2021年 12月 12日(日) 待降節 第 3主日・礼拝説教
 

「枯れた骨の復活」
エゼキエル書 37章 1〜14節 
北村 智史

  アドヴェントも第三主日を迎えました。来週は、いよいよ待ちに待ったクリスマスです。振り返ってみれば、この2年間は世界中が暗闇に包まれたような、そんな2年間でした。新型コロナのために多くの方が苦しみ、医療従事者に対する差別、アジア人に対するヘイトクライムなど、至る所で分断が生じたのです。日本ではこのところ新規感染者の数は落ち着いていますが、世界では未だにコロナ収束の目途は立たず、本当にいつになったらこの苦しみが終わるのか、人々が希望を見出せない状況が続いています。
 こうした暗闇の中だからこそ、私たち教会は救い主イエス・キリストの御降誕の恵み、その希望をしっかりと宣べ伝えていかなければなりません。こうした暗闇の現実のただ中にこそ、イエス・キリストはやって来られたのだ。私たちにはインマヌエルの主がおられる。そして、私たちを必ず救いへと導き給う。その福音を、この世界に対して力強く発していきたいと願います。
  願わくは来週のクリスマスが、神様の祝福と希望に溢れた恵み深い一日になりますように。暗闇の世に光として来られたイエス・キリストのその大いなる恵みをしっかりと心に刻み、励まされて、今という時を力強く乗り越えていきたいと願います。
さて、そんな今日は聖書の中からエゼキエル書37:1〜14をお読みいただきました。預言者エゼキエルの見た壮大な幻が書き記された場面です。この個所をよく理解するために、まずはエゼキエル書という書物について、またエゼキエルという人物について簡単に説明しておきましょう。
  エゼキエル書は、紀元前6世紀の前半にバビロンの捕囚の地で活動したエゼキエルという預言者の言葉を集めた書物に他なりません。このエゼキエルは、祭司の子であり、エルサレム神殿の祭司の職に就いていましたが、紀元前597年の第一回バビロン捕囚の時にバビロンに連れて行かれ、そこで捕囚の第五年(紀元前593年)に預言者としての召命を受けたとされています。彼は少なくとも紀元前571年まで、そしておそらくは紀元前567年まで、捕囚の地で預言活動を行いました。彼は紀元前587年にバビロン軍によってエルサレムが陥落するまではユダ王国とエルサレムの裁きの預言をしましたが、エルサレムが陥落した後は捕囚の民に回復の預言、救いの預言を行いました。
 エゼキエル書を見ても、大雑把に分けて1〜32章がイスラエルの罪を非難し、徹底的な裁きを宣告する裁きの預言になっていて、33章以下が絶望する捕囚の民に救いの希望を語る救いの預言となっていることが良く分かります。エゼキエルはこのようにして、イスラエルの人々が神様から示された掟と法に従って歩まず、絶えず神様に逆らってきたその罪のゆえに徹底的に滅ぼされること、けれども、そのようにして人々が主を知るようになった後は必ず、神様自らがイスラエルの人々に新しい心と新しい霊を与えて、すべての罪から清め、贖い、イスラエルの人々を捕囚からお救いになることを宣べ伝えたのでした。
  こうしたことを弁えた上で改めて今日の聖書個所を読むと、その個所が良く理解できるでしょう。結論から言いますと、今日の聖書個所は、イスラエル回復の預言のクライマックスとでも言うべき部分となっています。一つひとつ見ていきましょう。
 まず、エゼキエルは、幻の中で、主の霊によって谷の真ん中に連れて行かれます。そこは、死んでからかなりの時が経ち、甚だしく枯れた骨でいっぱいでした。旧約聖書の時代、死んで間もない死体はまだ生き返る可能性が考えられましたが、ここでは、その可能性がまったく考えられないほど枯れ切った骨でいっぱいだったのです。その骨に、エゼキエルは4〜6節のように預言するよう神様に命じられます。そして、エゼキエルが命じられた通りに預言すると、たちまち骨と骨とが近づき、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆って体が形成されました。それから、その体に霊が吹き込むよう、エゼキエルが9節のように霊に預言すると、たちまち霊が体の中に入り、体は生きて立ち上がって非常に大きな集団となりました。
  11節に記されているように、これらの骨は、バビロン捕囚により、「我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる」と言って何の希望もなく死んだような状態になっているイスラエルの全家、イスラエルのすべての人々のことを表しています。エゼキエルはこの幻によって、神様が絶望の虜になっている、そうして死んだような状態になっているイスラエルのすべての人々に命と希望を与え、彼らを故郷へと帰らせてくださること、そうして、北イスラエルと南ユダを合わせたかつてのイスラエル統一王国を再び回復してくださること、その救いを預言したのでした。
