2022年 3月 20日(日) 受難節 第 3主日 礼拝説教
 

「為政者こそ神様を畏れよ」
イザヤ書2章4〜5節・48章17〜19 
北村 智史

  早いもので、レントも第3主日を迎えました。3月2日の灰の水曜日にレントに入ってから、およそ2週間半が経過したわけです。イエス様の御受難を思い、人間の罪を深く悔い改めるシーズンが深まっていくのを感じます。とりわけ今年のレントは、私自身、重苦しい空気を感じずにはいられません。それは、新型コロナの苦難が今も続いているということもあるのですが、それ以上に増して、人間の罪により世界の平和が脅かされて、人類が危機に瀕しているのを目の当たりにしているからです。
  皆さんもご存じのように、2月24日からロシアによるウクライナへの侵攻が始まりました。以降、テレビや新聞などのメディアでは、連日のようにウクライナでの悲惨な様子が報道されています。多くの方々が傷つき、亡くなりました。核の使用をちらつかせての恫喝、原発への攻撃などなど、ただでさえ進んでいた終末時計の針がさらに急速に進んでいくのを感じます。
  今回のロシアの行為は、すべての命と世界の造り手である創造主への冒涜と反逆以外の何物でもありません。東京府中教会は神様に従う群れとして、今回のロシアの行為を明確に非難し、徹底した悔い改めと戦争の即時停止を求めます。
 はたして近年、これほどまでに人間の罪が溢れ出たことがあったでしょうか。平和維持活動、「平和のため」と言い張って、戦争、人殺しをする欺瞞に吐き気すら催します。自国内の反戦デモを弾圧し、子どもですら逮捕する、そして言論統制を強め、今回の自分たちの行為について「戦争」、「侵攻」と表現した報道に厳罰を科す、また反戦報道を禁止し、違反した者に15年もの禁固や懲役を科す、そのような法案を可決させていくロシアの様子には、これが本当に現代の国家なのかと恐怖を感じずにはおれません。
  今年の1月に共同声明を出し、「核戦争に勝者はおらず、決して戦ってはならない」と言っていたにもかかわらず、「ロシアは最強の核保有国の一つだ」、「第三次世界大戦なら核戦争以外ない」と核を盾に各国を脅し、やりたい放題する今回のロシアの軍事侵攻に関しては、当然広島、長崎市長や日本被団協など、色々な団体が抗議文や声明を出し、非難しています。核の悲惨さを訴え、核の廃絶に向けて努力を重ねてきたこれらの人々の思いを、ロシア、またプーチン大統領はどれほど踏みにじるのか。
  しかし、問題はロシアだけにとどまりません。怖いのは、今回のロシアの軍事侵攻を受け、安倍元首相や日本維新の会などが「核共有」の議論ですね、すなわち「核に関する議論をタブー視することなく、非核三原則の見直し、米国の持つ核戦力の共有に関する議論を開始する」ことを求める「提言」をしだしたことです。それは、日本被団協の言葉を借りて言うならば、「日本国民を核戦争に導き、命を奪い国土を廃墟と化す危険な『提言』」に他なりません。その他にも、「憲法9条で国を守れるのか」といった9条懐疑論が飛び交うなど、国内に不穏な空気が漂い始めています。
  しかしながら、私たちはここで、今回のロシアによるウクライナへの軍事侵攻が起きたその背景に思いを寄せなければならないのではないでしょうか。今回の世界を巻き込んだロシアの暴挙、それはまさに私たち人類の危機と言える事態なのですが、そこには私たちの世界のこの 30 年の歩みが大きく関係しているように私は思うのです。
 思えば、1991年にソ連が崩壊し、冷戦体制が崩壊した後も、世界は軍事力増大に依存した「安全保障」論から解放されることはありませんでした。そこにひそむ冷戦時代の相互不信と敵意の亡霊から解放されずに世界は歩み続けてきた。このことが今回の事態に大きく関係していることを思えば、私たちはまず平和の神の前にそのことを悔い改めなければならないのではないか。今回の事態を受けて、さらに軍事力に依存した「安全保障」論に走るのは、今後の世界をさらなる混迷へと導くだけではないのか。そう思わされるのです。
 今回の事態を受けて、国内にも軍事力により依存しようとする「安全保障」論が飛び交う中で、私たち教会はどのようなメッセージを国内外に発信していかなければならないのか。そのことを考えるために、今日は聖書の中から2か所を取り上げさせていただきました。イザヤ書2:4〜5と48:17〜19です。
 ここにはこのように記されています。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。/彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。/国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。/ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」「イスラエルの聖なる神/あなたを贖う主はこう言われる。/わたしは主、あなたの神/わたしはあなたを教えて力をもたせ/あなたを導いて道を行かせる。/わたしの戒めに耳を傾けるなら/あなたの平和は大河のように/恵みは海の波のようになる。/あなたの子孫は砂のように/あなたから出る子らは砂の粒のように増え/その名はわたしの前から/断たれることも、滅ぼされることもない。」
