2021年 10月 17日(日) 聖霊降臨節 第 22主日・礼拝説教
 

「声なき者の声を」
  創世記 4章 8〜12節  
北村 智史

 今日は聖書の中から創世記の4章を取り上げさせていただきました。有名なカインとアベルの物語です。人類最初の殺人事件として名高いこの物語ですが、そのようにしてカインがアベルを殺したのは実は妬みからだったと聖書は記しています。この物語を詳しく見ていきましょう。
  アダムの妻エバによって産まれた二人の男の子、カインとアベル。成長すると長男のカインは農業に、次男のアベルは牧畜の仕事に就きます。ある日、二人は恵みを与えてくれる神様に感謝するために献げ物をしました。カインは土地から収穫した作物を、アベルは羊の初子の中から肥えた最良のものを献げました。しかし、神様はアベルの献げ物は喜ばれましたが、カインの献げ物は受け取ろうとはしなかったのです。結局、その妬みで、カインはアベルを殺してしまうのですが、ではなぜ神様はカインの献げ物だけを無視したのでしょうか。そんなことをしなければ、そもそもこんな事件は起きなかったはずなのです。私が初めてこの物語を読んだ時、「この物語の事件の原因は神様じゃないか」と素直に思わされました。
  このカインとアベルの物語については、農耕民による牧畜民に対する戦いと征服といった出来事が背景にあったという説があります。牧畜の民に対して、農耕の民は穀物を蓄えることによって富を築くことができ、従って物質的文化的に優勢でした。その優勢な農耕の民が、劣勢な牧畜の民を打ち滅ぼしたという歴史的事実がまずあったのではないかと言うのです。そうした歴史的事実を背景にして、カインとアベルについての民間伝承が生まれ、それを元に、もともと半遊牧の民であったイスラエルにこのような信仰物語が作られたのでしょう。
  とは言え、カインとアベルの物語に出てくる神様の行為は解せません。なぜ神様はカインの献げ物だけを無視するというような行為に出たのでしょうか。新約聖書ヘブライ人への手紙11:4にはこうあります。「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました」。これを読みますと、新約聖書ではアベルの献げ物の方が優れていたからだ、すなわちアベルの方が神様に対する誠意がより強かったからだと解釈しているようです。信仰においては、カインはアベルよりも劣っていた。だからこそ神様はカインの献げ物は無視されたのだという、神様を正当化する解釈です。ここで言われている信仰とは、神様への信頼と服従の姿勢のことです。神様への信頼と服従においてカインは甚だ欠けていたことが、創世記4:5以下の彼の態度に表れている。そのカインの不信仰を供え物の時に神様は見抜かれていたのだと言うのです。
  しかしカインの立場からすれば、自分として精いっぱい献げたつもりであったのに、他の人の物は受け入れられ、自分の物は拒絶されたなら、憤るのはいわば当然ではないでしょうか。その憤った姿を指して、そもそも神様への信頼が足りないからそういう態度になるのだ、もともとあった不信仰がこの事件をきっかけに外に出てきただけだなどと言われても到底納得できないでしょう。
  私は無理に神様を正当化するのではなくて、神様がなさったことは私たち人間の目から見れば不条理な出来事だったのだと素直に解釈いたします。私たちが生きていればしばしば経験するように、神様は往々にして私たち人間の目からすれば不条理としか思えないようなことを為さる。問題はその後の人間の態度です。カインは激しく怒った後に「顔を伏せ」ました。「顔を伏せる」とは、関係を拒絶することです。カインは神様が自分に対して不条理なことをしたと感じたその時に、神様との関係を拒絶したのです。そこにカインの問題がありました。
  出エジプト記33:19で神様は御自分のことをこう述べておられます。「わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」。しかし、この神様の自由に人は耐えられません。自分の納得のいくように神様を従わせたいのです。その自分の枠から神様がはみ出してしまわれるとき、人は顔を伏せて神様を拒絶し、自分が神様の座にのし上がって、自分の正義、規準、自分の側の言い分に従って他の人を裁きます。その結果が殺人である。人が人生の不条理に直面し、かつ神様を拒絶する時、その不満は人を殺すに至る。たとえそこに正義や理想の仮面をつけていたとしてもです。人間とはそういう存在である。このことをカインの物語は私たちに告げているのです。
  『荒野を見る目――旧約聖書から何を聞くか』という説教集を書かれた内坂晃先生は、創世記4章を聖書個所にこうした解釈を展開された後、さらにこう語っておられます。「もしカインが、ヨブのようにどこまでも神にくってかかっていたとすれば、ヨブのように叱られはしたかもしれないが、『わたしは知ります、あなたはすべての事をなすことができ、またいかなるおぼしめしでも、あなたにできないことはないことを』とのあのヨブの告白を、カインもなすことができるまでに導かれたであろうのにと思うのであります」と。そして、神様の不条理に直面した時は、顔を伏せるのではなく、ヨブのようにたとえ食って掛かってでもよいから神様にどこまでも問うべきなのだと語っておられます。含蓄のある説教です。カインとアベルの物語が示す、確かな一つのメッセージでしょう。
