2022年 9月 18日(日) 聖霊降臨節・第16主日 敬老感謝礼拝説教
 

「愛は人を生かす」
  マルコによる福音書 12章28〜34節  
北村 智史

  今日は敬老感謝の礼拝を神様にお捧げしています。東京府中教会では毎年、敬老の日が近い主日にこうした礼拝を行い、その中で祝福のお祈りを神様にお捧げして、75歳以上の方々を祝福しています。80歳、90歳、100歳と、節目の年を迎えられる方には教会から記念品を差し上げてもいるのですが、今年は4名の方が80歳を迎えられます。神様がそれぞれの人生を祝福し、導いてくださったことに改めて感謝を申し上げる、そして、神様が私たちと共におられるインマヌエルの神様であられることをほめ称える、恵み豊かな一時を皆さんと一緒に過ごして参りましょう。
  さて、そんな今日は聖書の中からマルコによる福音書12:28〜34をお読みいただきました。どんなお話だったでしょうか。見ていきましょう。
  ある律法学者がイエス様に、律法の掟の中でどれが一番大切かを尋ねました。その答えが、29〜31節に記されています。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」つまり、イエス様は神様を愛しなさいという掟と隣人を自分のように愛しなさいという掟、この二つの掟こそ、最も重要な掟であるとお答えになったのです。
  この個所を読めば、「あれ、何でイエス様は二つもお答えになるの?一つに絞れなかったの?」と疑問に思う人もいるかもしれません。でもそれは、「神様を愛すること」と「隣人を愛すること」が切っても切れない関係にある、そういう意味ではどっちがより大事と比べられない関係にあるからなのです。
  たとえば、ヨハネの手紙一4:20にはこんな御言葉が記されています。「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。」また、マタイによる福音書25:40と45には、イエス様のお話としてこんな御言葉が出てきます。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。……この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」
  このように聖書は、神様を愛すれば、当然隣人も愛するし、隣人を愛すれば、それが即ち神様を愛することになることを教えます。「神様を愛すること」と「隣人を愛すること」、この二つは表裏一体の関係であり、切っても切れない関係で、イエス様はこの二つの掟こそが信仰者にとって最も大切であると仰られたのでした。私たちキリスト者は、イエス様のこの御言葉に従って神様を愛し、隣人を愛して、豊かな愛の関係の中を生き生きと歩んで行く存在に他なりません。私たちは神様に愛し、愛され、人に愛し、愛されて、大きな生きる力を与えられながら人生を歩んでいくのです。
  このことに関連して、先月、あるテレビ番組で実に興味深いお話が紹介されていました。『小さな助け合いの物語賞』という、毎年、ハートフルな実話が数多く寄せられる作文コンクールで一昨年大賞を受賞した、山崎浩敬(やまざき ひろたか)さんという方のお話です。
  この山崎さんは和歌山県和歌山市で市役所に勤務していましたが、今から28年前、32歳で働き盛りの時に人間ドックで目に異常が見つかり、精密検査を受けることになりました。告げられた病名は「網膜色素変性症」。遺伝子の変異によって、網膜の細胞に異常をきたし、徐々に視界が狭くなっていき、進行すると視力も低下、個人差はありますが最悪の場合、失明に至る可能性があり、現在は対症療法のみで根本的な治療法は見つかっていない、そんな病気でした。
  診断当初は自覚症状のなかった山崎さんでしたが、発覚からおよそ11年後には視力が0.01以下に低下し、視界は光を感じる程度になっていきました。そこで山崎さんは一年間休職し、視覚障がい者の為のリハビリテーションに通って訓練を受けられます。 そして、パソコンの音声ソフトを使いこなす練習や、白杖を使った歩行をマスターし、 1年で職場への復帰を果たしました。
  しかし、復職して2年後、それまでバス停が同じだったため、通勤を介助してくれていた息子が小学校を卒業。 中学校は離れた場所にあったため、1人でバスを乗り降りせざるを得なくなりました。帰りは奥さんが仕事終わりに職場に迎えにきてくれましたが、行きは1人でした。バスの到着は、アナウンスで確認できたのですが、道の混雑状況によって、停車位置が前後にずれることもあったため、入口を探し当てるのにも一苦労。 さらに車内ではどこに何があるか分からず、空いている席など分かりようもありませんでした。そして降りるときは、乗車するとき以上に転びやすい為に、細心の注意を払わなくてはいけませんでした。
