2020年10月25日(日) 降誕前 第 9主日礼拝説教
 

「逃げるって大事」
 マタイによる福音書 6章25〜34節 
北村 智史

  一頃、『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマが流行りました。私は天邪鬼で、世間で何か熱狂的な騒ぎになっているものがあると、「自分はそんなブームには流されない」とそうしたものから距離を取りたくなってしまう、そんな困った性格をしているものですから、ドラマがやっていた頃は意地を張って見ていなかったのですが、最近妻がこのドラマにはまっていまして、アマゾンプライムで全話視聴したそうです。楽しそうにその感想を話す妻のその話を聞いていて、今更ですが私もこのドラマを見てみようかと思うようになりました。来年の1月に、新春ドラマスペシャルとしてこのドラマの新作がまた放送されるということですから、それも見ようと考えています。
  このドラマの内容をご存じない方のために簡単にあらすじを紹介すれば、主人公は最近26歳の誕生日を迎えたばかりの森山みくりという女性です。彼氏なし。大学院卒だけど内定はゼロ。派遣社員になるも派遣切り。見かねた父親のはからいで、父親の元部下で独身の会社員・津崎さんの家事代行として働き始めます。そこで良好な関係を築き、これなら自分の才能を発揮してうまくやっていけそうという感じになるのですが、その矢先にみくりの実家の都合で家事代行を辞めなくてはならないことになってしまいます。そこで、現状を維持したい二人が出した結論は、偽装結婚と言いますか、就職としての結婚(契約結婚)でした。
こうしてドラマが始まっていくわけですが、この「逃げるは恥だが役に立つ」というタイトルは、ハンガリーのことわざなのだそうです。本来ならば実家の人間を説得して家事代行を続けさせてもらうべきなのに、どうしてもそうする自信がなくてお互いの実家の人間を騙すようなことをしてしまう。そのことを気に病むみくりに津崎さんが語ったのがこのことわざでした。「逃げるは恥だが役に立つ」。今回の決断は逃げと言えば逃げなのかもしれないが、それでいいではないか。それで恥に思われようが、何よりも生き抜くことの方が大事。津崎さんのこの言葉に励まされて、二人は契約結婚の生活を始めていきます。そして、最初の内は偽装結婚だったのが、二人の内に愛情が育まれて恋愛に発展していくのです。
  こうしたあらすじを妻から聞きまして思わされたのは、今は逃げるというのが許される文化になってきているのかなということでした。昔は何か困難にぶつかったら、「逃げずに真正面からぶつかっていけ。死ぬ気で行け」なんていうことが言われたわけですが、今は必ずしもそこまで頑張らなくていい、死ぬくらいだったら逃げたらいい、そこからまた思いがけない道が生まれてくるからと考えられる世の中になってきたのではないでしょうか。今日はそうした、「逃げるって大事」というお話をしていきたいと考えています。
  さて、先程お読みいただきました聖書個所は、マタイによる福音書6:25〜34です。この中には、私たちが生きていく上でとても大切なことが語られています。ここで、ちょっと皆さんに聞いてみたいんですけれども、皆さんは、明日のことを考えたりすることはありますか?誰と何して遊ぼうとか、明日のおやつは何かなとか。そういうことを考えている時間っていうのは、とてもワクワクしますね。でも、明日のことは楽しいことだけではなくて、心配なことや不安なこともあります。お友達と喧嘩してしまったり、誰かに叱られたりした次の日のことを考えるのはどうでしょうか?そうやって、楽しいことや不安なことなどを感じながら、私たちは毎日を過ごしています。
  けれども、イエス様は、「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな」(25節)と言われました。色々と心配なこと、不安なことがあっても、それらのことでくよくよと思い悩むなと仰ったんです。実は、ここで「思い悩む」と訳されている言葉は、「心が定まらない」とか、「心がバラバラになる」とかいった、そんな意味の言葉です。イエス様は、毎日心配なこと、不安なことをあれやこれやと考えて、それだけで心をいっぱいにしてしまわないように、そうして、神様のこと、神様の御心といった本当に大切なものを見失ってしまわないようにと人々に仰られたんですね。
  では、私たちは心配事がある時、不安な時、どうすればよいのでしょうか。イエス様はね、神様にお委ねしなさいと仰られます。神様が私たちに必要なことをすべてご存じで、私たちにとって最も良いように計らってくださるから、だからそのことを信じて、神様にお委ねしなさいと仰られるんです。そのことはね、イエス様のことを考えれば、良く分かります。