  さて、創世記4章の物語が教えてくれるのはそれだけではありません。4:10で神様はこう述べておられます。「お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる」。ここから神様について教えられるのは、神様は声なき者の声を聞き取られるお方だということです。カインも不条理を経験した人でしたが、その妬みによって殺されてしまったアベルもまた不条理に押し潰された人でした。その声を、神様は確かに聞き取られる。であるならば、私たちもまた神様に従い、不条理に苦しむ者の声なき声を聞き取っていかなければなりません。
  このことに関連することですが、先月の16日にNCCでは、沖縄戦・太平洋地域戦没者遺骨問題に関する要望書というものを政府に対して出しました。沖縄の辺野古の新基地建設の問題はキリスト者にとっても関心のある事柄ですが、このことを巡って、今、国が沖縄戦死者の尊厳を奪おうとしていることは皆さんご存じでしょうか。辺野古に新しい基地を建設するにあたって、軟弱な地盤に困った国は工事の設計変更を行い、埋め立て用の土砂を、沖縄戦の戦没者が埋もれている本島南部から採取すると言っているのです。
  これに強く抗議し、ハンガーストライキを行ったのが、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんでした。具志堅さんはもう40年近く、沖縄戦死者の遺骨を収集し、身元を特定して遺族に返すため、できる限りの努力を積み重ねておられます。私たちは普通、何かの事件の現場で遺体が埋もれていることが分かっているのに、その土砂を工事に使うなどとは考えません。それを国家が行うと言うのです。「戦争で殺された人の血を吸い込んだ岩を次の戦争に使うのは戦死者に対する冒とく」だと具志堅さんは言います。NCCの今回の要望書は具志堅さんのこの訴えに連帯し、沖縄本島南部における沖縄戦戦没者遺骨の混じった土砂を辺野古新基地建設に使うことを撤回せよと国に求めるものでした。
  それだけではありません。先月9月14日に衆議院第一議員会館で開催された「9・14沖縄戦・太平洋地域戦没者遺骨意見交換会」では、沖縄本島のみならず、太平洋地域にわたり、すでに収集された戦没者の遺骨の数の全貌が明らかにされました。そして今後の課題は、それらの遺骨に関して、戦没者と遺族のつながりを解明する DNA 鑑定を早急に推し進めると共に、戦没者の遺骨の出身地を特定することだと問題提起されたのです。戦後今日まで 76 年間、国家の戦争に強制動員され、戦没後も愛する家族と引き離され、現地に置き去りにされている人々の無念と悲しみを思います。今回のNCCの要望書では、日本政府が国の責務としてこの重大な課題を怠ったり、遅滞させたりすることなく全力で取り組むことを強く要請しました。
  また、9月14日の意見交換会では、たとえば中部太平洋の戦地となったタラワ島において、 4700 体にも及ぶアジア系の遺骨のうち、日本兵の戦死者以外のおよそ 1200 体が韓国・朝鮮人のものだと推定されるという報告が為されました。しかし、政府はと言えば、「日本人戦没者の問題が終わってから」と言って、韓国・朝鮮人の戦没者遺骨の収集と遺族への返還を後回しにしている状況です。今回のNCCの要望書では、こうした政府の在り方を批判し、韓国・朝鮮人戦没者の遺骨の収集、特定、返還の作業を日本人戦没者と同時並行して推し進しめていくことを強く要望しました。
  戦争体験者が次第にいなくなる中、この先戦争の真実を語るのは、命を絶たれた一人ひとりの骨と遺品であると私は思います。私たちがこの先、平和を紡いでいくことができるかどうかは、土の中に埋められたこれらの人の声なき声にどれほど真摯に耳を傾けるかにかかっているのではないでしょうか。「私たちのこの姿を見よ。一度戦争が始まれば、これほどたくさんの人々が家族からも切り離され、悲劇の中に追いやられるのだ。こんな悲劇を二度と繰り返してくれるな」。一人ひとりの遺骨が、今なお私たちに訴えかけています。その声なき声を聞き取るために、私たちは最大限の努力をしていかなければなりません。
  今日の聖書個所の中で、神様は不条理に倒れたアベルの叫びを聞き取られました。実に神様は、声なき者の声を聞き取り、奪われているその人の尊厳が取り戻されることを願われる方です。その神様に従い、私たちもまた歴史の土を掘り起こし、そこに埋もれている者の声を熱心に聞き取っていきましょう。また、この世の不条理の現実の中に埋められている多くの人の声を掘り起こしていく者でありたいと願います。
         お祈りをいたします。  
―以下、祈祷――

 
 
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