2020年12月20日(日) クリスマス礼拝説教
 

「どんなときでも」
 マタイによる福音書 1章 18〜25節 
北村 智史

  今日は待ちに待ったクリスマス礼拝の日です。今からおよそ2000年前の今日、イエス様はこの地上にお生まれになりました。今日読んでもらった聖書個所には、そのいきさつが詳しく記されています。順を追って見ていきましょう。
  イエス様のお母さんは、マリアという人です。マリアはヨセフという人と結婚の約束をしていましたが、二人が一緒になる前に妊娠していることが明らかになりました。「え、どういうことだ。まさかマリアは自分以外の人と浮気していたのか」。ヨセフは大いに戸惑いました。律法という神様の掟に従えば、夫を裏切って他の男性と浮気した女性は離婚されるだけでなく、石打ちの刑と言って、皆に石を投げられて殺されてしまうことになっていました。「それはあまりにも惨すぎる…」。悩んだヨセフは、マリアの妊娠を表沙汰にはしないで、ひそかに離婚しようと決心しました。しかし、この決断も、マリアにとっては深刻なものでした。たとえ石打ちの刑は免れても、シングルマザーで放り出されて、その人たちが生きていけるような社会では当時はなかったからです。
  マリアとそのお腹の中にいるイエス様のピンチ。しかし、そんな時に天使がヨセフの夢に現れました。そして、マリアが決して浮気をしたのではない、マリアのお腹の子は聖霊によって宿ったのだということ、それだから、不安に思わずマリアと結婚しなさいとヨセフに告げたのです。さらに天使は、マリアは男の子を産むので、その子をイエスと名付けるように言いました。イエスというのは、「神は救い」という意味です。その名にふさわしく、この子はすべての人を罪から救うことになると天使はヨセフに告げました。
  眠りから覚めたヨセフは、戸惑いながらも天使が命じた通りにマリアを妻に迎え入れました。そして、天使の預言通りに男の子が誕生したのです。ヨセフはその子をイエスと名付けました。
  これが、イエス様がお生まれになった時のいきさつです。今日の聖書個所を読みまして、私は皆に二つのことを抑えておいて欲しいなと思いました。それは、イエス様こそすべての人々を救う「メシア」(救い主)であられるということ、そして、イエス様こそ「インマヌエル」の主であられるということです。
  今からおよそ2000年前にこんな風にしてお生まれになったイエス様は、それから30数年経った後、十字架と復活の御業を通して私たちに永遠の命を与え、私たちの救いを成し遂げてくださいました。まさにイエス様こそ、私たちの救い主です。それだけではありません。イエス様が救いを成し遂げてくださっても、今はその救いが完成するまでの中間の時代であり、その時代を生きている私たちには辛いことや悲しいこともたくさん起こってきます。イエス様はそんな私たちを冷たく放っておかれる方ではなくて、いつもどんな時にも聖霊という形で私たちのそばにいて私たちと共にいてくださる、そうして私たちを支え、励まし、生かしてくださる「インマヌエル」の主なのです。イエス様が共にいてくださるので、私たちはどんな時でも希望を失うことなく歩んで行くことができます。
  このことを思う時、私はある讃美歌を思い出します。『讃美歌21』の533番「どんなときでも」です。「どんなときでも、どんなときでも 苦しみにまけず、くじけてはならない。イェスさまの、イェスさまの愛をしんじて」、「どんなときでも、どんなときでも しあわせをのぞみ、くじけてはならない。イェスさまの、イェスさまの愛があるから」。主にある希望、また苦難の中の慰めを歌ったこの讃美歌の歌詞がある少女によって書かれたものであることを皆さんは御存じだったでしょうか。『讃美歌21』ではこの讃美歌の左上に小さな文字で、「詞:高橋順子 1959〜1967」と記されています。この歌詞を書いた高橋順子さんは、1967年にたった7歳という短い生涯を終えて神様の御許に召されたのでした。原因は「骨肉腫」という病気です。幼稚園卒園を前にして、順子さんは左大腿部から下を手術で切断、しかし、その後、がんが肺に転移して幼くして亡くなられたのでした。
  その苦しい闘病生活の中で書いた詩が、順子さんが召された30年後の1998年に遺稿集として出版され、それが讃美歌の中に取り入れられて「どんなときでも」という歌が誕生したのです。この讃美歌のもとになった詩は、順子さんの二回目の手術の前日に書かれたものです。もともとの詩は、「どんなときでも どんなときでも くじけてはならない どんなときでも どんなときでも しあわせがくるまでくじけてはならない」でした。
  讃美歌「どんなときでも」のこうした成り立ちは、定期的に教会に送られてくる敬和学園という学校の機関紙で、校長の中塚詠子先生が紹介してくださっていたのですが、私は今回これを読んで大きな衝撃を受けました。「どんなときでも」の歌詞が小児がんで幼くして召された少女の作であったとは。それも、左足を切断した後の二回目の手術の前日に書かれたものであったとは。このお話を紹介してくださった中塚先生は、機関誌にこう書いておられます。
  「この詞は教会学校で聖書のお話をよく聞く素直な優等生の女の子の感性だと私は思い込んでいましたが、それだけではないことに驚かされました。大きな手術の後の再手術です。深い恐れと不安にさいなまれていたと思うのです。痛みや抗がん剤の苦しさの中にいたはずなのです。がんは肺に転移していましたから、呼吸もままならなかったはずなのです。痛みや苦しみや不安の真っただ中にいた七歳の子が、くじけてあたりまえの状況の中で、『くじけてはならない』と記したことに私は衝撃を受けたのです。さらに、この詩の中で順子さんの心はしあわせ″に向かっています。不安のただなかで、恐れとどん底でなおしあわせ″に向かう心の強さが記されていました。人はどんな時でも、苦難の中ででも希望を語ることができるのだという七歳の順子さんの生き方に、この賛美歌を歌うたびに私は揺さぶられるのです」。
  私も同じ思いです。人はどんな時でも、苦難の中ででも希望を語ることができる。しあわせ″へと向かって行くことができる。イエス様が私たちと共にいて痛みを共にし、その愛を注いでくださるゆえです。今がコロナで皆が我慢の時を過ごしているように、私たちの人生には苦しいことや辛いこと、思うようにいかないことがたくさん起こってきます。けれども、どんな状況にあったとしても、そこから幸せを望み、歩みを進める強さをイエス・キリストから得られることを、私は順子さんの生涯から学びたいと思いました。
  今からおよそ2000年前の今日、この世にお生まれになったイエス・キリストは、今もなお私たち一人ひとりの心の中にいて、この世の暗闇を明るく照らしておられます。その「インマヌエル」の主に大きな讃美と感謝を捧げつつ、今日という日を皆で一緒に喜び祝いたいと存じます。

           祈りましょう。  ――以下、祈祷――

 
 
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