これらの御言葉から聞こえてくる神様のメッセージ、それは「私の戒めに従ってすべての武器を平和の道具に造り替えよ。あらゆる武器を廃棄し、すべての戦争を放棄せよ。この私の戒めに耳を傾けるなら、平和と恵み、繁栄は絶えることがない」というものです。思えば、神様はイエス様の十字架の出来事、その救いの御業を通して、私たちに「力へのこだわりを捨てよ」というメッセージを明確に表しておられました。「無力を通して救いを成し遂げた私のこの姿を見よ。『剣を取る者は皆、剣で滅びる』のだ。あらゆる力へのこだわりを捨て、人の下に立って仕える犠牲愛で私に従っていきなさい。そうして、『神の国』をこの地に成し遂げていきなさい」。イエス様は今も十字架の姿で、私たちにこのように呼びかけておられます。
  今の人類滅亡の危機、それはこうした神様のメッセージ、戒めに背き続けてきた結果ではないでしょうか。であるならば、今回の事態を受けて、世界がより軍事力に依存するようになることは、神様に対してさらなる背信、罪を重ねていくことに他ならないし、終末、それも神様が望んでいない形の終末です、人類が核ミサイルを打ち合って地球そのものを滅ぼしてしまうという形での終末に向けて、一直線に進んでいくことに他ならないと私は思います。
軍事力、それは悪魔であり、再三私たちを誘惑してきます。「私をたくさん持て。それで相手を威嚇すれば、目先の安全が確保される。平和に過ごせる。相手だって自分の言いなりにできるし、侵略できる」。そのように、囁いてきます。そして、私たちはこれを持てば持つほど、自分たちの身が護れて、?栄できると錯覚してしまうのです。しかし、それはまやかしであり、その先にあるのは死と破滅でしかないことを私たちはいいかげん悟らなければなりません。
このレントの期間、私たち教会は世界に対する平和の訴えが足りなかったことを反省すると共に、世界中の人々に悔い改めを求めます。特に政治に携わる人々に、神様の御心に反して、軍事力増大に依存した「安全保障」論に囚われてきたことを悔い改めて、すべての武器の撤廃と戦争の放棄へと舵を切るように求めます。理想論だとか、現実的ではないとか言われても、しつこくしつこく求め続けます。神様の真理を人間の側の都合で捻じ曲げることなく、真正面から語り続けるのが宗教者の役割だと思うからです。
  ここでまた聖書に思いを馳せれば、聖書の時代、為政者には神様への畏れというものがありました。かのダビデが、他人の妻を自分のものとするためにその夫をわざと戦死させるという罪を犯した時、預言者ナタンに咎められて、彼は神様の御前に畏れおののいて悔い改めたのです。私は、ダビデが神様の御前に罪を犯したことが記録されているにもかかわらず、今も理想的な王様として語り継がれているのは、こうした気持ちを持っていたからだと思います。常に神様を畏れる気持ちを持ち、神様の御心を追い求め、間違いを犯した時にはそれを悔い改める心を持っていた。そして、絶えず神様の御心を政治に反映させようと努めた。だからこそ、ダビデは今も理想的な王様とされるのでしょう。
  今の為政者に、そうした神様を畏れる気持ちがあるでしょうか。「自分たちは世界で一番核兵器を持っているぞ。お前ら核戦争なんてできるのか。できないだろ」と言ってやりたい放題するプーチンに、あるいは核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を破棄し、アメリカと核共有することを提言する安倍晋三に、そうした絶対者を畏れる気持ちがあるでしょうか。テロとの戦いという正義を振りかざして戦争を行ったアメリカのブッシュ大統領が、”God bless America!”と叫んでいたことを思い出します。神様の御心を追い求めるどころか、神様すら自分を正当化するための都合のいい道具として使おうとする、そんな人間中心主義の思い上がりばかりが今の為政者には見受けられないでしょうか。
  そのような中にあって、世界中の為政者がもう一度神様を畏れ敬う心を取り戻すように願い求めます。神様の御心を追い求め、間違いを犯した時には悔い改めて、神様の御心を反映する政治を行ってくれることを要求します。本当に人間の罪が溢れて絶望したくなる今の世界情勢ですが、悔い改めの心を皆で広めて、神様と一緒に平和への道を歩んで行きましょう。そうして、神様が望まれる世界を皆で一緒に打ち建てていきたいと願います。
         お祈りをいたします。  ――以下、祈祷――

 
 
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