2021年 11月 28日(日) 待降節 第 1主日・礼拝説教
 

「与える喜び」
  イザヤ書 9 章 5〜6節  
北村 智史

 今日から、イエス・キリストの御降誕を待ち望むアドヴェントに入ります。人類が新型コロナとの闘いを強いられてから二度目のクリスマスシーズンを迎えるわけですが、私たちが生きているこの世界ではどれだけ明るい希望の兆しが見えているでしょうか。日本では新規感染者の数が減っており、新型コロナの予防薬も承認されて、昨年のクリスマスと比べますと、新型コロナから脱するまであと少し、もうひと頑張りといった印象を受けなくもありません。しかし、世界では依然として感染が猛威を奮っている状況です。依然として進まない環境対策に、加熱する超極音速兵器の開発競争。こうしたことを鑑みますと、いつになったら新型コロナが収束するのか不安になるだけでなく、コロナ後の世界にも暗雲が立ち込めていることを実感いたします。こうした中にあって、今後の私たちの世界の展望を良くしていくために、私たち教会はこのクリスマス、どのようなメッセージを世界に対して発信していけばよいのでしょうか。今日はこのことについて、皆で一緒に考えていきたいと願います。
  さて、今日取り上げさせていただきました聖書個所は、イザヤ書9:5〜6です。これは、今からおよそ2700年前になされた預言者イザヤの預言に他なりません。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君』と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し 平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって 今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」アッシリアが力を振るい、北イスラエル王国は亡国の運命にあった、そして南のユダ王国もひどい圧迫を受けていた紀元前8世紀後半の時代に、イザヤはこのようにしてメシアの到来を預言したのです。そして、王として即位する「ひとりのみどりご」、「ひとりの男の子」によって、南北に分かれた王国が再び統一され、ダビデの時代以上に?栄と平和が満たされる日がやって来ることを告げ知らせました。
  イザヤのこの預言は、クリスマスの時期によく取り上げられます。実際、今日私もこのアドヴェント第一主日の聖書個所に取り上げさせていただいたのですが、それはイザヤのこの預言が、今からおよそ2000年前のクリスマスの出来事において成就したと信じられているからに他なりません。
 今からおよそ2000年前のクリスマス、「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」イエス・キリストの誕生です。この方こそ、イザヤ書を初めとした旧約で預言されていたメシアであり、「その名は、『驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君』と唱えられる」だろう。そして、イスラエルの人々どころか、すべての人々が平和のうちに繁栄と永遠の命を享受する神の国を打ち建てられる。私たちはそう信じています。
  ヨハネによる福音書3:16には、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と記されていますが、私たち、またこの世界のすべてを愛してやまない神様は、私たちの救いのために、今からおよそ2000年前にイエス様という救い主をプレゼントしてくださって、イザヤの預言を成就してくださったのでした。それは、ただただ神様による一方的な恵みです。こんなにも罪に溢れた私たち、こんなにも罪に溢れたこの世界を、神様はノアの洪水の出来事のようにすべてを滅ぼしてしまうこともできたはずなのです。しかし、そうはなさらずに、かえって私たちに愛を贈られた。イエス・キリストという宝物をお贈りになった。パウロによれば、イエス様は「受けるよりは与える方が幸いである」とその生涯の中で仰られたそうですが、三位一体なる神様はどこまでも「惜しみなく与える」という性質を持ったお方なのです。
  それに比べて、私たち人間はどうでしょうか。神様がイエス・キリストをお与えになって限りない愛をお示しになったにもかかわらず、私たちは与えることよりも受けることばかりを考えてはいないでしょうか。それはまるで、「人生とは何かを所有することだ。そして自分の欲望を満たしていくことだ」と言わんばかりの勢いです。私たちは神様に倣い、もっと与える喜びに目覚めなければならないのではないでしょうか。
  このことに関連して、今月の初めにテレビの番組でこんなお話が放映されていました。昨年の12月、アメリカのカンザス州に住む双子の女の子の姉妹が、母親の発案で海の向こうにいるサンタさんに届くようにと、風船で手紙を飛ばしたのです。手紙には、「ルナとジャネラです。良い子にしています」というサンタさんへの挨拶と、「これこれ、こういうプレゼントが欲しいです」という要望が書かれていました。その風船と手紙を、カンザス州から800kmも離れたルイジアナ州に住むアルビンさんが拾ったのです。実はアルビンさんにも双子の姉妹と歳が近い孫がいて、人ごととは思えず、アルビンさんはサンタの手伝いをする決心をしました。慣れないSNSを使い、ルナとジャネラの母親とコンタクトを取ることに成功。こうしてアルビンさんは、手紙にあったプレゼントをできる限り用意し、姉妹に送ったのです。ルナもジャネラも大喜び。そして、それから家族ぐるみの付き合いが続いているそうです。
  アルビンさんは言います。「アルビンさんと呼んでくれて、笑ってくれて、それがすべてです。この一年、世界の状態は良くありませんでした。ですが、一人でも笑顔にすることができたなら、それはその人だけでなく自分にとっての幸せにもなるのです」と。
  こうしたお話を見、アルビンさんの言葉を聞いて、「ああ、この人は本当に『受けるよりは与える方が幸いである』というイエス様の御言葉を体現した人だなあ」と思わされました。そして、さらに、双子の姉妹のお母さんはアルビンさんがクリスマスプレゼントをしてくれた日を振り返り、こんな言葉を語っています。「この地球には素敵な人たちがたくさんいます。自分の時間を費やして、他の誰かを幸せにしようとしてくれるなんて、本当に心が温まる出来事でした。私たち家族だけでなく、このコロナ禍に多くの人を笑顔にしてくれました。アルビンさんと奥様は、私たちにとって、もはや家族です。」これに対して、アルビンさんも、「2人とはいまも頻繁に電話やメールでやりとりしています。彼女たちはもう一つの家族のような存在です。私にとって、この友情は何ものにも代え難いクリスマスプレゼントです」と語っています。
  惜しみなく与える愛は、お互いを家族として結び付け、お互いの心と魂を潤していくのでしょう。新型コロナで分断が進んでいくこの世界、また愛を与えることよりも受けることばかりを求めがちなこの世界のただ中で、私たち、改めて与える喜びを広く社会に訴えていきたいと願います。神様が私たちにイエス様を与えてくださったように、私たちもまた人に愛を惜しみなく与えていきましょう。そして、この世界を一つの家族として結び付けていきたい、またすべての人の心と魂を幸せで満たしていきたいと願います。

                祈りましょう。  ――以下、祈祷――

 
 
Copyright© 2009 Tokyo Fuchu Christ Church All Rights Reserved.