  神様は私たち人間をお救いになるために、何をしてくださったでしょうか?私たち人間を救うために、愛する御自分の御子イエス・キリストをこの世に送り、十字架につけられ、復活させられました。そのような神様の愛を受けている私たちが、神様から忘れられたり、見捨てられたりするようなことは、考えられないことです。
  生きていれば、日々色々なことが起こります。一日生きるだけでも、色々な悩みが生まれます。でも、いつどんな時にも、神様は共にいて、私たちを覚え、最も良きものを備えて待っていてくださいます。大切なのは、そのことを信じることです。そして、神様の御心が見えて来るまで、神様に不安な気持ちを預けて待つのです。
  その際、コツのようなものがあるとしたら、「これしか道がない」とか、「こうしなきゃ、ああしなきゃ」とか思い込み過ぎないことでしょうか。最近、ソロキャンプでブレイクしている芸人のヒロシさんのお話を聞きまして、そんなことを思わされました。
  「ヒロシです」からで始まる哀愁に満ちた自虐ネタで一世を風靡したヒロシさん。しかし、やがて仕事が激減するや否や、彼は途端に落ち目扱いされ、「一発屋」のレッテルを貼られてしまいます。その当時をふり返り、テレビ局に行くのが嫌で嫌で仕方がなかったと話すヒロシさん。やがてパニック障害を引き起こし、自殺まで考えるようになってしまいます。これではいけないと思い、自ら仕事をセーブし、東京を離れて、釣りなどをしながら療養生活を過ごしました。そんな中、癒しを求めて行き始めたキャンプを動画にしてyou tube配信するとこれが大ヒット。ソロキャンプyou tuberとして再びブレイクを果たしました。
  そんな自分の人生を振り返り、ヒロシさんは、「自分で計算したわけじゃなくて、いろんなものから『もういいや、逃げちゃえ』って行った先にお花畑があった。逃げるって大事」と語っておられます。「今見ている自分の半径100mなんて本当に一部。無理にその場にいる必要はないし、それが許される風潮になってきた。最悪の状況を考えて行動すれば、その覚悟はできてるんで。最悪こうなるってことに耐えられるんなら逃げればいい」。『マツコ会議』というテレビの番組でのヒロシさんの言葉です。
  私も自分の人生の経験をふり返って、本当にそうだと思うんですね。私も高校生の頃心の病気をしまして、学校に通うのがしんどくなり、不登校になりました。それは逃げと言えば逃げだったのかもしれませんが、結果としてそれが今に繋がっているんですよね。最初は「ああ、人生のレールを逸脱してしまった。いつかは学校に戻らなければ。そして、元のレールに戻らなければ」とか考えて焦りましたが、結局学校に戻るのがあまりにしんどくて、卒業するのに必要最低限の出席日数だけ出席して、後は最後の最後まで学校を休みました。まあ、逃げたわけですよね。でも、その中で教会に通うようになって、牧師になるという夢を与えられて、同志社の神学部だったら国語と英語と数T・数Aの3教科だけで受験すればいいんだということが分かって、これなら何とかなりそうだなって卒業後に頑張って勉強して、合格してっていう風に不思議と道がどんどんと開かれていったんですね。逃げた先で思いがけない道がどんどんと開かれていったわけです。そして、今は牧師としてこの教会に遣わされて幸せに暮らしている。こうしたことを思えば、「逃げるというのも決して悪いことではないな」と思います。「踏ん張らなきゃ。逃げたら何もかもお終いだ」なんていうのは、誰かの勝手な決めつけでしかないのでしょう。
  今、芸能人の方の自殺が相次いでいてメディアを賑わせていますが、死ぬくらいだったら逃げたらいいと私は思います。今見えている自分の景色なんてほんの一部で、投げやりにさえならなければ、逃げた先にも新しい世界が広がっている、新しい道が備えられていくからです。
  皆さんもこれからの人生の中で挫折する時、行き詰まる時があるかもしれません。その時に、必ずしも踏ん張り続けるだけが選択肢ではないこと、逃げるってとても大事で、実は逃げるという選択肢もあるのだということを覚えていてほしいと思います。重すぎる天秤棒の片方は神様に持ってもらって、後は固定観念に囚われず、自由に舵取りしたらいい。神様に思い煩いのすべてをお委ねして、逃げた先で思いがけない神様の御心が成っていくのを楽しみに待ちましょう。そうして、すべての苦難を神様と一緒に乗り越えていきたいと願います。
            祈りましょう。  ――以下、祈祷――

 
 
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