2021年 9月 5日(日) 聖霊降臨節 第 16主日・礼拝説教
 

「自己嫌悪ではなく、悔い改めを」
 マルコによる福音書 2章 18〜22節  
北村 智史

  8月24日から始まったパラリンピックも、今日で終わります。今回の東京オリンピック・パラリンピックに関してはその開催の是非について議論がありましたが、アスリートには何の罪もありませんので、このオリンピック・パラリンピックの期間、数々のドラマを繰り広げ、スポーツの力で私たちを励ましてくれた選手の皆さんには素直に拍手を送りたいと思います。個人的には、高校時代に卓球をやっていたこともあって、卓球の試合をよく見ていました。白熱する激しい試合を見ながら、ここに至るまでには想像を絶する程の様々な努力があったことだろうと思わされた次第です。
 そんなことを考えながら試合を見ていますと、何だか高校時代の卓球部の先輩の話を思い出しました。その先輩もかなりの努力を積み重ねて、大阪府の大会で良い成績を修めていたのですが、その先輩曰く、自分は自らのプレーについて、反省はするけれども後悔はしないのだそうです。反省と後悔は全く違う。反省は次に活かす、そして前に進んで行くために積極的にしなければいけないが、後悔はただただ自己嫌悪に陥るだけ、そしてその場に留まり続けるだけでやる意味は全くないとのことでした。今日の私のお話は、それと似たものであるかもしれません。
  今日取り上げさせていただきました聖書個所は、マルコによる福音書2:18〜22です。この中でイエス様はこう尋ねられました。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」。
  「断食」というのは、律法という神様の掟で定められた大切な業のことです。ご飯を食べることを止めて、「神様、ごめんなさい」と自分の罪を悔い改めて、神様に心を集中させて祈るのです。ユダヤ人の社会では、「贖罪日」と呼ばれる日に皆いっせいに断食が行われました。また、ヨハネの弟子たちやファリサイ派の人々は普段から断食を行っていました。特にファリサイ派の人々は週に二度も断食をしていたと言われています。
  しかし、イエス様やお弟子さんたちはこの断食をしなかったんですね。それどころか、徴税人を初め、当時「罪人」とレッテルを貼られて社会から追いやられてしまっていた人々、「一緒に食事したりしてお付き合いしてはいけないよ」と言われていた人々と楽しく食事をしたのです。イエス様はそのようにして、神様はこうした人々、弱く小さくされている人々をこそお救いになるんだよということを人々にお教えになりました。そして、御自分を通して新しい時代がやって来たことを宣べ伝えたのです。
  ヨハネの弟子たちもファリサイ派の人々も、皆信仰熱心でした。自分たちの罪を悲しんで、神様に「ごめんなさい」と普段から断食したのです。けれども、その罪を贖い、赦しを与えるために世に来られたのがイエス様に他なりません。そのイエス様が一緒にいてくださるのですから、もう罪を悲しんで断食しなくても良いのです。むしろ赦されたことを心から喜べば良いのです。そういう新しい時代に入ったと、イエス様は今日の聖書個所の中で人々にお教えになりました。
  今、私たちは自分たちの罪を贖ってくださった救い主イエス様のおかげで、自分の罪に落ち込んだ時でも、「ああ、こんな自分を救って神様の子どもとして受け入れてくださるほど、私は神様に愛されているのだ」と、温かい気持ちの中で神様に感謝することが許されています。イエス様を信じる人は、この神様の救いの明るさの中を歩いていくんですね。目を閉じて、「ああ、罪深いこんな自分は救われない」という暗さの中に留まるのではなく、既に輝く朝の光に包まれて、救いの喜びに温められるために目を開ける。そのことをイエス様は願っておられます。
  イエス様は私たちに、本当の意味で悔い改めることを可能にしてくださったのではないでしょうか。決定的な赦しがない中では、何度断食して「神様、ごめんなさい」と謝っても、自己嫌悪しか生まれないと私は思うのです。「いったい自分は何度いけないことをするんだろう。神様はこんな自分を赦してはくれないだろうな。自分は何て罪深いんだ」。そういう思いに留まり続けると思うのです。けれども、神様はイエス様を通して、「どんなことがあってもあなたを赦すよ。あなたを愛しているよ」と呼びかけてくださいました。その決定的な赦しがあるからこそ私たちは、「ああ、ありがたい。神様、本当にありがとう」と思って、「ようし、神様が望まれる自分に生まれ変わって行こう」と思えるようになるのです。これが本当の悔い改めです。
  冒頭の「反省」と「後悔」のお話ではないけれども、「自己嫌悪」はその場に閉じこもってしまうだけで、まったくやる意味がありません。救いの喜びの中で前向きに新しい自分に生まれ変わっていく、そんな悔い改めをこそ、私たち、神様の前で為していきたいと願います。教会という集まりの中で、皆で一緒に喜びを持って新しい自分に生まれ変わっていきましょう。

               お祈りをいたします。  ――以下、祈祷――

 
 
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