2021年 9月 12日(日) 聖霊降臨節 第 17主日・礼拝説教
 

「多様な人と共に」
 使徒言行録 18章 1〜4節  
北村 智史

  東京府中教会の子どもの教会では、『教師の友』という雑誌を教案誌にしています。この『教師の友』という雑誌は季刊誌になっていまして、3か月ごとに年4回発行されるのですが、その中で私が最も楽しみにしている記事が、「聖書に脇役はいない」というシリーズです。昨年の4、5、6月号から掲載がスタートしたのですが、毎回、聖書の登場人物にスポットが当てられて、話がまとめられています。2021年7、8、9月号では、使徒言行録に出てくるプリスキラという女性が取り上げられていました。とても面白い記事でしたので、今日は桜美林大学教員の佐原光児先生がお書きくださったこの記事を皆さんにご紹介し、そこから移民や難民の問題について共に考えていく一時を過ごしていきたいと考えています。
  さて、このプリスキラという人物はアキラという人と夫婦で、二人はパウロに大きな影響を与えました。ポントス州という現在のトルコの中にある地方出身のこのユダヤ人夫婦は、ローマに住んでいた時にクラウディウス帝が出したユダヤ人追放令を受けて、コリントに移住してきたのです。今日の聖書個所、使徒言行録18:1〜4には、パウロが二人の家に一年半住み込んでテント作りを共にしたことが書かれています。二人はその後エフェソでパウロと別れ、そこでアポロを教え導きました。ローマの信徒への手紙16:3にも二人の名前が出てくるので、最後はまたローマに戻ったのでしょう。
  男性中心だった当時の社会にあって妻プリスキラの名前もきちんと記されていること、さらには彼女の名前がアキラよりも先にあることが多いのは重要です。その存在の大きさを窺い知ることができます。
  プリスキラは大陸と海を横断し、移住を続ける生涯を過ごしました。よそ者としてローマで働き、支配者の横暴でコリントへ。コリントではパウロ、エフェソではアポロを支えて、最後はかつて追い出されたローマに戻っていく。移民であったプリスキラはどのような思いで大陸を横断し、海を渡ったのでしょうか。移民先での生活は、文化や宗教の違いもあって大変だったことでしょう。しかし、だからこそ、同じ労苦を背負う他の移民たちを支えることができたのです。その働きは、パウロが「命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています」(ローマの信徒への手紙16:4)と書くほどでした。
  こうしたプリスキラという人物の紹介の記事を書かれた佐原光児先生は、続けてこのように書いておられます。「わたしは米国の日系教会で働いたことがあります。多くの日系教会が移民排斥、人種差別の厳しい時代に移民を支えた歴史を持ち、そこには苦労する他の移民たちを支えた信仰者たちがいました。現在、欧米では排外主義や人種差別が再燃し、日本でもさまざまなルーツを持つ人たちへの差別やヘイト(憎悪)が問題になっています。強制的に、また自発的に移住を繰り返したプリスキラの姿は、排斥や差別の対象となりやすい移民や難民と重なります。そんなプリスキラが大事に育んだ教会に、わたしたちはつながっています。今こそ、『多様な人と共に生きる』を大切にしたいものです。」
  本当にその通りだと思います。佐原先生のこうしたお話を読みながら、私は先月の14日に開催された教区社会部の平和集会のことを思い出しました。この集会では、長年牛久の東日本入国管理センターに収容されている方々の支援に携わってこられた原町田教会の宮島牧人先生に「寄留者の隣人に」と題してお話をしていただきまして、日本の出入国管理の問題、難民受け入れの問題について学ぶ一時を持ちました。
  皆さんもご存じのように、今年の3月には、名古屋入管の収容施設でウィシュマさんというスリランカ人女性が、深刻な体調不良を本人や支援団体が訴えていたにもかかわらず、まともな医療を受けさせてもらえなかったことで死亡したという事件が起きています。先月の10日にはその事件の最終報告が入管から出されましたが、その報告は13日分のビデオを2時間に編集したもので、都合の悪い部分はカットされていました。しかし、それを見ても、ウィシュマさんが動物のように扱われていたことが分かります。
  しかし、これは決して死亡したウィシュマさんだけに限ったことではありません。入管施設に収容されている多くの人々が劣悪な居住空間、劣悪な医療体制の中、人権を侵害されているのです。
  では、なぜこのようなことが起きてしまうのでしょうか。宮島先生はその原因について、入管の人たちがオーバーステイの人たちを「不法残留者」と呼んで犯罪者扱いしている事実を指摘しておられました。犯罪者+外国人ということで、差別的な対応が為されるのです。しかし、宮島先生は入管施設に収容されている方々と実際に会う中で、オーバーステイする人たちを決して犯罪者として括ってはいけない、彼らはそれぞれに事情を抱えているがゆえに自分の母国に帰りたくない、あるいは帰れない人たちなのだということがよく分かったと言います。実際、このことを裏付けるように、アメリカのバイデン大統領もオーバーステイの人たちを”illegal alien”(不法残留者、不法外国人=犯罪者、悪い人たち)と言ってはいけないと言っています。彼らは”undocumented”(必要な書類、必要な在留資格を持っていないだけ)なのだと言うのです。
