2021年 11月 21日(日) 降誕前 第 5主日・礼拝説教
 

「自分にできることを」
  ヨハネによる福音書 6章 1〜15節  
北村 智史

 先月31日は衆議院選挙の日でした。私も妻も今の政治には大きな危機感を抱いていまして、この選挙をきっかけに少しでも今の政治が変わってほしい、そんな思いを込めて、当日は教会の奉仕がすべて終わった後、二人で投票所に向かいました。私たちが投票所に伺ったのは午後3時頃でしたでしょうか。多くの方で賑わっていて、今回の選挙に対する関心の高さが窺えました。しかし、蓋を開けてみれば、今回の衆議院選挙の投票率は前回を上回ったものの、戦後3番目の低さに留まり、期待されていたほど投票率は伸びませんでした。新型コロナの影響があったのかもしれませんが、選挙の投票は私たちが政治に参加することのできる大切な機会です。「もっと投票率が伸びたらいいのにな」と思わされました。
  よく投票を棄権する理由として、「不満はあるけれど、自分の1票では何も変わらないから」という意見を聞きます。これに対しては、私の大学サークル時代の先輩がフェイスブックでこんなことを呟いていました。「『私一人の力では何も変わらない』という状況を作り上げるのが民主主義だ。他のあらゆる誰かが独裁できないように。『私一人では何も変わらない』ようにするために、私は選挙に行く」。安倍政治の流れが今も続いていることを念頭に置いた非常にウィットに富んだ答えです。どうせ「一人の力では何も変わらない」と投げ出すのではなく、そのことにも独裁を防ぐ大きな意味があることを信じ、そのために皆で力を合わせていくことの大切さを教えられる思いがしました。いずれにしろ、ただ自分の微力を嘆くのではなくて、自分にできる最善のことを為していきたいと願います。
  さて、そんな今日は、聖書の中からヨハネによる福音書6:1〜15を取り上げさせていただきました。この五千人の供食のお話は、聖書の中で唯一4つの福音書すべてに収められている奇跡物語となっています。その中でも、今回ヨハネによる福音書のお話を取り上げさせていただきましたのは、このお話が最も先程の冒頭のお話と関係が深いと考えたからです。
  このヨハネのお話には、少年が登場します。彼は大麦のパン五つと魚二匹を持っていました。イエス様が大勢の群衆を見て、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたのに対し、弟子たちは困ってしまいます。そんな弟子たちに対し、この少年は、持っていた食料はわずかでも名乗り出てくれたのでしょう。けれども、弟子たちの反応はと言えば、「こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」というものでした。
己の微力を承知で勇気を持って行動した少年に対し、弟子たちは自分たちの微力を嘆き、投げ出そうとしたのです。そんな弟子たちに対して、イエス様は「人々を座らせなさい」と言われて、行動を起こされました。少年の持っていた五つのパンと二匹の魚を増し加えて、人々を満腹させたのです。
  このお話が教えてくれること、それはどんな時も己の微力を嘆き、投げ出してはいけないということです。たとえ自分たちに与えられているものはわずかでも、皆で力を合わせて神様にお委ねする時、神様はそれを何倍にも増し加えて己の御用のために用いてくださる。だから諦めずに自分にできる最善のことを為していきなさい。そのことを教えられます。
  このことに関連することですが、2021年10月号の『こころの友』に興味深い記事が載っていました。早稲田教会牧師の古賀博先生がお書きになっている「今月の決めゼリフ」というコーナーです。そこでは、「私は、私にできることをしているだけ」というハチドリ・クリキンディの言葉が紹介され、こんなことが書かれていました。
 「『こんなことして何になる、全ては徒労ではないのか』。一生懸命に日々の仕事や関わりに取り組んでも、思ったような結果が出ず、こうした嘆きに強くとらわれてしまうことがあります。
 そんなときに思い出すようにしているのが、ハチドリのクリキンディの姿。
南米はアンデスの先住民の民話を本とした『ハチドリのひとしずく』。森が火事となり、逃げ出していく生き物たち。そのとき、クリキンディという名の一羽のハチドリだけは、小さなくちばしで水を運び、一滴ずつ火の上に注ぎ続けていました。
 仲間たちは『そんなことをして何になるんだ』と彼をあざ笑います。クリキンディは静かに『私は、私にできることをしているだけ』と答えました。
 イエスさまは、さまざまに思い悩む者へ『小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる』(ルカによる福音書12章32節)と励ましを語ってくださいました。『小さな群れ』とは、私たちの存在そのもの。そして『あなたがたの父』とは神さまのことです。
 私たちの存在も行いも、実に小さなものにすぎません。それでもイエスさまの励ましに信頼して、思いをひとつに定めて、備えられている務めに当たっていく。こうした私たちの生き方を、神さまは喜び、受け入れてくださるのでしょう。
 インドで貧しい人々と共に生きた修道女、マザー・テレサはこう語り残しました。
『わたしたちのすることは 大海のたった一滴の水に すぎないかもしれません。でも その一滴の水があつまって 大海となるのです』
小さな一滴であっても、神さまの祝福を信じ、働き続けたいと願います。」
  考えさせられる記事です。確かに、私たちは小さな存在かもしれません。政治の問題にしろ、平和の問題にしろ、差別の問題にしろ、環境の問題にしろ、日々の仕事にしろ、務めにしろ、わたしたちのしていることは本当にわずかのことであり、それしかできないのかもしれません。しかし、その積み重ねと結集がやがて大きな力となり、うねりとなることを信じて、神様のもと、腐らずに、諦めずに、自分にできることを精一杯為していきたいと願います。私たちの賜物を何倍にも増し加えてくださる神様に自らを委ねて、皆で一緒に神様の御用に仕えて参りましょう。
             お祈りをいたします。  ――以下、祈祷――

 
 
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