2020年7月19日(日) 聖霊降臨節 第 8主日 合同礼拝説教
 

「自分の眺め方」
 マタイによる福音書 22章 34〜40節 
北村 智史

 今日は、聖書の中からマタイによる福音書22:34〜40をお読みいただきました。ここには、どんなことが書かれてあったでしょうか。詳しく見ていきましょう。
  ある日のことです。律法っていう神様の掟を専門的に勉強している人がイエス様に尋ねました。「ねえねえ、イエス様。律法の中でどの掟が最も重要なんですか?」この質問にイエス様はこうお答えになりました。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟ですよ。でも、これと同じくらい重要な掟が他にもあります。『隣人を自分のように愛しなさい』という掟です。律法はすべて、また聖書も、この二つの掟に基づいているんですよ」。
  イエス様は色々ある神様の掟の中で、「神様を愛しなさい」という掟と「隣人を自分のように愛しなさい」という掟、この二つの掟が最も大切だとお教えになったんですね。この二つの掟こそ、たくさんある神様の掟すべての基本だし、聖書もこの二つの掟に基づいて書かれている、そう仰ったんです。だから、今の私たちも信仰生活の中で、神様を愛すること、隣人を自分のように愛することを大切にしなければなりません。
  では、ここで自分自身を振り返ってみて、私たちは豊かに神様を愛しているでしょうか。隣人を自分のように愛しているでしょうか。今回、こんな風に考えた時に、私は「隣人を自分のように愛する」ということの難しさについて考えさせられました。
  「隣人を自分のように愛しなさい」。神様のこの掟は、自分が自分を愛していることを前提にしたものです。「私が自分を愛するのと同じように、隣人を愛しなさい」という意味です。私たちはまず自分を愛せなければ、隣人を愛することができません。自己愛が強すぎて自己中心的になるのは困りものですが、しかし、自分を愛していれば他人にも優しくなれるというのは事実です。自分を愛し、肯定することで初めて私たちは己の隣人を豊かに愛することができるのです。しかし、現代においては、このように自分を愛していることが決して当たり前ではないと言いますか、自分を愛せない、自分で自分のことを否定してしまう、そんな人が決して少なくないように思えるのです。
  いつだったか、学校の先生をしている友だちが私にこんなことを話してくれたことがありました。学校の授業で子どもたちに自分の短所と長所を10書かせると、多くの子どもたちが短所についてはすらすらと書いていくのに、長所については2つ、3つくらいで筆が止まり、頭を悩ませるそうです。こうしたお話を聞きまして、私は低い自己肯定感に悩まされている今の子どもたちの現状を垣間見たような思いがいたしました。今の子どもたちは自分の悪い所ばかり目に付く、そうして自分の良い所はあまりないんだと、こんな風に考えているみたいです。
  しかし、本当にそうでしょうか。実はそれは、自分の眺め方の問題ではないのか。最近ある絵本を読みまして、そんなことを考えさせられました。『月の満ちかけ絵本』という作品です。何のことはない、月の満ちかけの仕組みを子ども向けに分かり易く書いてくれた絵本なのですが、私にとっては実に示唆に富んだ絵本でした。
  皆さんもご存じのように、月は二つの変化を繰り返しています。「満ちていく」変化と「欠けていく」変化です。昨日と今日では月の見え方が違います。月が昨日より大きくなっていれば「満ちていく」途中だし、小さくなっていれば「欠けていく」途中です。月はいつも形を変えながら満ち欠けを繰り返しています。大きく見えたり、細く見えたりして、新月には見えなくなってしまいます。しかし、これは月そのものが形を変えたり、消えてしまったりしているわけではないんですね。月はいつも同じ丸い球です。私たちには形が変わって見えていても、月はいつも丸いのです。ただ、光が月のどこに当たっているのかによって見え方が違うだけなのです。
  そのことを教えられて、私は月だけでなく、自分という人間もそうなんだなあと思わされました。この私はいつまで経っても私なんですけれども、どこに光を当てるかで見え方が違ってくるわけです。欠けて見えたり、満ちて見えたり。
  さて、では、私たちは今どこに光を当てて自分を眺めているでしょうか。結局、私たちはそんな風にして満ち欠けを繰り返しながら年を重ねていく存在なのだなと、この絵本を読んで思わされました。
  皆さんも、これから人生を生きていく中で自分が欠けて見える時があるかもしれません。そんな時は、それは光の当て方でそうなっているだけなのだということ、本当の自分は神様に愛された欠けのない丸い存在、この上なく価高く貴い存在なのだということを信じたいと思います。そして、光の当て方を変えて再び己を見つめ直す心のゆとりを持ちたいと願います。神様の愛に照らされて光り輝く人生を、皆で一緒に歩んで行きましょう。
  お祈りをいたします。  ――以下、祈祷――

 
 
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