、自立支援の手続きなどに同行したり。今は教会のスタッフになり、ホームレス支援に献身しておられます。「私にとって生きることはキリスト」という御言葉が大好きな田村さん。「行って同じように」と思って毎日続けていたら10数年が経っていたということでした。
  こうした田村さんのお話を読んで、「田村さんは本当に神様の愛で周りを明るく照らす人だなあ」と思わされました。そして、神様の愛、その光を反射して光り輝くというのは例えばこういうことなのだろうと思わされました。確かに私たちは弱さと欠けを抱えた存在であり、自分の力だけで光り輝くことはできないでしょう。にもかかわらず、自分の力で、それも周りを照らそうとするのではなく自分を輝かせようとばかりするからエゴが生まれて、私たちは周りを暗くしてしまうのです。しかし、田村さんのように神様の愛にしっかりと向き合い、それを他の人にも分かち合おうとする時、私たちは神様の光を反射して、「この世を照らす人間」、「周りを照らす人」になることができるのだと思います。
  大切なのは、自分が感じた神様の愛を他の人にも感じて欲しいと、小さな愛を積み重ねていくこと。大きなことは必要ではありません。そのようにして、私たちが周りに居心地の良い暖かさを感じるような春の光をもたらすものになれたなら、どんなに大きな喜びでしょうか。これからも私たち、自分という存在にこの上ない愛情を注ぎ、「行って同じようにしなさい」と言われる神様の御声に素直に耳を傾けていきましょう。そして、皆で一緒にイエス様を心の中にお迎えし、イエス・キリストを生きていきたいと願います。

               祈りましょう。  ――以下、祈祷――

 

 
 
Copyright© 2009 Tokyo Fuchu Christ Church All Rights Reserved.