  そんな日々に山崎さんから笑顔は消えて、仕事を続けていく自信すら無くなっていったのです。しかし、ある朝の事、一人の女子児童が「おじさん、バス来ちゃーる」と声をかけてくれたのです。そして、丁寧にバスに乗る手引きをし、降りる時も付き添ってくれました。顔も見えず、名前も知らない少女の優しさにふれて、この日は山崎さんにとって忘れられない一日になりました。
  その少女は、翌日も声を掛けてくれました。そしてこの日から、その少女は毎日、バスの乗り降りを手伝ってくれるようになったのです。息子が通っていた小学校の生徒ということもあって、共通の話題も多く、苦痛だった通勤の時間が何よりも楽しい一時に変わっていきました。 そして、職場でもよく笑うようになったと言われるようになりました。
  やがて、その少女が学校を卒業する時がやってきます。心を取り戻させてくれた少女との交流は終わりを告げ、山崎さんは「明日からまた一人でバスに乗らなあかんなあ」と、寂しく不安な気持ちになりました。
  しかし、少女が卒業した翌日に、何と別の少女が、「おじさん、バス来ちゃーる」と声をかけ、助けてくれたのです。山崎さんは「ありがとう。君は昨日卒業した子のお友だちかな?」と尋ねましたが、そうではなく、その少女は自ら率先して声を掛けてくれたと言います。そして、また新たな交流の日々が始まりました。月日は流れ、二人目の少女も卒業となり、また別れの時が訪れます。
  しかしその翌日、卒業した少女の妹が「おじさん、バス来ちゃーる」と声をかけてくれました。この妹も、以前からたびたび姉に協力して、助けてくれる時があったのです。こうして介助の手は、姉から妹へ受け継がれました。それだけではありません。さらにその手はリレーのように、次々と引き継がれていったのです。小さな手に後押しされた通勤は、気がつけば11年続いていました。
  しかし、一昨年の春、コロナ禍による時差出勤で少女たちとバスに乗る時間がずれて、リレーは途絶えてしまいます。そこで山崎さんはある行動に出ました。「小さな助け合い」をテーマにした作文コンクールに、『あたたかな小さい手のリレー』というタイトルで自分のお話を応募したのです。すると、みごと最高賞に選ばれました。その賞金を使い、山崎さんは昨年1月、視覚障がい者に関する教材を少女たちが通う学校へ寄贈し、この時に、自分を後押ししてくれていた少女たちと再会を果たします。中には卒業して以来数年ぶりに会う子もいました。そして、彼女たちの口から、山崎さんにとって驚くべき事実を聞かされます。
  2人目の少女が助けてくれていた時期、ある日、少女があまり喋らず、違和感を覚えたことがありました。この時、実は別の少女が助けてくれていたのです。いつもの子がこの日、学校を休んでいたために、山崎さんが困らないよう、代理の小さな手になっていたのでした。実は11年の間で、こうしたケースは、何度もあったと言います。また、いつもバスに乗っていたガキ大将タイプの男の子も、毎日のように山崎さんに席を譲ってくれていたのでした。
  子どもたちとの愛に溢れた交流で、またその子どもたちとの再会で、パワーを貰った山崎さん。かつては絶望し、仕事どころではなかった彼は、見事、笑顔で定年まで勤め上げることができました。今年の4月からは再雇用という形で市役所の仕事を続けておられ、現在も通勤にはバスを利用しておられます。そして、少女たちの小さい手のリレーは現在も続いているのです。
  「この話が広がって、高齢者や障がい者が外に出やすい社会に、大人や子どもが声をかけてくれる世の中になったら良いなと思います」と山崎さんはテレビで話しておられました。
  このお話をテレビで見て、私は改めて愛の力は偉大だなと思わされました。視力を失い、仕事を続けていく自信をすっかり失っていた山崎さん。その山崎さんに定年まで仕事を勤め上げる力を与えたのは、紛れもなく子どもたちとの愛の交わりです。本当に愛は人を生かすのだなあということを私はこのお話から教えられました。
  イエス様が神様を愛し、隣人を愛する掟を大切にしながら生きていくように私たちに仰られたのは、愛の力の大きさをご存じで、神様と、人と、そのように愛し合う豊かな交わりの中で私たちが大きな力を与えられて、御心の内に、永遠の命に至るまで生き生きと人生を歩んで行くことを願っておられたからではないでしょうか。今日はこの後、75歳以上の方々を祝福いたしますが、イエス様を中心に、神様のもと、こうした温かな愛の交わりがこの東京府中教会の中にも益々溢れますように、そしてその交わりの中で祝福を受けられる方々が大きな力を得、益々生かされますようにお祈りしています。
  これからも神様に、人に、愛し、愛されて、皆で一緒に人生を力強く歩んで参りましょう。そして、人を生かす愛の輪をこの世界にどこまでも広げていきたいと願います。
             祈りましょう。  ――以下、祈祷――

 
 
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