2022年 7月3日(日) 聖霊降臨節・第5主日 礼拝説教
 

「求められる柔軟性」
  コリントの信徒への手紙一 9章 19〜23節  
北村 智史

  6月5日にペンテコステを迎えてから、およそ一月が経ちました。ただ今、私たち聖霊降臨節第5主日の礼拝を神様にお捧げしています。この「聖霊降臨節」というシーズンは「教会の半年」とも言われていまして、教会が聖霊の導きのもとに宣教に励むことを覚える期間となっています。毎主日、神様に感謝の礼拝を捧げながら御心に立ち返り、この世へと遣わされていく。教会はそうしたことを繰り返す礼拝共同体であり、宣教共同体です。主に従う群れとして、礼拝を通して教会を建て上げ、この世に神様の愛と福音とを普く宣べ伝えていく、その使命を豊かに果たしていくために大切なことは何か。今日はパウロという一人の人物を取り上げて、このことを考えていきたいと願っています。
  異邦人伝道の祖、すなわち、ユダヤ人以外の人々にイエス様の福音を告げ知らせて、キリスト教がこんなにも世界に広がっていくその礎を築いた人物として有名なパウロさんですが、実は地上の生涯を歩んでおられた頃のイエス様と直接の面識はありません。この人はもともとものすごく熱心なユダヤ教徒で、律法という神様の掟を厳格に守っていました。そして、初めはイエス様を神の子・救い主だと言う教会の人たちは神様を冒涜している人々だと考えて、教会の人々を激しく攻撃していたのです。けれども、ダマスコという町に行く途中で復活の主に出会い、劇的な回心を経験し、洗礼を受け、キリスト者になって、今度は命懸けでイエス・キリストの福音を宣べ伝える者になりました。彼は自らを異邦人伝道のための使徒と位置づけて、3回にわたって大きな宣教旅行を行い、各地に教会を建てて、先程も言いましたようにキリスト教が世界宗教となる礎を築いたのです。
  イエス様の福音を告げ知らせる生涯の中でパウロさんは非常に苦労しましたが、その中をイエス・キリストに支えられて生涯を歩み通しました。そんな彼は、イエス・キリストのゆえに「わたしは弱いときにこそ強い」という力強い言葉を残しています。神様の力は弱さの中でこそ十分に発揮される。それが苦難の多い生涯の中で実際に神様に支えられ、歩む中で、パウロさんが神様から教わった一つの確かな真理だったのです。
  また、彼は聖書の中に収められている様々な手紙を残して、信仰義認論や贖罪論など優れた神学を打ち立てた他、こうした手紙を通して教会の人々に細かな配慮をした気遣いの人でもありました。今日の聖書個所を読みましても、パウロさんが人と接する時に非常に柔軟な態度を取っていたことが良く分かります。ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになり、律法に支配されている人に対しては律法に支配されている人のようになり、律法を持たない人に対しては律法を持たない人のようになり、弱い人に対しては弱い人のようになりと、パウロさんは実に色々なチャンネルを持ち、相手に神様の愛と福音とが最もよく伝わる態度で人に接していたのでした。
  聖書には、パウロさんがペトロさんを叱り飛ばしたという記述も出てくるので、私たちはともすれば「ああ、パウロさん、我が強くて怒りっぽい人だったのかな」という印象を持ってしまいがちですが、パウロさんのことをそう単純に捉えることはできないようです。たしかにパウロさんの手紙では自分の論敵に対して激しい言葉を投げつけるなど、気性の荒さのようなものが伝わって来る部分もありまして、パウロさんには確かにそういう激しい気性もあったことはあったのかもしれませんが、しかしそれだけでなく、自分の信念から怒らなければならない時はきちんと怒る、けれども譲るべきところは譲って相手に応じて自分のチャンネルを変える、そういう柔軟性をパウロさんは備えていました。そうでなければ、あれだけの教会を牧することはできなかったでしょう。
  同じように、私たちも主張すべきことは主張する、しかし譲るべきところは譲るといった柔軟性がなければ、教会という共同体を建て上げていくことはできません。以前の説教で、私は教会を破壊するのは外部からの迫害ではなく、内部の人間のエゴだというお話をしたことがあったと思います。戦前、戦中の迫害を乗り越えた歴史のある教会が内部の人間の何人かの強烈なエゴによって内側から崩れてしまった、牧師同志の集まりなどで、そういうお話を私はこれまで何度も伺いました。教会と言えども罪を持った人間の集まりですから、ともすればエゴを持った人間の性格発表会のような場に教会がなってしまって、結果人が離れて行ってしまうのです。
  幸い東京府中教会は皆さんバランスの取れた方で、強烈に我を主張される方はいらっしゃらない、主張すべきことはきちんと主張しつつ、譲るところはきちんと譲り合って大人の対話をしながら教会のことを決めていける方々ばかりですが、教会の外の委員会などに出かけますと、往々にして強烈なエゴを持った方に出くわします。自分の言うこと、やること、考えることは全部正しいと思いこんで、何もかも自分の思い通りにコントロールしようとする、そうならなければ腹を立ててごねる、そうして周りを、全体を振り回す、そうした方に悩まされることが少なくありません。そのたびに思うのです。「この人は自分の教会でもこうやって周りを振り回しているのだろうな」と。
  自分の意見や考えを押し通す。人と接する時にそれしかチャンネルを持っていないと、教会を建て上げて宣教していくことはできません。主張すべきことは主張し、譲るところは譲り合う、また自分を絶対と思わず、他人の意見や考えにも耳を傾けて、常に自己を変えていく、そのようにして現場に応じて「自己変革」を行っていく、そういう柔軟性をパウロさんから学びたいと思います。
  願わくは、主がいつも私たちの高慢な心を砕いてくださいますように。柔らかな心で、皆で一緒にこの府中の地に御心に適う教会共同体を建てていきたい、そして神様の愛と福音とを普く宣べ伝えていきたいと願います。

            祈りましょう。  ――以下、祈祷――

 

 
 
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