2022年 1月 2日(日) 降誕節 第 2主日礼拝説教
 

「クリスマスの陰で」
マタイによる福音書 2章 16〜18節 
北村 智史

 2021年が明けて、新しい年を迎えました。皆さんはこの年末年始をどのようにお過ごしになられたでしょうか。私はと言えば、お正月、大阪の実家に帰る予定だったのですが、オミクロン株の市中感染が拡大していることから、急遽帰省を取り止めました。2年ぶりに顔を合わせて家族団らんの時を過ごす予定だったので、少し残念でしたが、それでも元旦に両親にライン電話と言うのか、テレビ電話をしまして、顔を見て話すことができました。テレビ電話でも家族が顔を合わせることのできる恵みっていいなあと改めて感じさせられた次第です。今日も愛する信仰の家族と共に、顔を合わせて礼拝することのできる恵みを神様に感謝いたしますと共に、それぞれのご家庭で礼拝を守っておられる方々の上にも神様の祝福が豊かにありますようお祈りしています。
 ただ今、私たち、教会の暦では、クリスマスを迎えて降誕説のシーズンを歩んでいます。イエス・キリストの御降誕の恵みに接した私たちが、これからどのようにしてその恵みに応えていくのか、問われるシーズンです。今年もこの府中の地で一つの家族として歩みながら、地域、また社会に対する宣教の業をしっかりと為していきたいと願います。
 さて、新年最初の礼拝となります今日は、聖書の中からマタイによる福音書2:16〜18を取り上げさせていただきました。ここには、ヘロデ大王という人物が登場します。このヘロデという人物は、異邦人、つまりユダヤ人以外の人であったにもかかわらず、イエス様が生まれた時代にユダヤの王様となっていた人で、実はとても権力欲が強い人間でした。彼は自分が掴んだ「ユダヤ人の王」という地位を守るために、自分を脅かす人間、あるいは少しでも脅かしそうな気配のある人間に対しては異常なほどの警戒心を抱き、こうした人々を次々と殺していったのです。
 たとえば、ハスモン王朝というユダヤの王朝があったのですが、その王朝の末裔に当たる人々、ヘロデのような異邦人ではなく、かつてのユダヤ王朝の末裔、正統な「ユダヤ人の王」の資格を持っていた人々、本来の王位継承の権利を持っていた人々を、ヘロデは殺していきました。大祭司のアリストブロスという人はわずか17歳で水槽の中に入れられ、溺死させられたと言います。また、紀元30年には、最後の王位継承者であるヒルカノス二世という、70歳くらいの老人を暗殺します。その翌年には、ハスモン家の出身でヘロデ自身の妻だったマリアンメ一世という人を処刑し、さらにその翌年にはマリアンメ一世の母親をも殺しました。
  とうとう自分の身内まで殺しだしたのです。そして、それはどんどんと広がっていきます。ヘロデには10人の妻がいて、10数人の子どもがいましたが、息子のうち3人までは父親であるヘロデの命令によって殺され、結局、生きて父ヘロデの領地を相続できたのはたった3人の息子に過ぎませんでした。
  こうしたいきさつを聞いたローマ皇帝のアウグストゥスは、「ヘロデの息子であるよりは、豚のほうがましだ」と語ったと伝えられています。ユダヤ人は律法という神様の掟で豚を食べませんから、豚であれば少なくとも命を失うことはないという意味だったのでしょう。
  そんなヘロデが占星術の学者たちから、イエス様のことなんですけれども、「ユダヤの王様が生まれましたよ」というお話を聞いたものだから、大変です。「何?ユダヤの王様だって?それは私のことだろう。他に王様になる人物が生まれたと言うのか?私を押しのけて。そんなことは絶対に許されない。絶対に殺してやる」。ヘロデはそう考えて、イエス様を殺そうと企みました。けれども、神様がイエス様を守ってくださったので、ヘロデのこの企みは失敗に終わります。ヘロデはカンカンです。怒ったヘロデは、今度こそイエス様を殺してやると、何とイエス様がお生まれになったベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を一人残らず殺してしまいました。けれども、イエス様はその前にエジプトに避難していたので、この難を逃れたのです。
  これが今日のお話です。イエス様の御降誕、その陰でこれほど大きい、人間の罪による理不尽な出来事があったことを私たちは忘れてはなりません。そして、こうした人間の罪による理不尽な出来事は、イエス様の時代からおよそ2000年が経過した現在も変わることなく私たちの世界を覆っています。
  先月の6日に東京同宗連の常任委員として参加させていただいた、世界人権宣言73周年記念東京集会でのフォトジャーナリストの安田菜津紀さんの講演を思い出します。「共生社会の実現にむけて―取材を通して考えたこと―」と題して、移民問題、難民問題についてお話を伺いましたが、その中でシリア難民のことが取り上げられていました。
  ここで皆さんにお聞きしますが、皆さんはシリアと言うとどのようなイメージを持っておられるでしょうか。こう聞くと、大抵の方が内戦、紛争といったイメージをお答えになると思うのです。チュニジアやエジプト、リビアなどで次々と民衆が現政権へと抗い、路上へと繰り出した「アラブの春」。それはアサド政権という強力な支配体制にあるシリアには当初波及しないとみられていました。しかし、2011年3月から、シリア国内でも民主化デモの波は全国へと広がっていったのです。これに対し、アサド政権が武力によってデモを弾圧したことから、シリア国内は政府と反政府勢力との間で内戦状態となりました。それだけではありません。そこに同盟国、同盟組織やイスラム国なども入ってきて、複雑、泥沼の紛争状態に陥ったのです。
  安田さんの講演では、そのシリアの子どもたちの写真が紹介されました。無邪気に遊ぶ子どもたち。しかし、そのすぐそばに不発弾が転がっています。シリアではこのようにして何も分からない子どもたちが遊びの最中に不発弾を触り、爆発に巻き込まれて亡くなっていると言います。また、その他にも病院のベッドに横たわるある女の子の写真が紹介されました。兄弟と外で遊んでいる時に砲弾が飛んできて、お兄さんは即死、この女の子は片方の足を失い、もう片方の足も骨がぐちゃぐちゃになって病院に担ぎ込まれたのです。
  安田さんの取材に、その女の子は「どうして私たちがこんな目に遭わなければならないの。私たちが何か悪いことをしたの」と訴えたと言います。そして、「一日も早くこんな悲劇が無くなるように大きな人たちに伝えて」と述べたそうです。
  大人の罪。そのしわ寄せが行くのは、いつも小さな人たち、子どもたちです。イエス様もまた御自身が生まれた時に、その理不尽さを経験されました。そして今も理不尽さの中で苦しむ人々に寄り添い、こうした理不尽を引き起こす人間の罪と闘っておられます。権力に拘る人々に、私の十字架の姿を見よ。人の下に立って仕える姿を見よ。一切の力への拘りを捨てよと懸命に訴えておられます。
  クリスマスから始まった降誕節のシーズン、クリスマスの陰で起こった人間の罪の出来事が決して昔の出来事ではなくて、今も続いて私たちのこの世界を覆っていることを改めて心に刻みましょう。そして、イエス様に連なり、こうした人間の罪と精一杯闘っていきたい、こうした人間の罪が引き起こす理不尽な出来事をこの世界から一掃していきたいと願います。すべての子どもたちが笑顔で幸せに安心して暮らせる世界を、皆で一緒に実現していきましょう。神の国はその延長線上にあるのです。

          お祈りをいたします。  ――以下、祈祷――

 
 
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