2020年6月14日(日) 聖霊降臨節 第 3主日 子どもの日・花の日 礼拝説教
 

「愛の言葉を語る人に」
エフェソの信徒への手紙 4章 29節 
北村 智史

 皆さんは、これまでの人生の中で印象に残っている言葉というのは何かありますでしょうか。この言葉に励まされた。この一言が嬉しかった。そんな経験はないでしょうか。あるいは逆に、この一言が刺さった、この一言に大きなショックを受けた。そんな経験もおありかもしれません。私自身振り返ってみても、これまで色々な人から色々な言葉をかけられて、その度に励まされたり、傷つけられたりして、一喜一憂してきたことが思い出されます。私たちというのはまさに言葉と共に生きている、そんな存在であり、その言葉には両義性があって、人を生かしもすれば、殺しもするのです。
  だからこそ、私たちは自分の語る言葉というのに気を付けなければならないのでしょう。人を傷つけたり、殺したりするような、そんな言葉はなるべく吐かないで、人を励ましたり生かしたりする、そんな言葉を選択して語るようにしなければなりません。しかし、今の世の中を見渡してみれば、そんな風に気をつけている人の、何と稀なことでしょうか。今日は、言葉というものについて考えた時、今というのがどういう時代で、そのような中にあって私たちはどのようにしていかなければならないのか、そんな話をしていきたいと考えています。
  さて、先々週の5月31日はペンテコステでした。この日は、礼拝の中で使徒言行録2:1〜13を聖書箇所に取り上げてお話をさせていただきましたけれども、そこには、教会の誕生に関わる出来事としてどのようなことが書かれてあったでしょうか。もう一度見てみましょう。
  五旬祭というお祭りの日にイエス様のお弟子さんたちが集まって礼拝していると、突然聖霊が降って来たんですね。聖書にはその様子がこんな風に記されています。「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」。すごいですね。すると、どんなことが起こったでしょうか。イエス様のお弟子さんたちが聖霊に満たされて色々な国の言葉をしゃべり出したんですね。
  これはつまり、言葉の壁が取り除かれたということです。自分が話す言葉に閉じこもることなく、多様な言葉が交わされながら、人と人が、民族と民族が、互いの立場や違いを越え、また互いの意思疎通を阻む壁を乗り越えて受け入れ合い、理解し合える道が拓かれていったということです。こうした聖霊の働きの中で、イエス様のお弟子さんたちはイエス・キリストの福音を広く、当時の世界中に宣べ伝えていったのでした。
  では、具体的に、イエス様のお弟子さんたちはどんな言葉でイエス様の福音を宣べ伝えていったのでしょうか。このことを考えた時に思い浮かんだのが、今日の聖書箇所エフェソの信徒への手紙4:29の御言葉です。ここには、キリスト者が語るべき言葉について、こんな風に言われています。「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい」。
  この「造り上げる」と訳されている言葉は、新約聖書が書かれたギリシア語では家などを「建て上げる」際に用いられる言葉でして、エフェソの信徒への手紙の著者は、キリストに従う者は、隣人という建物を建て上げる、その目的のために言葉を語るのであって、その人自体を壊してしまうような、傷つけてしまうような、そんな悪い言葉は一切語ってはならないと、ここで忠告しているのです。聞く人に恵みが与えられる、そしてその人を造り上げる、その人という建物を建て上げる、それに役立つ言葉というのは、やはり愛から来る言葉でしょう。まことにその人のことを思う愛の気持から発する言葉というのは、たとえ厳しい言葉であったとしても、その人に恵みを与えます。そして、その人の基礎を据え、その人を建て上げる言葉となるはずです。イエス様のお弟子さんたちはきっとこうした言葉を語りながら、イエス・キリストの福音を宣べ伝えていったのだろうと私は思います。
  では、今の私たちはどうでしょうか。そうした人を造り上げるような、建て上げるような愛の言葉を語っているでしょうか。このことを思う時、私はそこかしこに「悪い言葉」がはびこっている今の私たちの社会の有り様を思わされるのです。
  先月の下旬でしたでしょうか、プロレスラーの木村花さんが突然死したことがメディアの話題になっていました。おそらくは自殺と見られているようですが、木村さんをそこまで追い詰めたのは、SNSの心無い書き込みの言葉だったと言います。お隣の国韓国でも、少し前にアイドルの方がSNSなどの誹謗中傷を苦に自殺したということが話題になっていましたが、このように指で誹謗中傷を書き込んでその人を自殺に追い込んでしまうことを韓国では「指殺人」と呼び、これが社会問題になっているとのことでした。日本でも同じようなことが今まさに社会問題化してきていて、対策が急がれます。これから国会で議論が為されていくようですが、それと共に、私たち教会が、そのような人を傷つけることを目的としたような、そうして人を死に至らしめてしまうような、そんな悪意から出る「悪い言葉」を自らの内から出さないように、人々に訴えていかなければならないでしょう。私たちが語るべきは、むしろ人を造り上げ、生かす愛の言葉です。
  ともすれば感情に流されたりして、人を傷つけるような「悪い言葉」を放ってしまう罪深い私たちですが、いつもイエス様の愛を心に抱き締めて自らの心を清めていただき、愛の言葉を語る人へと変えられていきたいと願います。語る時はいつも愛の心から。このことを忘れずに、今週も皆で一緒に歩んでいきたいと願います。
  祈りましょう。  ――以下、祈祷――

 
 
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