  では、なぜオーバーステイの人たちは在留資格を持っていないのか。そこには大きく分けて、「日本国外にある事情」と「日本国内にある事情」の二つが存在しています。「日本国外にある事情」に関しては、たとえば空港で難民申請をしたが、認められなかった、そして入管施設に収容されてしまったというケースがあります。その他にも、政治活動をしていたので国に帰ったら命が危ないので帰れなかったというケース、同性愛者であるために国に帰ったら迫害に遭う危険性があるので帰れなかったというケース、家族間のトラブルで帰れなかったというケース、留学生ビザ、技能実習生ビザで入国したが、資格以上の仕事をしてしまったということで見つかり収容されてしまった、しかし、借金をして来日しているため、そのまま国に帰っても借金を返せないのでとにかく日本にいたいと帰国を断るケース、技能実習生として来日したが、時給300円とか一日20時間労働とか、奴隷のようなひどい扱いを受けてそこから逃げ出し、オーバーステイとなったケースなど、様々です。
  また、「日本国内にある事情」に関しては、たとえばオーバーステイとなった後も長年、日本で働き、家族と生活してきたというケースがあります。しかしオーバーステイが見つかり、施設に収容されて、今更母国に帰っても生活基盤がないために帰国を断るという、そんなケースがありました。その他にも、日本人と結婚して家族がいるにもかかわらず、家族ビザ、結婚ビザが降りなかったケース、オーバーステイの子どもたちというケース、つまりそうした事情で在留資格がないけれども、日本で生まれ、日本で育ったため父母の母国に帰っても言葉が分からないので、何とかして日本にいたいと帰国を断るケースなどがあります。
  そうした諸々の事情を全く考慮せず、在留資格がない、そして国外退去を断る人をすべて刑務所に入れるように入管施設に収容する、そして犯罪者扱いするというのが日本の出入国管理の実情なのです。入管施設では送還が前提となっている、すなわち帰国を拒否する人に何とか母国に帰ってもらうのが前提となっているため、収容されている人々を限界まで追い込んで帰国を促そうとしているとしか考えられないようなひどい扱いが為されています。
  携帯電話やパソコンは没収され、劣悪な環境、劣悪な医療体制で限られた自由時間以外はすべて鍵のかかった部屋に閉じ込められる。手紙はすべて検閲される。具合が悪くなっても、詐病だろうと言われ、なかなか医者に診てもらえない。運良く外部の医者に診てもらえるようになったとしても、手錠をはめられ、腰縄をつけられ、2、3人の入管職員に囲まれて、まったくの犯罪者扱い。刑務所でも刑期というものがあって、収容される期間には限りがあるのに、入管施設の場合では法律上無期限の収容が可能となっている。
  このように劣悪な環境に加えて、それがいつまで続くかわからないということで、自殺をする人が増えている、そんな状況です。こうした状況に対して、国連の「人権に関する作業部会」が日本政府に是正勧告を出したにもかかわらず、政府は一向に状況を改善しようとしない。それどころか、ウィシュマさんの事件の影響で成立は見送られましたが、入管法の改悪を行おうとする始末です。もしもこの法案が通っていれば、強制送還に応じない外国人を「犯罪者」として罰することが可能になるほか、送還に応じない外国人を支援しただけで、支援者までもが「共犯者」として処罰の対象になってしまうところでした。また、難民申請の回数を制限し、3回目以降の難民申請を行なった者の強制送還を可能にするとして、多くの難民の命が危険にさらされてしまうところでした。
  今、難民の話が出たのでついでに申し上げれば、2019年はおよそ1万人の人が難民申請を行ったにもかかわらず、難民と認定された人はたったの44人でした。0.4%と以上に低い難民認定率、「難民鎖国」と呼ばれるこの日本の状況を私たちはどう捉えたらよいのでしょう。また、ほとんど入管施設から仮放免され、難民認定や在留特別許可などで在留資格が与えられることのないこの日本の状況を、私たちはどのように考えたらよいのでしょうか。
  このように出入国管理の問題、難民受け入れの問題について考えれば考えるほど、日本という国は移民や難民に対して異常なほど冷たい国だと気付かされるのです。今現在、日本に住む外国人の数は300万人と言われていますが、これはパーセンテージからすればそれほど高くないかもしれませんが、日本は既に移民国家であると言うに十分足る数字です。しかし、政府は移民という言葉を認めない。技能実習生など、外国人を単純に労働力としてしか受け入れておらず、2、3年働いたら帰ってもらう、居ついてもらわないようにする、そういう政策を行っている。このことについて、『国家と移民』という著書を書いた鳥井一平さんは、「『移民を移民として認めない』という欺瞞に満ちた外国人労働者受け入れ政策が様々な問題の根底にある」と語っています。そして、「外国人」と「日本人」と二元論的に考えるのではなく、日本で生活するすべての人の生きる権利を保障する社会を目指すべきだと主張しておられます。「人権は国民が対象ではなく、すべての人々が対象です。国籍を持っていない人、いわゆる『国民』という概念に当てはまらない人たちでも、人権は尊重されなければなりません。それがとくに、これからの社会を考えるときに非常に大切なのです」。この鳥井さんの言葉には非常に重いものがあるでしょう。在留資格のない外国人のように社会的に弱い立場にある人の人権が守られない社会の行く先は、いつ私たちの人権も守られなくなるか分からない、そんな社会です。自国に戻れず、弱い立場に置かれた人たちを置き去りにすることが続けば、日本自体が人の権利を蔑ろにする、そんな社会になってしまうことでしょう。
  そのような中にあって、私たち、改めて肌の色、国籍、年齢、学歴、性志向などなど、どんな違いを持った人でも働くことができ、移動することができ、安心して暮らせる社会を形作っていきたいと願います。入管法を改悪するのではなく、国際基準に沿うものへと改正し、助け合い、支え合う共生社会をみんなで一緒に実現していきましょう。
  お祈りをいたします。  ――以下、祈祷――

 
 
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