2021年 11月 7日(日) 降誕前 第 7主日・礼拝説教
 

「神様の勝利を仰ぎ見て」
  ダニエル書 7章 11〜22節  
北村 智史

 今朝は教会の暦でいう「聖徒の日(永眠者記念日)」の礼拝を神様にお捧げしています。この「聖徒の日(永眠者記念日)」について少し説明をいたしますと、西欧では11月1日を「ハロウマス」(「ハロウ」というのは、「聖人」という意味ですが、) All Saints’ Day「すべての聖人の日」、「万聖節」と定めて、亡くなったすべての聖人・殉教者を偲び、また、その翌日の11月2日をAll Soul’s Day、「万霊節」と定めて、亡くなられたすべての方々を偲ぶ、そのような風習がありますが、こうした一連の風習に因んで、東京府中教会が所属しています日本基督教団でもまた、11月の第一主日(第一日曜日)を「聖徒の日(永眠者記念日)」と定めて、故人を偲ぶ特別の礼拝を行っています。
毎年、この日には、このようにこの東京府中教会で信仰生活を過ごされた方々、またこの東京府中教会にゆかりのあります方々の御写真と名簿が礼拝堂に飾られまして、私たちは既に天へと召され、今は神様のもとで安らかに憩われているこれらの方々と一緒に神様を讃美・礼拝する一時を持ちます。それは、エフェソの信徒への手紙1:10に、「こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです」とありますように、終わりの日にキリストのもと、皆が再び顔を合わせて神様を一緒に礼拝するその恵みを先取ったかけがえのない時間に他なりません。願わくは、故人を偲ぶこの礼拝の一時が、温かな慰めと希望に満ちた豊かなものとなりますよう、心を込めて神様にお祈りしている次第です。
  さて、そんな今日は、聖書の中からダニエル書7:11〜22を取り上げさせていただきました。このダニエル書という文書は紀元前2世紀中頃、マカバイ戦争の後期に書かれたものだと考えられています。
マカバイ戦争とは、紀元前167年に勃発したセレウコス朝シリアに対するユダヤ人の反乱とそれに続く戦争のことに他なりません。紀元前2世紀前半の時代、ユダヤはセレウコス朝シリアに支配されていたのですが、このシリアのアンティオコス4世という王様は自らを「現人神」と名乗り、エルサレム神殿にゼウスやオリンポスの神を導入し、ユダヤ教禁止令を発布して、ユダヤ人のヘレニズム化を強行しました。そんな時に、安息日の大虐殺という決定的な事件が起こります。シリアの軍勢が、荒野に逃れた無抵抗のユダヤ人に襲い掛かったのです。これを知り、真っ先に立ち上がったのがモデインという小さな町の祭司マタティアと彼の息子たちでした。大虐殺という事実を知ったマタティアは、たとえ安息日であろうと戦いを挑まれた場合は戦うと決意し、同志と共に蜂起します。こうして紀元前167年以降、ユダヤ全土は独立を求めるユダヤ人と、それを阻止せんとするシリアとの間で戦争状態に陥ったのです。これがマカバイ戦争です。
  戦争はマタティアの死後、指導者を引き継いだ三男のユダ・マカバイの活躍などもあって、ユダヤ人が独立を成し遂げ、ハスモン王朝を成立させます。こうした経緯は、旧約聖書続編のマカバイ記に詳しく記されていますので、興味のある方は是非お読みいただければ幸いです。
  ダニエル書はこうしたマカバイ戦争の後期に記された文書で、その内容は、バビロンの王様ネブカドネツァルの時代からペルシアの王様キュロスの治世に至るまで帝国の宮廷で活動した敬虔なユダヤ人の物語の主人公としてダニエルが登場する1〜6章の前半部と、ダニエルが迫害の中にある敬虔な人々の将来について見た幻を内容とする7〜12章の後半部に分かれています。こうして、ダニエル書は、バビロン捕囚以来、異教的環境に置かれていたユダヤ人がいかにして周囲の世界と妥協することなく信仰を守り続け、場合によっては殉教もいとわずに信仰を守り続けて、宗教的な抵抗を続けてきたかを前半部で語り、その前提の下で、アンティオコス4世の迫害の意味と、それを克服する抵抗の在り方と、勝利が間もなくやって来ることを後半部の幻で語る文書となっているのです。