  エゼキエルのこの預言は、その後どうなったでしょうか。バビロン捕囚は、紀元前538年に、ペルシャのキュロスという王様が解放令を出すことによって終わりを迎えます。バビロニア帝国は滅ぼされ、新しくメソポタミアを統一したペルシャの王様の手によって、イスラエルの人々は故郷へ帰還を許されました。しかし、だからと言って、イスラエルの人々がかつての統一王国を再び回復することができたかと言うと、そんなことはなくて、イスラエルの人々はその後も他の国々に支配される歴史の連続でした。一時、例外として、紀元前2世紀中頃にハスモン王朝という独立国家を成立させたこともありましたが、結局それも、紀元前1世紀の後半にはローマ帝国に支配されてしまいます。
  では、エゼキエルの預言は外れてしまったのでしょうか。そうではありません。エゼキエルの預言は、イエス・キリストの到来によって成就した。私はそう思います。絶望に囚われ、何の希望もなく死んだような状態になっていた、イスラエルの人々だけでなくすべての人々の救いのためにこの世へとやって来られ、彼らに命と希望を与えて神の国を成し遂げられた。実にイエス様こそはエゼキエルの預言の成就であり、枯れた骨のようになっている私たちに命の息吹を与え、復活を賜るメシア、キリストに他なりません。
  思えば、今の私たちの世界もまた、枯れた骨でいっぱいの世界です。飢え、渇き、貧しさ、暴力、戦争、抑圧、不平等、不正……。そうした中で絶望に囚われて、何の希望もなく、死んだような状態に置かれている人々で溢れています。しかし、神様はイエス様を通して愛と聖霊を豊かに注ぎ、命と希望を与えて人々を生き返らせてくださいます。であるならば、私たちキリスト者もそれに連なる働きをしていかなければなりません。
  このことを思う時、私は今から7年前に特別伝道集会の講師として来てくださったカリヨン子どもセンター理事長の坪井節子先生のお話を思い出すのです。坪井節子先生をご存じない方もおられると思いますので、改めて説明をいたしますと、坪井先生は弁護士として活動する傍ら、先程申し上げた「カリヨン子どもセンター」という社会福祉法人の理事長として、虐待など、様々な事情のために行き場所を失くしてしまった子どもたちのためのシェルター (避難所) と自立援助ホームを運営しておられる方でして、今から7年前に東京府中教会の特別伝道集会に講師として来てくださってお話をしてくださいました。
  お話では、いじめ、虐待、少年非行の現場がどれほど悲惨なものであるか、その中で子どもたちがどれほど傷を抱えてぼろぼろにされてしまっているか、その中で坪井先生が無力感に苛まれ、悩みながらも、どれほど熱心に子どもたちに寄り添ってこられたかを伺いまして、本当に胸が熱くなりました。中でも、「あなたは生まれてきてよかったんだよ」、「ひとりぼっちじゃないんだよ」ということを伝えるべく子どもたちに寄り添い続ける中で、「風の音が聞こえるよ」、「空ってこんなに青いんだね」と言って心を開いてくれた子どもたちがいた、悲惨な現実の中で音を聞く余裕も、色を感じる余裕も失くしてしまっていた子どもたちが、初めて愛を実感する中で音を、色を取り戻した、「見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く」という聖書の御言葉は、もしかするとこういうことなのかもしれないとその時思ったという坪井先生の言葉が、私の印象に残っています。人々の罪の中で死んだような状態に置かれていた子どもたちが、神様の愛、イエス様の愛を豊かに注がれて蘇っていく過程がそこにはありました。
  このクリスマスのシーズンは華やかな雰囲気に街が包まれる、そんな時期ですが、その明るい雰囲気にばかり目を奪われるのではなくて、私たち、この世界に確かに存在する闇にしっかりと心を向けたいと思います。そして、その闇のただ中にこそイエス・キリストが来てくださったその意味と恵みをしっかりと心に刻みたいと願います。坪井先生を初め、この世の闇と懸命に闘っておられる方々の働きを心に留めて、そこに皆で連なっていきましょう。他でもない私自身が人間の罪と愛の不足の中で枯れた骨のようになっていた、しかしそこからイエス様によって贖い出され、愛されて、甦らされた者として、同じようにこの世で枯れた骨のようになって苦しむ人々の現実、絶望に囚われて死んだような状態に置かれている人々のその現実に関わっていきたいと願います。そして、命と希望を与えてその人々を蘇らせる神様の働きに加わっていきたいと願います。
 願わくは、神様がクリスマスまでの私たちの日々を豊かに祝福してくださいますように。イエス・キリストが必ずやこの世のすべての人々を蘇らせ、神の国を成し遂げ給う。その確信に胸を躍らせつつ、クリスマスまでの日を待ち望みたいと存じます。
             祈りましょう。  ――以下、祈祷――

 
 
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