2022年 11月13日(日) 降誕前・第6主日 礼拝説教

 

「神様が呼んでるよ」
    出エジプト記 3章 1〜15節  
 北村 智史 牧師

 今日は幼児祝福礼拝を神様にお捧げしています。礼拝の中で7歳以下の子どもたちを祝福いたしますが、子どもたちが神様の愛を受けて健やかに育まれますように、共に祈りを合わせましょう。
  さて、そんな今日は聖書の中から出エジプト記3:1〜15を取り上げさせていただきました。モーセさんという人が神様に呼ばれて、「こういう働きをしなさいよ」と役目を与えられる場面です。どんなことが書かれてあったか、詳しく見ていきましょう。
  このモーセさん、羊の群れを飼っていたんですが、ある日モーセさんはその群れを追ってホレブという山に来ました。すると、柴が燃えていたんです。普通、植物が燃えていたらどうなるかな?燃え尽きちゃうよね。でも不思議。モーセさんが見つけた柴はいつまで経っても燃え尽きなかったんです。「あれれ、どうなっているんだろう?」モーセさんは不思議に思って、燃えている柴に近づきました。
  すると、柴の間から神様が「モーセさん、モーセさん」と声をかけてきたんです。モーセさんはびっくりです。神様は言いました。「私はエジプトで苦しめられているイスラエルの人々の叫び声を聞き、またその痛みを知りました。私はこれらの人々を助けようと思います。モーセさん、あなたはそのために私に遣わされて、ファラオの所に行きなさい。そうして、イスラエルの人々をエジプトから助け出すんですよ」。とんでもなく大きな役目です。モーセさんは戸惑いました。「ええ、無理無理。神様、私にそんなことできません」。尻込みするモーセさんに神様は言いました。「大丈夫。私が必ずあなたと共にいるから」。
  そして、神様は御自分の名前をモーセさんにお教えになったのです。それはよく「ヤハウェ」と言われますが、それは「わたしはある」という意味の名前です。神様はこの御自分の名前をお教えになることを通して、「私は確かに存在していますよ。あなたと共にいて、あなたという存在をいつも支えていますよ」とモーセさんにお教えになったのです。
  これが今日のお話です。神様はモーセさんを呼び、モーセさんに御自分のお名前をお教えになることを通して、お互いに呼び合う親しい関係に招いてくださったんですね。それは私たちも一緒です。神様は「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん」と、私たち一人ひとりの名前を呼んで御自分の許に招いてくださっています。そして、「いつでも『神様、神様』と私を呼んで。私が一緒にいるから。いつもあなたという存在を支えているから」と仰っていてくださっています。
  クリスチャンというのは、その神様の招きに気づいて、応えた人のことを言います。今ここにはこれだけたくさんの人が教会で神様に礼拝をお捧げしているけれども、みんなそれぞれの人生の中で、神様が「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん」と自分の名前を呼んで教会に招いてくださった、その御声を聞いたんですね。私は高校生の頃、心の病気をして苦しんでいた時に、神様の呼びかけの声を聞きました。子どもの時に神様の御声を聞く人もいれば、大人になってから御声を聞く人もいます。最初は分からないけれども、後になって振り返ってみたら、あの時神様が呼び掛けてくださっていたんだなと分かる場合もあります。みんな人生のどこかの時点で神様に呼ばれて、教会へと招かれました。そして、いつでも「〇〇ちゃん」、「神様」と呼び合える親しい交わりを神様と結んでいます。そして、「ああ、神様が確かにいてくださっているんだなあ。そして私たちの存在を支えていてくださっているんだなあ」と、恵みを実感しています。そして、神様に遣わされて、神様から与えられた役目を神様に支えられながらみんなで一緒に果たしています。
  今日は幼児祝福礼拝ということで、教会に子どもたちが与えられていることを感謝しながら、子どもたちが神様の愛のもと、健やかに育まれることをみんなで一緒に祈りますが、願わくはこれらの子どもたちにも、「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん」と呼び掛けられる神様の御声が届きますように願っています。神様はいつもみんなの名前を呼んでるよ。その呼びかけに応えて、私たちも神様にどんどん呼びかけていきましょう。お互いを呼び合う親しい交わりの中でいつもお支えと恵みをいただき、互いに愛し合いながらみんなで一緒に歩んで行きたいと願います。
                   祈りましょう。  ――以下、祈祷――

 
 
Copyright© 2009 Tokyo Fuchu Christ Church All Rights Reserved.