  今、シリアがこんなにも私たちを苦しめているが、私たちユダヤ人はかつて異教的環境に置かれる中で決して妥協することなく命がけで信仰を守り続け、宗教的な抵抗を続けてきたのだ。その歴史に倣い、今この時も抵抗を続けよう。そうすれば、勝利の時はもう間もなくやって来る。これが、ダニエル書全体を貫くメッセージでしょう。
  今日取り上げさせていただきました聖書個所が含まれているダニエル書の7章はその中でも特に重要な部分で、そこでは四つの獣が次々に現れては滅び、やがて天上の神様の審判の場に人の子のような者が現れ、地上の支配権を与えられるという幻が記されています。四つの獣はセレウコス朝シリアなど、ユダヤを支配した国々を表しており、これらが滅んだ後にメシアが統治する永遠の国が到来するというわけです。そして、ダニエル書の最後の章では、迫害されて死んだ人々が復活し、星のように光り輝くということが記されています。このようにしてダニエル書は、迫害の中にある人々を励まし、希望を与え続けました。
  そのダニエル書を本日聖書個所として取り上げさせていただきましたのには、大きな意味があります。たとえ信仰共同体を迫害するものが現れ、多くの苦難に遭うことになっても、信仰の先輩方の忍耐と抵抗を思い、耐え忍ばんとした、そして、最後に勝利を得られるのは神様であり、その神様の王権はすべての民族まで広がり、統治は滅びることがないという希望に生かされた人々の信仰を、今の私たちも受け継いでいきたいと考えたのです。
ダニエル書に記された希望。それは、イエス様の十字架と復活の御業によってより具体的に今の私たちに示されています。たとえこの世界に多くの苦難があったとしても、最後に勝利を収めるのは神様であり、すべての人がイエス・キリストの十字架と復活の御業によって終わりの日に神の国に入り、神様のご支配のもと永遠の命に安らかに憩う、その希望を今の私たちは与えられています。
  もちろん、この聖徒の日・永眠者記念日に覚えるすべての信仰の先輩たちが皆、ダニエル書の時代のような迫害の時代を生きた訳ではないでしょう。しかし、目に見える迫害はなくても、それぞれが生きていく中で様々な苦難に出会い、その中でも先程申し上げたような希望に生かされて信仰を立派に貫いたのです。ダニエル書の時代の人々のように、今の私たちも信仰の先輩方の忍耐を思い、彼ら、彼女らをも生かした、「終わりの日に神様は必ず勝利される。そして、私たちに神の国をくださる」という希望に自らも生かされたいと願います。
  聖徒の日・永眠者記念日、それは単純に神様に追悼の礼拝をお捧げするだけの日ではありません。今は神様の御許に召された信仰の先輩方のその信仰を記念して、私たちもそのように生きると誓う日です。かつてイエス様は神様について、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」と言われました。信仰の先輩方は死んで無くなってしまったわけではなく、今も神様の御許で復活を望みながら、私たちのために祈りながら生きておられます。その信仰の先輩方と、私たちは今日祈りを通して一つになるのです。
  願わくは、今日の礼拝を神様が豊かに祝福してくださいますように。信仰を受け継ぎ、苦難も生じてくる人生を神様に支えられながら歩み通していきたい、そして、終わりの日には、既に召されし信仰の先輩方と再び顔を合わせて、共に神の国を受け継ぎたいと願います。

 祈りましょう。  ――以下、祈祷―

 
 
Copyright© 2009 Tokyo Fuchu Christ Church All Rights Reserved.