2020年11月 29日(日) 待降節 第 1主日礼拝説教
 

「救いは近づいている」
 ローマの信徒への手紙 13章 8〜14節 
北村 智史

   今日からアドヴェントに入ります。アドヴェントというのは日本語で「待降節」と言いまして、イエス・キリストの降誕、すなわちクリスマスを待ち望む、そういうシーズンのことを言います。今からおよそ2000年前に、神様は御自分の愛する御子イエス・キリストを人としてこの世にお遣わしになり、このイエス・キリストを通して私たちの救いは成し遂げられました。この奇跡を記念して、私たちは毎年イエス様の誕生日、すなわちクリスマスを祝います。
  「神の独り子がお生まれになった。世界の救い主、平和の君、弱く貧しい人々の希望、新しい世界の主がやって来られた。この方を通して、私たちの救いが成就した。ハレルヤ!」
今日から始まっていくアドヴェント、そしてクリスマス当日、またその後の1月6日の公現日(エピファニーと呼ばれる日)までのいわゆるクリスマスシーズンと呼ばれる期間には、こうしたメッセージが声高に叫ばれていくことでしょう。それは、とても心沸き踊る、楽しい日々です。
  でも、皆さんはこのシーズン、こんなことを考えたことはありませんか。クリスマスに救い主がやって来たのに、そうして実際に私たちの救いを成し遂げてくださったのに、なぜこの世界は未だに皆が幸せに生きる世界になっていないのだろうかと。
  イエス様がお生まれになって、十字架と復活の出来事を通して私たちの救いを成し遂げてくださって、それから私たち人間の歴史は幸せなことばかりの万々歳の歴史かと言えば、全然そんなことはなくて、理不尽な出来事、不条理な出来事、また戦争と争いだらけの悲惨な歴史でした。最近の100年、200年の歴史を切り取っただけでも、第一次世界大戦、第二次世界大戦、ナチスドイツによるユダヤ人のホロコースト(大量虐殺)、広島、長崎の原爆、阪神大震災、東日本大震災、等々、悲惨な出来事が次々と頭の中に浮かんできます。テレビや新聞をつければ、連日のように痛ましいニュースが報道されている。特に今はコロナの時期ですから、この疫病によって理不尽に苦しめられ、明るい希望を見出せない人々で世界は溢れかえっています。
  神様の救いはどうなったのか。今からおよそ2000年前にイエス様がやって来られたのに、なぜ未だに世界はこんな状況なのか。私はいつも不思議に思うわけですが、最近読み返したある本の中で、この疑問に対する一つの答え、考えのようなものが書かれてありましたのでそれをご紹介しましょう。私の母校同志社大学で礼拝学を教えてくださった越川弘英先生のクリスマスの説教集です。
  この中で書いておられるのですが、越川先生も私と同じようにクリスマスの疑問、すなわちイエス様がやって来て救いを成し遂げてくださったにもかかわらず、なぜ未だに世界はこんな状況なのかという問いに、このクリスマスシーズンになると直面させられるそうで、そのときにいつも、かつて「全国子ども電話相談室」というラジオ番組で聞いた一つの会話を思い出すそうです。そのラジオ番組では子どもたちの質問に科学者や文学者といった専門家たちが実に分かり易く答えてくれるそうで、ある一人の男の子が電話でこんな質問をしたそうです。
  「12月に冬至があって、それを過ぎると昼がだんだん長くなるのに、どうして1月や2月の方が12月より寒くなるの。」
  確かに夜の一番長い冬至を過ぎても冬はまだまだ続き、一年中で一番寒い季節はその後にやって来ます。越川先生は「そう言われてみれば、どうしてだろう」とこの質問に聴き入りました。すると、その時の解答者はその答えを大変分かり易くこんな風に説明したそうです。
  「それはね、地球という星はたいへん大きなものだから、冬至を過ぎて、昼の時間が長くなっても、全部が暖まるまでにはとても長い時間が必要だからなんだよ。」
  この答えを聞いて、越川先生は「なるほど」と思い、「タイム・ラグ」という言葉を思い浮かべた後、こんなことを思ったそうです。人間の社会もまた、あまりにも大きく複雑であるために、クリスマスを迎えても、救い主がやって来ても、すべてが新たなものとなるまでには長い長い歴史の経過、「タイム・ラグ」が必要なのかもしれないと。
  そうなのかもしれません。キリスト教では「再臨」と言いまして、復活した後天に昇って行かれたイエス様が再び地上にやって来られる、その時に救いが完成すると考えられているのですが、イエス様がこの地上にお生まれになり、十字架と復活の出来事を成し遂げて天へと昇って行かれてからイエス様再臨までの中間の時代を生きている私たちは、まさに「タイム・ラグ」の時代を生きているのでしょう。救いは必ず成る。しかし、「タイム・ラグ」のこの時代には、まだまだ人間の罪が溢れ、理不尽な出来事、不条理な出来事、悲惨な出来事もたくさん起こってくるのです。
  だからこそ、私は今日の聖書個所の御言葉を大切にしたいと考えました。「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています」、「今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです」。パウロがこのように語った時代というのは、ローマ帝国が力を振るい、キリスト者にとってはユダヤ教からの迫害もあり、まさに平和とは程遠い時代でした。神様の救いが見えない、理不尽な出来事、不条理な出来事、悲惨な出来事だらけの、そんな時代だったのです。けれども、そのような中にあって、パウロは神様の救いが成ることを固く信じ、「救いは近づいている」と主にある希望を語りながら、今という時を精一杯生きたのです。己を律し、隣人愛に生きながら、神様の愛と福音とを力強く証ししました。
  私たちもまた先の見えない不安ばかりが蔓延する今のこの時代のただ中にあって、パウロと同じように「救いは必ず成る」、「救いは近づいている」、そのことを固く信じて、「そのために、私たちは今、この社会の中でどんな役割を果たしていかなければならないのか」、「神様は私たちに今、何を期待しておられるのか」を考えて行動していきたいと思います。
  越川先生は言います。「クリスマスとは、私たちの前にある残酷な現実を見つめながら、しかし、それはすでにキリストにあって終わりつつある現実であり、また乗り越えられつつある現実なのだということを、共に確認する時でもあります。クリスマスの日、キリストの生まれるところに集う私たちは、この確信を今年もまた分かち合い、この世界、この歴史の中で私たちの果たすべきことを果たしつつ、やがて再びおいでになるキリストの時を希望をもって待ち望むのです」と。
  振り返れば胸が痛くなるような現実ばかりの今の世の中ですが、それでも主にある希望を胸に抱きながら、イエス様が再びこの地にやって来られるその日まで、皆で一緒に神様に託された使命を果たしていきたいと願います。己を律し、隣人愛に生き、この社会の中で為すべきことを果たしながら、神様の愛と福音とを普く宣べ伝えていきましょう。
         お祈りをいたします。  ――以下、祈祷――

 
 
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