2022年 9月 25日(日) 聖霊降臨節・第17主日 礼拝説教
 

「福音ってなあに?」
マルコによる福音書 1章14〜15節
   ローマの信徒への手紙 1章16〜17
節  
北村 智史

   今は新型コロナで、なかなか外に自由にお出かけすることができません。皆さん、ストレスが溜まっていないでしょうか。早く新型コロナが収まって、色々な所にお出かけしたいと願っています。
  さて、お出かけと言えば、イエス様も、今からおよそ2000年も前に色々な所に出かけて行かれました。今日読んでもらったマルコによる福音書の中にも、イエス様はガリラヤに行かれたと書いてあります。何のためでしょうか。分かる人はいますか。マルコによる福音書をよく読めば書いてありますね。イエス様は「神の福音」というのを宣べ伝える、つまり、みんなに知らせるためにガリラヤというところにお出かけになったのです。
  では、「福音」とは何でしょう。聖書にはマタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書と、「福音」という言葉が入った書物が4つ出てきます。それだけではありません。今日のもう一つの個所、ローマの信徒への手紙1:16〜17にも「福音」という言葉が出てきます。こういうふうに、聖書には「福音」という言葉がたくさん出てくるんですね。「じゃあ、その福音ってなあに?」というのが今日のお話です。
  「福音」というのは、一言で言えば「良い知らせ」、「嬉しい知らせ」という意味の言葉なんですね。では、何が嬉しい知らせなのでしょう。
  イエス様が生きておられた当時のユダヤの人々は、律法と言って、神様から与えられた約束事を全部守って神様の御心に適う善い行いをすべて実行しないと、神の国に入れないし、自分たちは救われないんだと堅く信じていました。でも、私たちは「ようし、神様の御心に適うように善い行いばかりしよう」と思っても、なかなかそれを完璧に実行することはできません。
  この中で、今までで自分は一度も悪いことしたことないよという人はいるでしょうか。いないですよね。私も「今まで自分は一度も悪いことしたことないよ」と言いたいんですけれども、残念ながらそんなことはなくて、振り返ってみても神様が残念に思うことをたくさんしてきたように思います。パウロさんという人も、聖書のある書物の中で、「私は自分のしていることが分かりません。自分が望む善いことをしたいんだけれども、実際は望まない悪いことばかり行ってしまいます」と告白していますが、こういう風に、これが善い行いだと分かって、それをしたいと思っても、それができずについつい悪いことをしてしまうのが私たちという存在なのです。
  福音書の中には、そのことに気づかずに「自分は一度も悪いことしたことないよ」、「善いことばっかりしてきたよ」と勘違いしてえらぶってたお金持ちの青年のお話も出てきまして、中にはそういう人もいたわけですが、でも、当時のユダヤの人々の中には、そういう人とは逆に、律法を守って善いことばかりしようと思ってもどうしてもそれが完璧にできずに、「ああ、こんなのでは自分は救われない」と苦しむ人々が大勢いました。しかも、当時は様々な理由で差別される人々が大勢いて、自分は律法を完璧に守ってるという人々から、「あいつは罪人だ」、「あいつと一緒に食事したりしたら神の国に入れないよ」と言われたりしてたものですから、余計にそうした人々は「自分は救われない」と苦しんだりしていました。
  そんな中でイエス様は、「そういう方向を改めなさい。神様は善い人だろうが悪い人だろうが、罪人と周りから言われていようがなんだろうが、そんなことに関係なく、みんなを愛して救ってくれるんですよ。神の国に入れてくれるんですよ。そういう神の国が近づいています」と仰ったんです。そして仰っただけでなく、その生涯を通して様々な癒しや奇跡を行い、「罪人」とされ、差別されて「自分は救われないのだ」と苦しむ人々の側に立ちつくされました。それだけでなく、どうしても神様の御心に適う善いことを完璧に行うことのできない私たちの罪をみんな背負って十字架に架かり、死んでくださいました。そうして、神様に「神様、ごめんね。人間をみんな赦してあげて」と言ってくださったのです。こうして、完璧に善いことを行うことができない私たちであっても、みんな神様に赦されて、神の国に入れられて救っていただけるということを現実のものにしてくださいました。そして、復活し、天へと挙げられて、今も私たちのことを愛して、見守ってくださっています。これが「嬉しい知らせ」、「福音」なんですね。
  福音書というのは、こうしたイエス様の生涯、また福音を、現代を生きる私たちにも知らせてくれる書物です。また、ローマの信徒への手紙1:16にあるように、「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力」です。教会というのは、この福音、「嬉しい知らせ」を誇りにし、大切にしながら、みんなにも知らせていこう、そうしてみんなで神様に愛されている、また救われている喜びを分かち合っていこうとする人々の集まりなんですね。
  善いところも悪いところも全部ひっくるめて、ありのままで私たちを愛してくださる、そして救ってくださる神様が、今もなお私たちのそばで、私たちを温かく見守ってくださっているのを覚えながら、今日もまた神様に礼拝をささげましょう。
              お祈りをいたします。  ――以下、祈祷――

 
 
Copyright© 2009 Tokyo Fuchu Christ Church All Rights Reserved.